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第4回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 記憶銀行/桃山台学

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結果発表
W選考委員版「小説でもどうぞ」第4回「老い」選考会&結果発表
第4回結果発表
課 題

老い

※応募数344編
選外佳作
「記憶銀行」
桃山台学

 老いというのは、もちろん体力が落ちるとか、かつてのようなスピードで走れなくなるとか、身体の切れがなくなるとか、いろいろなことで感じられるわけではあるけれど、やはり、ショックなのは頭のほうであって、特に、記憶力の減退、というのは痛切に老いを感じさせるものである。
 あのほら、あれあれ、あの映画に出ていてさ、というようなことをいう老人たちを見て、どうしてこんな事が、と若い頃は思っていた。それが現実に自分のものになってしまっている。固有名詞が出てこない。職場で一緒に働くメンバーでさえ、目の前にいて、名前で呼びかけられないときがある。
 なかでも、つらいのは、記憶が消えていることだ。潜在意識が意識的に消しているのかどうかわからない。過去の記憶の一部分が、まったく覚えていないのだ。たとえば、コンサートであったり、旅行であったり、パンフレットや写真を見て、実際に自分が行っているはず、ということを思う。少しは思い出したりはする。けれど、記憶が抜け落ちる、という表現がまさにぴったりするように、覚えていないことが増えているように思える。

 男が現れたのは、夢の中だった。彼がカバンをあけると、色とりどりのカプセルが入っている。
「これらのカプセルはですね、いままであなたがデポジットしてこられた感情になります」
「デポジット?」 
「あ、はい、いわば、貯金というところですかね」
「それで、どうしていま?」
「そろそろ、これらをお使いになられるタイミングかと存じまして」
 よく見ると、カプセルにはラベルがついている。「よろこび」「あこがれ」「はつこい」「かんどう」「X」といったように。
「これらは、私があなたの若いころの夢にあらわれて、貯金をお勧めしてきたものです。このカプセルをあけると、あの頃の感情がよみがえるのです。効果は、そうですね、ひとつのカプセルで、二時間というところでしょうか。もちろん、夢の中ではなくて、覚醒している状態の現実世界で記憶を味わっていただくことができます」
「このXというのは?」
「それは、タグがつけられない感情です。いわば、シングル・モルトウイスキーに対して、ブレンデッド・ウイスキー。怒りの爆発という場合もありますし、喜びの中にも寂しさがあったり、単一のラベルでおさまらないような感情を貯めたものですな」
 私は考える。夢の中なのに、どうやって支払えばいいのか?
「いえ、お支払いは不要でございます。感情も利息のように長年熟成しているあいだに増幅するものでして、そのあまり分を、わたしたちは有効に利用させていただいています。ですからご心配なく」
 なるほど。こういうことだったのか。
 過去の経験の記憶を、まるで銀行にあずけるように委託していたのだ。だから、記憶がすっぽりと抜け落ちたようになっていたのか。
 去年行った第九のコンサートの記憶は、ここに貯められているのかもしれない。
 私はなんどもラベルを見比べる。どのような感情を呼び起こすのがよいだろうか。
 しかし、悪い想い出を封印するならともかく、自分にとっていい想い出を記憶の銀行にあずけるというのはどういうことなのだろう。記憶にとどめておいて、飴玉のように取り出して思い返すほうがずっといいだろうに。
 いや、違うのかもしれない。忘れるのだ。老いると。だから、いい記憶を、あとから味わえるように、まさに貯金のように銀行に預けるという判断を若い私が夢の中でしていたのかもしれない。自分のことなのだが、特に夢の中のことでもあるし、覚えていない。すっぽりと抜け落ちている。
 さて、どうしようか。老いとともに、久しく忘れていたような感情を味わうほうがよいのだろう。
 ふと、考える。そういえば、『あの気持ち』を味わえなくなってからしばらくたつ。若い頃は、不安定な中ではあるけれど、あの気持ちになることがとても貴重なことであると認識していた。歳をとっても、『あの気持ち』を忘れずにいようと思っていたのに、その感情を味わわなくなって久しく時が過ぎている。
 歳をとると、いままでに経験したことが増えて、鈍感になる。あの頃のフレッシュな心で味わう感動の度合がうすれていく。ビビッドな、鮮烈な色合いが、淡く、淡泊なものへとくすんでいく。
「じゃあ、はつこい」を。
 私が指定すると、男はカプセルを私に渡した。
(了)