【結果発表】忘れられない看護エピソード ~いのちをまもり、支えるプロフェッショナル~
日本看護協会では、5月12日の「看護の日」を中心に行う「看護の日・看護週間」事業の一環として、看護にまつわる「忘れられない看護エピソード~いのちをまもり、支えるプロフェッショナル~」を開催しました。現場で働く看護職の人たちから、看護のプロフェッショナルとしての専門性や魅力が伝わるエピソードが613点も集まりました。
最優秀賞
ここは南の小さな島にあるへき地診療所。医師が常駐しないこの島に医療職者は看護師しかいない。 看護大学卒業後、総合病院の救命救急センターで勤務した私は「病院に来て入院した時にはもう遅い、病院に来ないことが一番だ」。そんなふうに考え、 予防医療の仕事をしようとこの島で働くことを決めた。「信頼される看護師」になろうと意気込んで船のタラップを降り、ワイルドで屈強な島民の方々に迎えられた時、この場所で自分に予防医療なんてできるのだろうかと足がすくんでしまったことを今でも覚えている。診療所の2階に住み始めてからもうすぐ1年。日々の診療所業務やたまに起こるヘリでの急患搬送であっという間に月日が流れてしまった。 予防医療への強い思いは全然形にできていない。 この前、港で 「熱中症予防教室」を開催したけれど、島民の方へ思いは伝わったのだろうか。そもそも「信頼される看護師」になれているのだろうか。鬱屈とした日々が続いていた。
電話はワイルドで屈強な島民の方からだった。 「お前が港でやった熱中症予防教室。 あの時作った、経口補水液のレシピ教えてくれよ。外作業で汗かくから。 熱中症になってお前に迷惑かけるわけにいかないから」。思いが形になった瞬間だった。このために島へ来たんだ。 熱い何かが込み上げた。私は得意気に経口補水液のレシピを伝えた。電話を切り、時計を見ると22時。ワイルドな時間だなあ。でも、心は満たされていた。
「信頼される看護師」なんて簡単に言うけれど、形には見えないから難しい。 この1年で名前を呼んでくれる人や診療所にコーヒーを飲みに来る人が増えた。「信頼される看護師」になれたのかは今でも分からない。 それでも今、この島に住む人が健康で暮らせるように全ての情熱を注ぎ、仕事をしたいと強く思う。私は今、看護師として働く喜びと幸せを感じている。
「南の島から」
内田 善也
内館牧子賞
私が小学5年生だったある日、両親より祖母がくも膜下出血で危篤のため、面会に行くことを告げられた。大好きな祖母の危篤の知らせで、 心臓がドクドク鳴るのが自分でもよく分かった。病室に入ると祖母には人工呼吸器が装着されていた。部屋には呼吸器の音などが響いている。祖母は目を閉じ、口には管を入れられ、口も曲がっているように見える。大好きな祖母なのに、衝撃が強く、怖くなって全く近づけなかった。そこに看護婦さんがやってきた。全く動くことのない祖母に向かって、突然話し掛け始めたのである。「ちょっと横を向きますね。大丈夫ですか」。なぜ反応のない人に話し掛けるのか、全く意味が分からなかった。 びっくりしている私に気付いた看護婦さんは「おばあちゃんの手握ってあげる?」と私に優しく話し掛けて下さった。私はびっくりしたが、看護婦さんと一緒に祖母の手を握ってみた。するとまたその看護婦さんは「良かったですね。お孫さんが来てくれて」と祖母に話し掛けるのである。小学生の私からすると衝撃でしかなかった。この看護婦さん大丈夫かな? とさえ思った。しかし、祖母の顔は微笑んでいるようにも見えるのである。「目は閉じていても、耳は聞こえているのよ」と看護婦さんは私にそっと教えて下さった。そうか、耳は聞こえているんだ。そこから祖母に積極的に話し掛けるようにした。そのたびに口に管が入っているのに微笑んでいるように見えるのである。祖母が息を引き取ったのは、その数日後であった。目を覚まさなかった祖母に、私の声が聞こえていたか確認することはできなかった。またあの世で祖母に会ったら、確認しようと思っている。
「祖母の微笑み」
隅田 優子
優秀賞
Aさんは18歳。交通事故で脳挫傷、心破裂を起こしており、余命が厳しいことを告げられていた。気切チューブに胃管チューブ、点滴ルートは数カ所、全身にあらゆる管が入っており、多量の鎮静薬で眠らされていた。誰が見ても予後は厳しい状況であったが、看護師として20数年、「この子は頑張れる」と何の根拠もない勘が働いた。 自分が受け持ち看護師として、また、Aさんと同じくらいの子どもを持つ母親として、どうしても回復してほしいという願望が強かったのかもしれない。
鎮静薬を中止してから3日目、感情失禁が出てきた。点滴を中止し、栄養チューブ以外の管を全て抜去した。車いすへ移乗し、氷を口に含ませると彼女に笑顔が見られた。「これはいける!」と確信した瞬間だった。それから自分でご飯を食べることから少しずつ練習を始めた。脳挫傷の影響で視力障害が残ったが、愚痴一つ言うことなく 「家に帰りたい」と毎日リハビリを頑張っていた。看護師、医師、関わりのあるすべての人を声で覚えたことは本当に驚いた。努力している姿や劇的に回復していく過程をその日あった出来事に写真を添え、日記として残していくことにした。本人の努力のかいがあり、ほぼ見守り程度で日常生活が送れるまでに回復し、なんと134日目に自宅退院となった。
退院時、彼女に日記を渡した。振り返って見てみると、私が残している言葉は「すごいね!」「すごい!」ばっかりだった。彼女に言えることはそれしかないと思う。 涙ぐむ私に彼女は「大山さん。私、『アンビリバボー』に出られるね!『24時間テレビ』でもいいかな?」。 冗談交じりに言った。私はうなずくことしかできなかった。自分が努力し、それが報われたから言えることだと思う。看護師人生も折り返し地点を過ぎた。 ここまでの奇跡を見せてくれたのは初めてだった。長い彼女の人生をこれからも応援していきたい。
「努力は必ず報われる」
大山 魅香
忘れられない看護エピソード ~いのちをまもり、支えるプロフェッショナル~
●内容:看護のプロフェッショナルとしての専門性や魅力を、次世代を担う若い人々に伝えるエピソードを募集。①看護職部門、②一般部門、③Nursing Now部門。
●主催:公益社団法人 日本看護協会
●応募数:613点