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第9回「小説でもどうぞ」選外佳作 冒険を始める/荻野直樹

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
第9回結果発表
課 題

冒険

※応募数260編
選外佳作
「冒険を始める」
荻野直樹
 タイムセールで半額になった総菜と、プライベートブランドの第三のビール。
 日曜の夜。
 また明日から仕事が始まるのかと思うとちょっと憂鬱だが、それでもこの晩餐は私のささやかな幸福の時間だ。
 テーブルに買ってきたおかずを皿に移す事もなくそのまま並べて、まずはビールを一口飲む。この瞬間がたまらない。特に見たい番組がある訳ではないが、何となく寂しいのでテレビを点ける。
 画面に年齢の割には元気そうな老人の姿が現れた。白髪交じりの、八十を優に越えているように見えるが、矍鑠としてインタビューに答えていた。
 どこかで見た事があるような顔だと思いつつも名前が浮かんでこなかったが、見ているうちに堀浦と言う名の冒険家だと分かった。
 若い頃から数々のアドベンチャーに挑み名を馳せ、七十を越えてからも、エベレスト登頂に挑戦し話題になった。それが記憶に残っていたのだろう。
 その堀浦氏が今回はヨットでの単独無寄港世界一周に挑戦するらしい。その特集番組が放送されていたのだ。
 これまでの堀浦氏の冒険の足跡が次々と紹介されて行く。それが仕事と言ってしまえばそれまでだが、まあ凄いものだ。私にはとてもできそうもない。そもそも、やりたいとも思わないが。
 番組の最後に、インタビュアーに意気込みを問われて、堀浦氏は鷹揚として答えた。
「今回の私の冒険を通じて、多くの人、特に同じような年齢の方に少しでも元気を与えられる事が出来れば嬉しいですね」

 番組が終わった。
 私は見ているうちに段々と不機嫌になっていた。
 不満が腹の底から沸々と湧き上がって来るのを鎮める為に四缶目のビールを流し込む。
 そもそも、元気を与えるとかもらうとかの言い回しが嫌いなせいもあるが、それだけではない。
 所詮は個人の道楽にしか過ぎないような事を、まるで世紀の偉業のように取り上げるテレビ局もどうかしていると思うが、その上、背後に多くのスポンサーが付き、更にボランティアの支援者までしっかりとバックアップしている航海に違和感が増すばかりになっていったのだ。
 本当にやりたければ、自分一人の力でやればいいのだ。それこそが真の意味での冒険ではないか。
 多分、ずっと昔から冒険には金がかかっていたのだ。支援者を見つけるのも大きな仕事だったのだろう。それが出来ない者は旅立つ事すら叶わないのだ。
 老いてはいるが、多くのバックアップに支えられ意気揚々と出航して行く冒険家から、こうやって安物のコロッケをつついている私がどう元気をもらえと言うのだ。
 こういうところにも確実に格差は存在する。
「つまるところは金じゃないか」
 私は悪態をつきながらテレビを切った。

 ビールから安物のウイスキーの水割りに変わる頃、私は自分がかなり僻んでいることに気づいた。
 多少、パフォーマンスが過ぎるように思うが堀浦氏には罪はない。私は違うが、中にはあの言葉を前向きに捉えようとする人もいるかも知れない。テレビ局にしたって、視聴率競争が激しい中で、少しでも話題性のある出来事を仰々しい番組にしていくのは仕方がないだろう。
 毒づいたところで、私の生活が劇的に豊かになるはずもない。
 それにしてもだ。
 私がこの先、堀浦氏の年齢に達した時に何が出来るだろう。
 そう考えると侘しくなる。
 あんな冒険はとてもじゃないが無理だし、そうかと言って他に何があるだろうか?
 年齢を重ねて行くに連れて、出来ない事が増えて行くのが老いだと思うけれど、冒険はまさに最たる例だ。
 私はウイスキーを一口飲んだ。
 だったら今から始めなくてはならない。
 駅までの道を変えてみようか。一つ早い電車に乗ってみるのも良い。昼食に新しい店へ行くとか、苦手な日本酒を飲んでみるのもありかも知れない。  ほんの小さな事ではあるが、私にとってはこれもまた冒険であることに変わりがない。
「だけど、しょぼいよな」
 私は呟いてウイスキーグラスを空にした。
 心なしか、いつもより少し苦い味がした。
(了)