第17回「小説でもどうぞ」選外佳作 ダンボールハウス/村木志乃介
第17回結果発表
課 題
家
※応募数253編
選外佳作
「ダンボールハウス」
村木志乃介
「ダンボールハウス」
村木志乃介
鈍色の空から矢のような雨が降り注ぐ。駅前の家電量販店で見た天気予報によると、今夜から冬型の気圧配置になり、夜は冷え込むらしい。冷たい雨に打たれ、柔らかくなっていくダンボールを抱え、僕は私鉄の高架下を目指して足早に急ぐ。子どもの頃、ダンボールハウスが好きだったけど、まさか大人になってダンボールハウスで生活することになろうとは。あの頃は想像もしていなかった。
大学を卒業して就職した会社では高圧的な上司とそりが合わず、『石の上にも三年』ということわざを達成できず、三ヶ月を待たずに辞表を叩きつけた。こうして職を失い、その後、再就職するため、あちこち面接を受けたものの同じような上司がいたらどうしようと不安な気持ちが湧いてきて二の足を踏んでいたら、まず電気が止まった。それからガス。家賃を滞納したところで僕は住むところまで失い、路頭に迷った。
その高架下は、移動販売のキッチンカーが並んで店を出すくらいのスペースがあり、雨風を凌ぐには絶好のポジションだった。ただし、高架下には先住民がいて新人の僕が入りこむスペースはない。だけどこんな悪天候だ。背に腹は代えられない。
ようやく高架下にたどり着いたときにはずぶ濡れだった。だが考えることはみな同じ。高架下には僕と同じ様にダンボールを抱えた人たちで溢れかえっていた。やれ困った。
「にいちゃん、もうダンボールを置くところなんか、ないでぇ」
どこかで聞いたことのある声がした。温かくて懐かしい声。その声のほうを振り返る。
頭にタオルを巻いた労働者風の恰好をしたおじさんが目を細めて僕を見ていた。
おじさんはギリギリ雨を凌げる場所にダンボールを組み立て、入り口から器用に顔だけを出していた。僕がじっと見ていると、「あんたぁ、濡れとうなかったら、わしのダンボールハウスに入りぃや」と言う。
「いや、どう見ても入れないっしょ」
おじさんのダンボールハウスはどう見てもおじさんが寝そべった状態でいっぱいのサイズだった。
「外からじゃわからんけえ。入ってみい」
意味ありげに僕を見上げるおじさんの言葉に僕はハッとする。それは子どもの頃のことだ。僕は父にせがんで、近くのスーパーからダンボールをもらい、ダンボールハウスを作った。たまたま見たテレビ番組の影響だった。
父と作ったダンボールハウスは、外から見る限り父がひとり入るといっぱいの大きさだった。だけど実際に入ってみると僕と父が入ってちょうどいいサイズだった。父はその後、いろいろあって母と別れたけど、あのとき父が言った言葉がまさしくそれだった。
『外からじゃわからんけえ。入ってみい』
「お、お父さん」思わず口からこぼれ出た言葉に自分でも驚く。幼い頃だったので、父の面影はおぼろげにしか覚えていない。ぼんやりした記憶の中の父は丸顔で目尻が垂れていた。子どもみたいに無邪気に笑う父だった。そして、その顔がいま目の前にあった。
「思い出したか」おじさんが笑顔を向けた。
「お父さんなんだね」
僕は懐かしさに胸が締めつけられた。
「ずいぶん久しぶりやな。はよう入れ」
おじさん、いや、父に導かれ、ダンボールハウスに入る。あったかい。コタツみたいに心休まる温もりがあった。
「あんときもよぉ、こんぐらい温かったなぁ」
父が体を寄せて楽しそうに笑う。
幼い頃、狭いながらも二人でダンボールハウスに入り、コチョコチョとお互いの脇腹をつついたりして笑い声をあげたことを思い出す。僕は童心に戻ったようにワクワクした気持ちで父の温もりを感じた。
母からは、父は勝手に仕事をやめて出て行ったと聞かされていた。ろくでもない男だと。だけど僕は父が大好きだった。だから母に何度も父がどこにいるか聞いた。「勝手に仕事をやめて出て行ったの。どこにいるか知らないわ」母はそれ以上のことは言わなかった。
いまなら父に家を出て行った本当の理由を聞ける。そう思ったけれど、父の笑顔を前にすると訊ねることができず、狭い空間で寄り添いあって笑っていたら、いつのまにか眠っていたようだ。
気がつけば朝を迎えていた。なぜかダンボールハウスに父の姿はなく、外に出ると、うっすら明るくなった青い空に小鳥のさえずる声が響いていた。雨は上がっていた。
仕事をやめたのは僕も同じ。
