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第4回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 玉手箱/がみの

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結果発表
W選考委員版「小説でもどうぞ」第4回「老い」選考会&結果発表
第4回結果発表
課 題

老い

※応募数344編
選外佳作
「玉手箱」
がみの

 じいさんの葬式に俺は帰省しなかったが、母さんから形見が送られてきた。子どもの頃、じいさんに思いっきりひっぱたかれたことがあって、それ以来まともに口もきいたことがなかった。そんな俺に形見とは。
 段ボール箱を開けてみると、あの薄汚い文箱だった。十文字に縛っている紐だけは新しくしたようだ。
 じいさんはこの文箱を後生大事にしていて、いつも自分の身近に置いていた。そして、家族のみんなに、決して触らないようにと折に触れ注意していた。
 それを俺は開けてしまったのだ。それを見たじいさんの顔を俺は今でも忘れない。人間が本当に落胆した時の表情というのは、あれを指すのだろう。そして、その後の激怒した顔。まさに鬼だった。
 それからじいさんは一気に弱った。年齢よりも若く元気だったじいさんが、年相応に老けた。
 だが、それほど大事なものなら、なぜ子どもの手の届かない所にしまっておかなかったのか。なぜ子どもが簡単に開けられないように固く閉じておかなかったのか。
 それに、その文箱の中にはきれいに磨かれた金属板以外、貴重品など何も入ってなかったのだから、ひっぱたかれるほど悪いことしたとはとても思えなかった。
 段ボール箱の中には、じいさんの手紙が同封されていた。

 健一、私の形見としてこの箱をおまえに譲る。
 昔おまえがこの箱を開けた時、おまえをひっぱたいたことを私は今でも悔やんでいる。しかし、これがどれほど大切なものか知れば、おまえも理解してくれるかもしれない。
 これは浦島太郎の玉手箱だ。
 冗談と思っているかもしれないが、本当だ。もっとも、本当に浦島太郎から受け継いだ玉手箱かどうかはわからない。しかし、同じ機能の玉手箱であることは間違いない。長い年月さまざまな人を経て私が受け継いだものだ。
 この玉手箱には人間の老化を抑える機能がある。原理的な説明は伝わってないが、常に手元に置かなければならないことになっているので、恐らくこの玉手箱から放射線のようなものが出て人の体に影響を与えているのだろう。
 私が常にこの箱を手元から離さなかった理由がそれだ。仕事に行く時も革製のアタッシェケースに入れて持って行ったぐらいだ。会議室やトイレに行く際も持ち歩いたので、会社の人間からはバカにされたものだが。
 家でもアタッシェケースに入れておけばおまえが開けることもなかっただろうが、革であっても覆ってしまうと玉手箱の機能は落ちるようだった。
 私が玉手箱を入手したのは四十歳になった頃だが、その後五十歳になってもほとんど見かけが変わらないと言われたものだ。しかし、毎日鏡を見ていた私はそれでも自分が少し老けたことがわかった。だから、可能な限り玉手箱を剥き出しにしたまま、手元に置いておいたのだ。
 なぜ玉手箱を開けてしまったら機能が失われてしまうのか。それはわからない。同じ人間が再登録も出来ない。ただ、別の人間が登録してまた蓋を閉めれば、玉手箱の機能は復活する。私もそういう状況で譲り受けたのだ。
 健一、私の償いとしてこれを受け取って欲しい。おまえの人生が幸福でありますように。

 うさんくさい話だが、確かにじいさんは見かけが若かった。俺が小学生の頃じいさんは六十歳を超えていたはずだが、ばあさんと一緒にいるのを見ると親子のように見えたし、父さんとは兄弟のように見えた。
 俺は紐を外し玉手箱の蓋を開けた。
 子どもの頃見たように、中には金属板が入っている。じいさんの手紙に同封されていた説明書通りに右手のひらを金属板に乗せる。ひんやりした感触とともに、何か電気のようなものが体の中を巡っていった。カチッと小さな音がした。それが登録完了の印だった。
 俺は蓋を閉め、きつく紐でしばった。
 それから俺は大学に行く際も布製のリュックに玉手箱を入れて通った。バイトの時も飲み会の時にもリュックを肌身離さず手元に置いたので、友人からはバカにされたが、十年後に見返してやる。
 そう思っていたのに、ある日、飲み会の帰りに駅の階段で俺は転倒した。はずみでリュックの留め具が外れ、玉手箱が転がった。そして紐がちぎれて蓋が開いた。

 ということで、もう俺にはこの玉手箱は使えない為、オークションに出品します。最低金額一億円から開始しますので、入札よろしくお願いします。
(了)