新人賞落選作のパターン その1
先行作品とのバッティング
「公募ガイド」誌で「落選理由を探る」というコーナーを持っているので、私の手元には、新人賞応募落選作が山ほど送られて来る。一時は辟易するほど大量に来たことがあった。
たいていの読後感は「そりゃ、落とされるよ」である。
まず、先行作品のアイディアをパクったもの。文章を丸写しにする盗作とは違い、アイディアに著作権はないので、著作権法上の問題はないが、それでも落とされる。
新人賞は「他の人には思いつかないような物語を書ける新人を発掘する」ことに主眼を置いて選考が行われる。したがって、似たような設定の物語は、束にして落とされる。
「誰それの、かくかくしかじかという作品に酷似している」と指摘されると「私は、その作品は読んでいません。偶然の一致です」という言い訳が返ってくることがあるが、偶然の一致であっても許されない。その作品を読んでいなかった応募者のほうに過失がある。
何らかの法律違反で捕まった時に「私、その法律を知りませんでした」が言い訳として通用しないのと全く同じである。
とにかく先行作品のアイディアとバッティングを起こさないためには、とにかく大量に本を読む以外にない。私は年間に一千冊ペースで本を読んでいる。二百ページぐらいの文庫本なら一時間で読める。
誰が主人公なのか分からない
さて、応募落選作の中には「こんな原稿を書いていたら、百年経ったって新人賞など夢のまた夢だよ」というタイプの作品がある。
それは「いったい誰が主人公なのか、さっぱり分からない作品」である。
私の感覚では、応募落選作の半数が、このタイプの作品だろうという気がしている。
物語がスタートしたら、一行目で主人公を明らかにするのが基本。遅くとも五行以内には主人公を明確にする必要がある。
もちろん、プロローグに「使い捨ての主人公」を持ってくる手法も、ないではない。例えば殺人事件もので、死体の第一発見者を持ってくる、とか。
しかし、全くの初心者には勧めない。ある程度の執筆キャリアを積んだアマチュアにしか勧めない。
まるっきりのアマチュアであれば、とにかく最初から最後まで単独主人公で押し通す。
これは一般論で、去年の日本ミステリー文学大賞新人賞受賞者の茜灯里さんのように、処女作でいきなり江戸川乱歩賞の予選突破、第二作でビッグ・タイトルを射止めるような人もいないわけではないが、あくまでも茜灯里さんのような例は例外中の例外である。
しかし、茜灯里さんは処女作の段階から私の通信添削指導を受けたので、「最初から最後まで単独主人公で押し通す」という基本中の基本ができていたわけだが。
とにかく、「主人公を誰それと決めたら、その主人公の目に映ること、耳に聞こえること以外の情報は文中に書き込んではいけない」が鉄則である。
次から次へと主人公が交代する
応募落選作の内「箸にも棒にもかからない作品」が、ころころ、ころころ、次から次へと主人公が交代していく作品である。
もう、全く主人公の言動に感情移入できない。
「主人公を誰それと決めたら、その主人公の目に映ること、耳に聞こえること以外の情報は文中に書き込んではいけない」を徹底すれば、それなりに小説らしい小説には、なる。
そこまでできたら、次は「主人公のキャラを立てる」が肝心のキーポイントである。
これがまた難しい。小説らしい小説の体裁は整ったが、応募落選作の場合は「主人公が平凡」「何処にでもいるような人」である。
なぜ、こんなにも平凡な人を主人公にしたがるのか、全く私には理解できない。
平凡な人を主人公に設定すれば、日常生活の行動も平凡になる。「誰が書いても似たような話」になる可能性が大。
そこへ強引に異常な事件や突拍子もない大事故を持ち込めば、あたかも「木に竹を接いだ」ようなリアリティというか、説得力のない物語ができあがる。
主人公が平凡では、読んでいて飽きてくるので、感情移入することもできない。
「読者を主人公に感情移入させ、物語世界に引きずり込む」が、新人賞グランプリを射止めようと思ったら鉄則中の鉄則である。
プロフィール
若桜木虔(わかさき・けん) 昭和22年静岡県生まれ。NHK文化センターで小説講座の講師を務める。若桜木虔名義で約300冊、霧島那智名義で約200冊の著書がある。『修善寺・紅葉の誘拐ライン』が文藝春秋2004年傑作ミステリー第9位にランクイン。