第9回「小説でもどうぞ」選外佳作 店長の気まぐれラーメン/入月景史
第9回結果発表
課 題
冒険
※応募数260編
選外佳作
「店長の気まぐれラーメン」
入月景史
「店長の気まぐれラーメン」
入月景史
妻を助手席に乗せて車を走らせながら、昼食はどこにしようかと見慣れた景色を流し見ていた。ここ数年でやたらとチェーン店の増えたこの界隈には、回転寿司、鉄板焼き、ラーメン屋からファミレスと一通りの店舗が揃っていたが、選択肢が多すぎるがゆえに却って決まらず、もう十分以上も車を走らせていた。
「ねえあなた、あのお店。あんなところにお店なんてあったかしら?」妻が唐突に指さした方向に横目をやると、何やら小汚い食堂のような建物が見えた。
「ちょっと冒険してみよっか?」
妻の声のトーンが少しだけ上がった。顔を見ずともその表情に笑みが浮かんでいるのが分かった。「冗談だろ? 大体あんな汚い所、営業してるのかどうかも怪しいぞ」
「いいじゃない、行くだけ行ってみましょうよ。もうこの辺のお店飽きちゃったし」
「じゃあ……覗くだけ覗いてみるか」
「ねえあなた、あのお店。あんなところにお店なんてあったかしら?」妻が唐突に指さした方向に横目をやると、何やら小汚い食堂のような建物が見えた。
「ちょっと冒険してみよっか?」
妻の声のトーンが少しだけ上がった。顔を見ずともその表情に笑みが浮かんでいるのが分かった。「冗談だろ? 大体あんな汚い所、営業してるのかどうかも怪しいぞ」
「いいじゃない、行くだけ行ってみましょうよ。もうこの辺のお店飽きちゃったし」
「じゃあ……覗くだけ覗いてみるか」
到着すると、店の駐車場らしき空き地には車が二台停まっており、店の入り口には「ラーメン」と書かれた暖簾がかかっていた。ただ建物自体はかなり立ち腐れており、ちょっとした地震でも来ようものならすぐに崩壊してしまいそうな、少なくとも繁盛の二文字とは程遠い雰囲気がプンプンに漂っていた。
「暖簾も出てるし、やってるんじゃない? 入ってみましょうよ」妻はやたらと楽しそうだった。私は気が進まないながらも妻の好奇心を汲み、引き戸を開けた。滑りが悪くガラガラとやかましい音が響く。
店内は閑散としていた。四卓あるテーブルは全て空席で、カウンター席には中年の男性客が一人、その向こうに見える厨房には、この店の大将と思しき初老の男が洗い物か何かをしていた。
「……ああ、いらっしゃいませ。空いてる席へどうぞ」大将はこちらを一瞥すると愛想のない口調でそう言った。どうやら従業員はあの大将だけのようだ。
私と妻は一番手前にあるテーブル席に腰をおろした。埃っぽいテーブルに嫌悪感を抱きながら、これまた埃っぽいメニュー表を手に取った。
「私タンメンにしようかな。あ、ギョーザも食べたいよね」
妻と二人でページをパラパラめくっていると、あるひとつのメニューが目についた。
――店長の気まぐれラーメン。そのメニューだけ、値段が記載されていなかった。
「フフ、何かしらねこれ。ちょっと気になるかも」
「やめておけよ。値段も書いてないし」
「いいじゃない、面白そう」
結局、私は炒飯とギョーザを、妻は好奇心のままにその気まぐれラーメンとやらを注文した。注文の際、その気まぐれラーメンの詳細を大将に聞いてみたが、適当にはぐらかされた。まぁ、値段が書いてないのは恐ろしい気もするが、何万円も請求されるような事はないだろう。
しばらくして注文が運ばれてきた。炒飯とギョーザは至って普通の風貌。しかし、例のもうひとつの注文品が異様な様相を呈していた。
ただのお湯と思われる透明な液体に、麺だけが浮いていたのだ。
「これが気まぐれラーメン? えーと……これはただのお湯ですか?」
