第15回「小説でもどうぞ」佳作 記念貨幣/若林明良
第15回結果発表
課 題
表と裏
※応募数212編
「記念貨幣」若林明良
20XX年。皇太子成年を記念し、一万円の記念貨幣を製作することとなった。広く一般からデザインを募り、コンペが開催された。結果、日展に幾度も入賞している御年八十の日本画家と、藝大を卒業したばかりで無職の若者の二人が残った。
「殿下は虫がお好きだ。ことに蜻蛉が。故に貨幣の表を蜻蛉のデザインにすることは既に決定されている」
「問題は二人のどちらにするかだ」
「画家の芸術性は陛下のお墨付きだ。彼の作品を何点もお買い上げになっている。あっ今回のはコンペで決まったので、決して手回しじゃないぞ」
「いや、若い殿下の感性に近い青年にするべきだ」
意見が分かれて決定打が出ない。製作委員会は二人に最後の対決をさせることにした。あらたに蜻蛉の絵を描いてもらい、殿下に選んでもらう。殿下に任せよう。猶予は一ヶ月。
報せを聞き老人は憤慨した。陛下お二人とも、わしの絵を気に入って下さっておる。この期に及んで下の者が迷いを示すとは何事か。相手は二十歳そこそこの若者だと。ケッ、ふざけるな。絵は、技術だけではない。長年培った経験、苦悩の堆積を突き破る画家の思いが滲み出ないように滲み出たものだけが傑作と呼べるのだ。若造に負ける訳にはいかぬ。
画家は自作の山をひっくりかえし蜻蛉の絵を集めた。蜻蛉の王様はなんといってもオニヤンマだ。将来の陛下になられる殿下にはやはり、オニヤンマが相応しかろう。
画家は昼夜、オニヤンマの絵に没頭した。
青年は報せを聞き歓喜のあまり動けずにいた。仕事がなくデザイン公募に明け暮れる日々。貯金が底をつき、マクドナルドのバイトに応募しようとしていたところだった。落ち着け、自分。これは決定じゃないんだ。画家との最終決戦に打ち勝たねば。
青年はネットで殿下のお好きな蜻蛉の種類を調べようとしたが、判らず、調べるうちにこれは邪道なやり方だと思いいたった。
駄目だ駄目だ。俺は童心に帰らねばならぬ。
青年は田舎の実家に帰った。無職の彼を父も妹も白い目で見、ろくでなし早く帰れといわんばかりの態度だ。母だけが彼を心配し、金と米を送るからと言ってくれた。
青年は御達しを三人に言わなかった。まだ決定ではないのだ。後になり駄目でしたとなれば父妹にはさんざんに馬鹿にされ、母はがっかりするだろう。
彼は朝食をとるとすぐさま裏の山に登った。水辺にオハグロトンボがいた。スマホに撮り、素早くスケッチもする。オニヤンマが悠々と彼の頭上を越えた。
こうして一日中、山を駆け回った。時間を立つのを忘れた。子供に戻ったように夢中だった。気づくとすっかり日が暮れ、足元がおぼつかない。慌てて山を下りた。
ちょうど山の端に夕日が隠れるところだった。稲刈りを終えた田が橙に染まる。そのとき彼の鼻先をアキアカネが横切った。いつしか数多のアキアカネが彼の周りを舞っていた。
彼の頬にひとすじの涙が流れた。
東京に戻ると彼はアキアカネだけを描き続けた。最終決戦の日。宮殿に集った二人の前に殿下が御出ました。
殿下の出席は予定にはなかったので製作委員会の職員らは慌てた。自分の記念貨幣ゆえ自分も立ち会いたいと仰られたのだ。
老人の絵は富士山をバックにオニヤンマが雄大に飛んでいるもの。
青年の絵は夕日を背にアキアカネが稲穂に留まっているもの。
日本画とパソコンのソフトで作成されたデザインとの違いはあるが、いずれも素晴らしい出来栄えで会場に溜息が漏れた。当の二人とも相手の絵を見た途端、声が出ない。いやな汗が出てきた。
殿下の目が二つの絵の間をいったりきたりした。しばらくし、
「どちらも素晴らしい出来だ。僕のためにありがとう」
もったいないお言葉に、二人とも俯いた。
「……ところで、部屋の掃除をしてたら小学校のコンクールで金賞を獲った絵が出てきたんだ。蜻蛉の。僕の記念貨幣だし、この絵を使ってもらえないかなあ?」
えっ、と、老人と青年は顔を見合わせた。すぐさま職員が「は、ははっ」と言って、殿下の絵が採用されることが足下決定された。
