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高橋源一郎の小説指南「小説でもどうぞ」選外佳作 はじまり/天城薫

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ

第1回 高橋源一郎の小説指南「小説でもどうぞ」 佳作

はじまり
天城薫

 わたしは六十九歳になりました。母の寿命からすると後十年がタイムリミットになります。今まで生きてきた感覚からすると、大分短いように思われます。家族は三人でしたが、一人息子が結婚して独立し、主人と二人で暮らしています。と言っても、主人は二階でわたしは一階で過ごしています。暮らすというより、文字通り過ごしているだけなのです。食事も別々で、わたしは間借りしている感じです。生活費を頂きながら淋しく過ごしています。

 ある目、主人に「距離を置きたい。わたしが家を出るか、あなたが出るか。それとも上と下で別々に住むか」と突然言われたのです。わたしは咄嗟に「わたしが出ます」と言っていました。行く当てもないのに、結局、近くに住んでいる妹を頼って、しばらくの間置いてもらうことになりました。妹は離婚をしていて、丁度、やはり一人息子がしばらく留守をするので、戻るまで置いてもろうことにしたのです。

 想像もしていなかったことでした。でも考えてみれば、わたしのパニック障害に嫌気がさしていたのかもしれません。何しろ長かったのですから。距離を置きたいと言われた時は、優れた医師にめぐり逢えて、大分良くなってきた頃でした。きっと主人も人生後何年なんて考えたのかもしれません。そして新しい人生を送りたかったのでしよう。老後の人生計画も立てたようで、一緒に送りたいと願う人もできたようでしたし。わたしは、老後の人生計画には入っていませんでした。

 ここからが、主人の新しい人生のはじまりで、そしてわたしの新しい人生のはしまりだったのでしょうか。

 十年を切ったわたしの人生のはじまり。パニック降害と仲良くしるから、フワフワと自然に生きていきたいと思います。わたしには小さな喫茶室があります。実際には信頼のできる二人に任せっきりなのですが、それでもやっていたいのです。もう三十年以上、わたしの人生の半分を占めている大事なお店です。沢山の人々と関わり合いを持ち、オープンから命を持ったお店です。川を見下ろし、いろいろな鳥や小動物が訪れ、森の中のお店のように感じながらやってきました。わたしをはじめ、訪れる人々はみな、そんなお店の主人公になりました。死期を悟った方、病院で、御自宅で死を待っている方が、いろいろな形で、お店でよく口にされていたものを食べにいらしたり、お店の器で食べたいと御家族が取りにいらしたり、とにかく特別なお店なのです。それなのに、パニック障害のためにお逢いできないままお別れしてしまったりしまして、申し訳なく思ってもいます。でもみなさんは、まだお店に来て下さり、楽しんでいらっしゃることと思います。

 わたしの一日は、大体、体調が悪いので、食事をしたら、ベッド兼ソファで横になっているのが多いのです、ただし、韓国のドラマを見ても見なくてかけながら、又はテレビをかけながら。そして動けそうな時に、グッピーの御世話をします。軽く千匹はいると思います。淋しい分、グッピーがどんどん増えてきています。夕方項、お店に寄るか、食事の用意をしに自転車で出かけます。辛い時はだめですが。でも医師に一日に一度は外に出るように言われていますので、なるべく守っているのです。外に出かけるわたしを見て、誰も病気だとは思えないそうで、元気そうにさえ見えるそうです。嬉しいけれど、ちょっと淋しい気持ち。でもこうしてみると、わたしはしあわせな人生を歩んでいるようです。本当にフクフクとわがままに生きているよう。もし、このフワフワに本当に翼が付いたなら、病気も蹴散らして、もっとステキな十年になるかもしんません。その翼ってもしかしたら書くこと、書き留めること、書き出すこと。人が見え、物が見え、何よりも自分が見えてくるような気がします。

 わたしが「コーヒーでもどうぞ!」と言うように、「小説でもどうぞ!」と気が利いていて、どこかくすぐるような言葉が目に飛び込んできました。そして主人に言われたショックな言葉とわたしの立場が、「小説でもどうぞ!」という中にビタリとはめこまれてしまいました。かといって、小説説が書ける訳ではありません。でも、主人の言葉がわたしの人全のすべてに思えていたものが、小説の一部のように感じることができました。すーっと軽くなった心が病気でまだ重い身体をフワフワと導くように、十年目指し翔ぶことをはじまりとしましょう。

(了)