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W選考委員版「小説でもどうぞ」第3回 選外佳作 夢の向こう側へ/松本愛世

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
選外佳作
「夢の向こう側へ」
松本愛世
 高校生の妹が四年間の片想いに終止符を打ち、とうとう沖田君に告白した。彼が妹の気持ちを受け入れてくれたと聞いた時は、私も自分のことのように嬉しかった。なにしろ中学の入学式で沖田君に一目惚れして以来、妹のせつない想いを毎日聞かされ続けてきたのだから。
「初デートはどこに行くつもりなの?」
 すっかり恋の相談室と化した私の部屋で、私は作業机の前に座り、八オンスのブルーのデニム生地に小さな型紙を置きつつ妹をからかった。
「どこでもいい。一緒に帰るだけでも幸せ」
 妹は体をくねらせながら言う。
「二人で登下校か。青春だねぇ。頑張って同じ高校に入った甲斐があったじゃないの」
「うふふふん」
 スキップで部屋を出ていく妹の背中を、私は微笑ましく見送った。さぁ、私も頑張らないと。神聖な儀式のように背筋をぴんと伸ばし、ミシンに向かった。
 今縫っているのはジーンズだ。ただし人間サイズではなく、掌に乗るくらいの小さなもの。ミニチュアだからといって妥協はしない。ほつれてこないように生地の端にジグザクミシンをかけ、小指の先ほどの大きさのポケットをヒップに、ウエストには二ミリ幅のベルトを通す輪を縫い付け、本物と同じようにオレンジの糸でステッチを全体にかける。一ミリでも縫い目がずれたらシルエットが崩れてしまう。私は瞬きも呼吸もせず、手元を凝視して慎重にミシンの針を走らせた。
 縫いあげたジーンズに三ミリ大のスナップボタンを手で縫いつけ、仕上がりを子細にチェックしてから体長二十二センチのユリちゃん人形に履かせる。午前中に縫ったレース地のキャミソールと相性ばっちりだ。仕上げにスマートフォンでユリちゃんの全身を写し、肩の凝りをほぐすため大きく伸びをした。
 ユリちゃんの衣装デザイナーになり、私がデザインした服を着た彼女を、日本中の玩具売り場に並べる。それが私の夢だ。だからせっせと服を縫い、ユリちゃんに着せて写真を撮っては、メーカーにメールで送ってアピールをしている。返信を貰ったことは一度もないけれど、挫けず何度でもメールを送り続けるつもりだった。
 次の日の夕方、妹が学校から帰宅するなり、この世の終わりみたいな顔をして私の部屋に飛び込んできた。
「お姉ちゃん、どうしよう? 沖田君が映画に行こうって。日曜日の午前十時、駅で待ち合わせる約束しちゃったよ。ねぇ、どうしよう?」
「どうしようって、何が? 何を着ていくか? それとも何を観るかってこと?」
 妹は首を横にぶんぶんと振った。
「映画なんて行きたくない。デートなんてしたくない」
 今にも泣きそうな顔で妹は言う。
「いったい、どうしたの? 片想いがやっと実ったというのに」
 私は反射的に妹の頭を両手で包んだ。
「自分でもわからない。沖田君のことがずっと好きで、つきあえたらいいと思っていた。二人で手を繋いで散歩したり、ショッピングしたりするのが夢だった。だけど、いざデートの約束をしたら急に変な気持ちになったの。もう後戻りできないような、追い詰められた感じ。これなら片想いのままのほうがずっとよかった……」
 長い片想いを実らせた経験がない私は、妹の気持ちがまったく理解できなかった。つまり妹は実際に沖田君を求めていたわけではなく、片想いをしている状況を楽しんでいたということ?
 姉としてどんな言葉をかけるべきか思いあぐねていると、スマートフォンからメールの着信音がした。妹の様子を気にかけつつ片手でスマートフォンを操作する。件名「ママン玩具 来社のお伺い」……。
 その社名が私の脳みそに浸透するまでに一拍あいた。
 ママン玩具! ユリちゃん人形のメーカーからのメールだ。初めての返信。私は普段の三倍くらい大きく目を開いて、メールの本文を読み進めた。
 弊社の玩具を御贔屓いただき……、送ってくださった数々のドレスを実際に見たい……、一度ぜひ御来社を……、十月三日月曜日午前十時のお約束でいかがでしょうか……。
 嘘でしょう? まずそう思った。そして次に私を襲ったのは喜びではなく、戸惑い、恐れ、不安、窒息しそうな息苦しさ。
 逃げたい。元の場所に戻りたい。
「お姉ちゃんもよくわかるよ、由香の気持ち」
 私は情けない声で、力なく妹に共感した。
 知らなかったのだ。夢を叶える過程よりも、夢の向こう側に一歩を踏み出すことの方が、ずっと、ずっと難しいということを。
(了)