こうして記念貨幣は、表面が殿下のシオカラトンボ。裏面の水草を老人が、文字・価格・年号を青年が担当することとあいなった。
(了)
「殿下は虫がお好きだ。ことに蜻蛉が。故に貨幣の表を蜻蛉のデザインにすることは既に決定されている」
「問題は二人のどちらにするかだ」
「画家の芸術性は陛下のお墨付きだ。彼の作品を何点もお買い上げになっている。あっ今回のはコンペで決まったので、決して手回しじゃないぞ」
「いや、若い殿下の感性に近い青年にするべきだ」
意見が分かれて決定打が出ない。製作委員会は二人に最後の対決をさせることにした。あらたに蜻蛉の絵を描いてもらい、殿下に選んでもらう。殿下に任せよう。猶予は一ヶ月。
報せを聞き老人は憤慨した。陛下お二人とも、わしの絵を気に入って下さっておる。この期に及んで下の者が迷いを示すとは何事か。相手は二十歳そこそこの若者だと。ケッ、ふざけるな。絵は、技術だけではない。長年培った経験、苦悩の堆積を突き破る画家の思いが滲み出ないように滲み出たものだけが傑作と呼べるのだ。若造に負ける訳にはいかぬ。
画家は自作の山をひっくりかえし蜻蛉の絵を集めた。蜻蛉の王様はなんといってもオニヤンマだ。将来の陛下になられる殿下にはやはり、オニヤンマが相応しかろう。
画家は昼夜、オニヤンマの絵に没頭した。
青年は報せを聞き歓喜のあまり動けずにいた。仕事がなくデザイン公募に明け暮れる日々。貯金が底をつき、マクドナルドのバイトに応募しようとしていたところだった。落ち着け、自分。これは決定じゃないんだ。画家との最終決戦に打ち勝たねば。
青年はネットで殿下のお好きな蜻蛉の種類を調べようとしたが、判らず、調べるうちにこれは邪道なやり方だと思いいたった。
駄目だ駄目だ。俺は童心に帰らねばならぬ。
青年は田舎の実家に帰った。無職の彼を父も妹も白い目で見、ろくでなし早く帰れといわんばかりの態度だ。母だけが彼を心配し、金と米を送るからと言ってくれた。
青年は御達しを三人に言わなかった。まだ決定ではないのだ。後になり駄目でしたとなれば父妹にはさんざんに馬鹿にされ、母はがっかりするだろう。
彼は朝食をとるとすぐさま裏の山に登った。水辺にオハグロトンボがいた。スマホに撮り、素早くスケッチもする。オニヤンマが悠々と彼の頭上を越えた。
こうして一日中、山を駆け回った。時間を立つのを忘れた。子供に戻ったように夢中だった。気づくとすっかり日が暮れ、足元がおぼつかない。慌てて山を下りた。
ちょうど山の端に夕日が隠れるところだった。稲刈りを終えた田が橙に染まる。そのとき彼の鼻先をアキアカネが横切った。いつしか数多のアキアカネが彼の周りを舞っていた。
彼の頬にひとすじの涙が流れた。
東京に戻ると彼はアキアカネだけを描き続けた。最終決戦の日。宮殿に集った二人の前に殿下が御出ました。
殿下の出席は予定にはなかったので製作委員会の職員らは慌てた。自分の記念貨幣ゆえ自分も立ち会いたいと仰られたのだ。
老人の絵は富士山をバックにオニヤンマが雄大に飛んでいるもの。
青年の絵は夕日を背にアキアカネが稲穂に留まっているもの。
日本画とパソコンのソフトで作成されたデザインとの違いはあるが、いずれも素晴らしい出来栄えで会場に溜息が漏れた。当の二人とも相手の絵を見た途端、声が出ない。いやな汗が出てきた。
殿下の目が二つの絵の間をいったりきたりした。しばらくし、
「どちらも素晴らしい出来だ。僕のためにありがとう」
もったいないお言葉に、二人とも俯いた。
「……ところで、部屋の掃除をしてたら小学校のコンクールで金賞を獲った絵が出てきたんだ。蜻蛉の。僕の記念貨幣だし、この絵を使ってもらえないかなあ?」
えっ、と、老人と青年は顔を見合わせた。すぐさま職員が「は、ははっ」と言って、殿下の絵が採用されることが足下決定された。
こうして記念貨幣は、表面が殿下のシオカラトンボ。裏面の水草を老人が、文字・価格・年号を青年が担当することとあいなった。
(了)