時代劇の間違い その5
右肩から抜くか、左肩から抜くか
時代劇ファンで、佐々木小次郎を知らない人は、いないだろう。
さて、佐々木小次郎は、刀の柄が、右肩に来るように担いでいるだろうか、それとも左肩に来るように担いでいるだろうか。
これは、テレビドラマや映画、舞台に携わる人にとって、極めて重大な時代考証の問題である。左右が完全に正反対になってしまうからである。
ある高名な時代考証家が「右肩から抜くのは、不可能。左肩から抜くしかない」と著書の中で触れて、読んだ人は、おそらく圧倒的大多数が信じ込んだだろう。
かく言う私も、信じ込んだ口である。
俳優の杉良太郎さんも、おそらくそうに違いない。舞台で佐々木小次郎を演じる時には、柄が左肩に来るように担いでいる。
このこと(右肩から抜くのは、不可能)を游心流剣術(現代剣道ではない。江戸時代までの古流剣術を研究、実践している派)師範の長野峻也氏に話したところが、「そんなことはない。抜けるよ」と、いとも簡単に右肩から抜刀、納刀して見せてくれた。
あまりにもあっさり抜刀、納刀されるので、つい誰にでも可能な技のような錯覚に陥る見事さだった。
この時に使われたのは、模擬刀(刃を潰して切れない状態にした模擬刀で、切れない点以外は、従来の日本刀と変わりがない)である。
「世の中には、似非(えせ)名人が実に多くてね。ろくな鍛錬もやっていないくせに、ちょっとやってみて、できないだけで、すぐに不可能とか言い出すんだよ。で、その人を本当に名人と信じ込んだ読者が、そうなのか、と納得してしまう。困ったものだよ」
長野さんは、その名人に勝負に出かけたそうである。
「一瞬で片が付いたよ。あれは、昔なら免許皆伝どころか、目録にさえも達していない、初心者に毛が生えた程度の代物だよ。全く、お話にも何にもなりゃしない。あれじゃ、面、籠手、胴の三箇所しか認めない現代剣道にも刃が立たない」と憤慨していた。
ところで、ちょっと古い話になるが、大映で市川雷蔵主演で映画化された『忍びの者』シリーズは、それまでの「ひゅー、どろどろ、ぱっ」のような荒唐無稽(こうとうむけい)の忍者映画と違って、リアリティを追求した忍者映画として、評判になった。
DVDが出ているので、関心のある人は、ご覧いただきたい。
この映画で市川雷蔵は、右肩に柄が来るように刀を背負っている。
しかし、市川雷蔵が右肩に手をやったら、次の瞬間には、抜き身の刀を持っている。つまり、市川雷蔵は右肩から刀を抜くことは、できなかったわけである。
これなど、長野峻也氏の言うように、一朝一夕で修得できる抜刀術ではない証明と言えるだろう。
ちょっと脱線すると、『忍びの者』シリーズには何人かくノ一が出てくるが、美貌と言い、流れるような立ち回りの円滑さといい、最右翼は八千草薫だろう。
なぜか『ウィキペディア』の「八千草薫」の映画出演歴には載っていないのだが、さすがは宝塚歌劇団で鍛えられた運動神経、と感心させられたものである。
この時の八千草薫を超える女優は、志穂美悦子の登場を待たなければならない。
プロフィール
若桜木虔(わかさき・けん) 昭和22年静岡県生まれ。NHK文化センターで小説講座の講師を務める。若桜木虔名義で約300冊、霧島那智名義で約200冊の著書がある。『修善寺・紅葉の誘拐ライン』が文藝春秋2004年傑作ミステリー第9位にランクイン。