もうダンボールハウスに温もりはなかった。代わりに体の芯に温もりが残る。
『外からじゃわからんけえ。入ってみい』
ダンボールハウスの温もりが僕の体に残るうちに僕は一からやり直すことを決意した。どんな世界も入ってみないとわからない。きっとダンボールハウスが僕の原点なのだ。
(了)
大学を卒業して就職した会社では高圧的な上司とそりが合わず、『石の上にも三年』ということわざを達成できず、三ヶ月を待たずに辞表を叩きつけた。こうして職を失い、その後、再就職するため、あちこち面接を受けたものの同じような上司がいたらどうしようと不安な気持ちが湧いてきて二の足を踏んでいたら、まず電気が止まった。それからガス。家賃を滞納したところで僕は住むところまで失い、路頭に迷った。
その高架下は、移動販売のキッチンカーが並んで店を出すくらいのスペースがあり、雨風を凌ぐには絶好のポジションだった。ただし、高架下には先住民がいて新人の僕が入りこむスペースはない。だけどこんな悪天候だ。背に腹は代えられない。
ようやく高架下にたどり着いたときにはずぶ濡れだった。だが考えることはみな同じ。高架下には僕と同じ様にダンボールを抱えた人たちで溢れかえっていた。やれ困った。
「にいちゃん、もうダンボールを置くところなんか、ないでぇ」
どこかで聞いたことのある声がした。温かくて懐かしい声。その声のほうを振り返る。
頭にタオルを巻いた労働者風の恰好をしたおじさんが目を細めて僕を見ていた。
おじさんはギリギリ雨を凌げる場所にダンボールを組み立て、入り口から器用に顔だけを出していた。僕がじっと見ていると、「あんたぁ、濡れとうなかったら、わしのダンボールハウスに入りぃや」と言う。
「いや、どう見ても入れないっしょ」
おじさんのダンボールハウスはどう見てもおじさんが寝そべった状態でいっぱいのサイズだった。
「外からじゃわからんけえ。入ってみい」
意味ありげに僕を見上げるおじさんの言葉に僕はハッとする。それは子どもの頃のことだ。僕は父にせがんで、近くのスーパーからダンボールをもらい、ダンボールハウスを作った。たまたま見たテレビ番組の影響だった。
父と作ったダンボールハウスは、外から見る限り父がひとり入るといっぱいの大きさだった。だけど実際に入ってみると僕と父が入ってちょうどいいサイズだった。父はその後、いろいろあって母と別れたけど、あのとき父が言った言葉がまさしくそれだった。
『外からじゃわからんけえ。入ってみい』
「お、お父さん」思わず口からこぼれ出た言葉に自分でも驚く。幼い頃だったので、父の面影はおぼろげにしか覚えていない。ぼんやりした記憶の中の父は丸顔で目尻が垂れていた。子どもみたいに無邪気に笑う父だった。そして、その顔がいま目の前にあった。
「思い出したか」おじさんが笑顔を向けた。
「お父さんなんだね」
僕は懐かしさに胸が締めつけられた。
「ずいぶん久しぶりやな。はよう入れ」
おじさん、いや、父に導かれ、ダンボールハウスに入る。あったかい。コタツみたいに心休まる温もりがあった。
「あんときもよぉ、こんぐらい温かったなぁ」
父が体を寄せて楽しそうに笑う。
幼い頃、狭いながらも二人でダンボールハウスに入り、コチョコチョとお互いの脇腹をつついたりして笑い声をあげたことを思い出す。僕は童心に戻ったようにワクワクした気持ちで父の温もりを感じた。
母からは、父は勝手に仕事をやめて出て行ったと聞かされていた。ろくでもない男だと。だけど僕は父が大好きだった。だから母に何度も父がどこにいるか聞いた。「勝手に仕事をやめて出て行ったの。どこにいるか知らないわ」母はそれ以上のことは言わなかった。
いまなら父に家を出て行った本当の理由を聞ける。そう思ったけれど、父の笑顔を前にすると訊ねることができず、狭い空間で寄り添いあって笑っていたら、いつのまにか眠っていたようだ。
気がつけば朝を迎えていた。なぜかダンボールハウスに父の姿はなく、外に出ると、うっすら明るくなった青い空に小鳥のさえずる声が響いていた。雨は上がっていた。
仕事をやめたのは僕も同じ。
もうダンボールハウスに温もりはなかった。代わりに体の芯に温もりが残る。
『外からじゃわからんけえ。入ってみい』
ダンボールハウスの温もりが僕の体に残るうちに僕は一からやり直すことを決意した。どんな世界も入ってみないとわからない。きっとダンボールハウスが僕の原点なのだ。
(了)