妻が大将にそう聞くと、大将は頭をボリボリ掻きながら「いやあ……この店はね、もう潰れるんですよ。最近はチェーン店ばかりあっちこっちに出来ちまって、客はみんなそっちに行っちまった。気分は毎日最悪ですわ。そんな気分で一杯作れって言われたら、まぁ、こんなもんが出来ちまった訳で。はは」と言って黄色い歯を見せた。
「……いや、客に出すなら最低限のクオリティってものがあると思うが?」私は敵意をもって大将を睨みつけた。
「嫌なら食べてくれなくて結構ですよ。もちろんお代は頂きますがね」
「……そうか、いくらだ?」私は妻に(行くぞ)と目で合図をして立ち上がった。
「百万と千二百円になります。すみませんね、値段も気まぐれなもんですから」
「ただのお湯に麺をブチ込んで百万円か。ずいぶんな冒険をするな」
私は妻にキーを渡し「車で待っていてくれ」と店の外へ追い出した。それから学生時代にボクシングで鍛えた拳を固く握りしめ、大将のとぼけた顔面に全力の右ストレートを打ち込んだ。こんなもので人様から百万円を頂こうというのだ。それなりのリスクは覚悟の上だろう。
(了)
「暖簾も出てるし、やってるんじゃない? 入ってみましょうよ」妻はやたらと楽しそうだった。私は気が進まないながらも妻の好奇心を汲み、引き戸を開けた。滑りが悪くガラガラとやかましい音が響く。
店内は閑散としていた。四卓あるテーブルは全て空席で、カウンター席には中年の男性客が一人、その向こうに見える厨房には、この店の大将と思しき初老の男が洗い物か何かをしていた。
「……ああ、いらっしゃいませ。空いてる席へどうぞ」大将はこちらを一瞥すると愛想のない口調でそう言った。どうやら従業員はあの大将だけのようだ。
私と妻は一番手前にあるテーブル席に腰をおろした。埃っぽいテーブルに嫌悪感を抱きながら、これまた埃っぽいメニュー表を手に取った。
「私タンメンにしようかな。あ、ギョーザも食べたいよね」
妻と二人でページをパラパラめくっていると、あるひとつのメニューが目についた。
――店長の気まぐれラーメン。そのメニューだけ、値段が記載されていなかった。
「フフ、何かしらねこれ。ちょっと気になるかも」
「やめておけよ。値段も書いてないし」
「いいじゃない、面白そう」
結局、私は炒飯とギョーザを、妻は好奇心のままにその気まぐれラーメンとやらを注文した。注文の際、その気まぐれラーメンの詳細を大将に聞いてみたが、適当にはぐらかされた。まぁ、値段が書いてないのは恐ろしい気もするが、何万円も請求されるような事はないだろう。
しばらくして注文が運ばれてきた。炒飯とギョーザは至って普通の風貌。しかし、例のもうひとつの注文品が異様な様相を呈していた。
ただのお湯と思われる透明な液体に、麺だけが浮いていたのだ。
「これが気まぐれラーメン? えーと……これはただのお湯ですか?」
妻が大将にそう聞くと、大将は頭をボリボリ掻きながら「いやあ……この店はね、もう潰れるんですよ。最近はチェーン店ばかりあっちこっちに出来ちまって、客はみんなそっちに行っちまった。気分は毎日最悪ですわ。そんな気分で一杯作れって言われたら、まぁ、こんなもんが出来ちまった訳で。はは」と言って黄色い歯を見せた。
「……いや、客に出すなら最低限のクオリティってものがあると思うが?」私は敵意をもって大将を睨みつけた。
「嫌なら食べてくれなくて結構ですよ。もちろんお代は頂きますがね」
「……そうか、いくらだ?」私は妻に(行くぞ)と目で合図をして立ち上がった。
「百万と千二百円になります。すみませんね、値段も気まぐれなもんですから」
「ただのお湯に麺をブチ込んで百万円か。ずいぶんな冒険をするな」
私は妻にキーを渡し「車で待っていてくれ」と店の外へ追い出した。それから学生時代にボクシングで鍛えた拳を固く握りしめ、大将のとぼけた顔面に全力の右ストレートを打ち込んだ。こんなもので人様から百万円を頂こうというのだ。それなりのリスクは覚悟の上だろう。
(了)