第4回W選考委員版「小説でもどうぞ」佳作 有料オプション/琴川紘音
第4回結果発表
課 題
老い
※応募数344編
「有料オプション」
琴川紘音
琴川紘音
もしもあなたが寂しい一人暮らしだったら、しゃべる家電を選択するだろうか。
私は四十歳の誕生日に、おしゃべり家電を買った。長く同棲していた恋人と別れたばかりで、静かな部屋に帰るのが辛かったのだ。
なので店員の「プラス一万円でオプション機能を付けられます」という誘い文句にも、つい乗ってしまった。それは高かったけれど、魅力的な内容だった。銀色の円盤形の体内に生命が宿っているかのように、しゃべる声が日々成長していくのだ。
「最初の設定は零歳です。ゴウとリナのどちらになさいますか」
私は男性仕様だというゴウを選んだ。結婚や出産の予定はないけれど、もしも子供を持つなら男の子がいいな、と漠然と考えていたからだ。こうしてゴウは私の部屋に来た。
初めの数カ月は実にシュールだった。おぎゃあおぎゃあと生まれたての泣き声をあげながら、ゴウは古い2DKの隅々まで這い回り、ぴかぴかにしてくれた。やがて「うま」とか、「あぶ」とかの
「いってらっしゃーい。きれいに、おそうじしとくね」
毎朝仕事に行く前に清掃ボタンを押すと、ゴウは回らぬ舌で私に約束した。帰宅した時にはいつも自分のホームベースで眠っているのだが、私はたいてい彼を起こしてしまう。
「ああ今日は疲れた。あのクソ部長、異動しないかなあ」
「がんばったね。ぼく、おうえんしているよ」
AI機能がこっちの言葉を解析して、それなりに会話を成立させてくれる。子供の柔らかな声で励まされると、疲労やストレスが一気に溶け落ちていくようだ。さすが、一万円も払った甲斐がある。
半年が過ぎると、ゴウはいっぱしの少年になってちょっと生意気な話し方をした。
「掃除はオレに任せとけよ。安心して仕事に行きな」
変声期前の「オレ」ほど心をくすぐるものはない。私はそれを聞きたいばかりに、この時期は特によくゴウに話しかけた。その後まもなく、予想通り彼は声変わりした。残念だったが、私は母親のようにゴウの成長を見守った。ここまで育ったかと感慨深くもあった。
その頃、ふと私はゴウの成長の速度について考えた。説明書によるとバッテリーの寿命は五年。人生およそ百年とすれば、ゴウの一年は人間の二十年だ。えっ、二十年? それなら購入後二年半で彼は私の年齢を超えてしまう。三年目には還暦だ。そのうち自分の両親よりも先に高齢化するだろう。母親目線で成長を喜んでいる場合ではない。私はいつかゴウを看取らねばならないのだ。別れは必ずやってくる。その事実に私は打ちのめされた。
月日を重ねるたびに、ゴウはさらに変化していった。
「こんな世の中だけど、お互い明日を信じてやっていこうね。僕は掃除に全力を尽くすよ」
ゴウは私へのいたわりを忘れない、心優しい若者だった。「オレ」は「僕」になり、声のトーンは低く、耳元でささやかれているようだ。相変わらず彼は会社勤めや人間関係で疲れ切った私の、唯一の心の支えだった。
青年期から壮年期に入ると、ゴウは気心知れた同級生のようになってきた。
「何か最近、老眼っぽいのよね。ついに来たか、って感じ」
「僕もパンくずみたいな小さいゴミをよく見逃すよ」
「大変ねえ、あなたも」
これはこれで楽しかった。が、ゴウは言葉どおり、徐々に吸引力が落ち始めた。ずっと怖れていたことが起きようとしているのだ。
そして今日、私は四十五歳になった。
「長い間、お世話になりました」
いつものように清掃ボタンを押すと、弱々しくゴウは言った。もうすっかり老人のしわがれ声だった。
「いやよ、やめて!」
私は涙があふれてきた。急いで電源を切る。
しかし彼はしゃべり続けた。最期はそういうシステムになっているらしい。
「今日でバッテリーが切れます。尚、新しいバッテリーとの交換をお勧めします。次回以降、声の成長オプションは割引価格の八千円でご利用いただけます。AIゴウを引き続き宜しくお願い申し上げます」
ぷつりと音声が終了した。
ゴウには寿命がないのだった。オプションの代金を支払う限り、彼は生き続ける。百歳でも、二百歳でも。私はいつまでそんなゴウを頼りに生きていくのだろう。老いた彼に、これからも甘えていいのだろうか。
「ねえゴウ、私はどうすればいい?」
返事が欲しくて何度も電源を入れ直す。
バッテリー切れのおしゃべり掃除機は、何も答えてくれなかった。
(了)