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第9回「小説でもどうぞ」選外佳作 会いたかった少女/栗山真太朗

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
第9回結果発表
課 題

冒険

※応募数260編
選外佳作
「会いたかった少女」
栗山真太朗
 最寄り駅のホームでくるりと半身を返した。職場とは反対の電車に乗ったのは魔がさしたか、あるいは五月病のせいだろう。でも気まぐれは長続きしない。勇気もなく僕は、十五分ほどで下車してしまった。
 この時点で職場に向かう電車に乗ったとしても三十分のロスだ。「始業時間には間に合わないかもしれません」と、上司に連絡しなければならない。でも電話をするには電車が乗り入れるホームはうるさすぎる。階段を降りて一度改札のほうへ逃げた。
 すると改札の向こうに相撲取り——力士像が見えた。どこかで見たことのある光景だ、と思ったら、夢の中でみたのだと気づいた。改札を抜けて唐突に相撲取りの銅像があるなんて場所は、どうも現実味がないように思えた。
「あっ」
 声を出して驚いてしまう。ランドセルを背負い改札を抜けていく一団に、見覚えがある少女を見つけたからだ。
「また会えるよね」
 と在りし日の彼女は僕に涙声で言った。小学三年生のころにはなればなれになった幼馴染の女の子だ。当時住んでいたマンションの隣に住んでいた彼女の家庭と、僕の両親とは家族ぐるみの付き合いをしていた。父の転勤を機会として僕らは離れ離れになったのだ。
 もう二十年以上前の話だ。だとすれば、あの少女は幼馴染の娘かもしれない。
 ふらふらと僕は少女を追うように改札を通った。スイカを読み込んだゲートが電子音を鳴らす。小学生の一団に近づくと、見知らぬ男性に呼び止められた。
「ちょっと、何してるんですか?」
 彼は大柄な体つきをしていた。丁寧な口調に咎める語気がある。一瞬何が何だかわからなかった。だが、不機嫌そうな男は体を僕の真正面に向けている。きっと児童に不審者が声をかけようとしていると誤解されたのだ、と気付くのに時間はかからなかった。
「いや、なんでもありませんよ」
 誤魔化しの笑みを浮かべて踵を返そうとした。だが僕は目を見開いた。赤いランドセルの少女がこちらを振り返っていたのだ。
「あなたのこと、私知っているわ」
 遠くて声は聞こえなかった。だが少女のくちびるはそう動いていた。
 無意識に身体が動いた。彼女の近くへ行きたかった。君は幼馴染の娘なのか。確かめたいという冒険心が頭を掠める。
 不意に、右腕に痛みが走った。前進を不意に止められた違和感を感じる前に、僕の目の前まであの屈強な男が移動していたのが分かった。僕は左手を伸ばしていた。少女まであと一メートルもないというのに、届かない。
「あなた、これ以上しつこいと駅員呼ぶよ」
 男の声は雑音にしか聞こえなかったが、やがて耳裏で反響した。駅員を呼ばれたらどうなるか。場合によっては警察に引き渡されるかもしれない。それくらいの想像力は生きている。今日はいつもと同じ、通勤の時間のはずだ。日常が崩される恐怖に血の気が引いた。
 冷静さを取り戻し始めたのか、周りが見え始めた。目の前の赤いランドセルの少女は、まん丸い瞳でふっくらとした頬で僕を見上げている。幼馴染の女の子とは似ても似つかない顔立ちのように思えた。視界が開けてくる。学生らしい女が遠巻きに僕らを観察している。スマホを手に持っていて、もしかしたら通報しようとしているのかもしれない。
 ふと、気が抜けた。手を伸ばして前屈みだった身体のバランスを立て直し、重心を後ろへ戻す。肩を掴んでいる男へゆっくりと顔を向ける。目を合わせて言った。
「すいません。本当になんでもないんです」
 肩にかけられた手の指先から力が抜け、僕は解放される。にらみつけてくる男に頭を下げ、再び改札のほうへ向かう。先ほど抜けたゲートに入るためにスイカをかざす。だが道は開かれなかった。残金が不足していたのだ。
 ばつが悪い心地だ。引き返すためには、スイカに現金をチャージしなければならない。
 切符売り場に行くために振り返る。あっ、と息を飲んだ。僕を止めた男はすでに姿を消していた。代わりに少女がいた。一緒にいた同級生たちは既に先に学校に向かったようだ。
「覚えてくれていてありがとう」
 声は聞こえなかった。だがそんなふうにくちびるが語っていた。そしてすぐに彼女は僕から背を向け、駆け足で去っていった。
 夢から覚めた気分だ。体が軽い。見上げると駅名の看板がある。はじめてここが、僕が幼馴染と共に過ごした街の駅だと気づいた。
 連絡を入れなければならない。僕は「遅刻します」と上司に報告し、職場に向かうために切符売り場に向かった。
 日常に戻る時間だった。
(了)