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第4回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 シンクロ/辛抱忍

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小説でもどうぞ
結果発表
W選考委員版「小説でもどうぞ」第4回「老い」選考会&結果発表
第4回結果発表
課 題

老い

※応募数344編
選外佳作
「シンクロ」
辛抱忍

 病院の消灯時間は早い。だから、夜は非常に長い。ようやく日付が変わったときだった。私の携帯電話が鳴った。真夜中にいったい誰だろう。相手の電話番号は、XXXX―5005だった。うっすら記憶のある電話番号だったが、誰のだか、思い出せなかった。
 電話に出ると、
「石橋といいます。子どもホットラインでしょうか」
 少年の声だった。どうやら間違い電話のようだ。悩み相談か。今の私には、人の相談に乗れる余裕はないのだが。
「もしもし……」
「はい、どんな悩みだね?」
 私は咳払いし、相談人よろしく思わず答えてしまった。
「僕は年を取るのが怖いのです」
 いじめで苦しんでいる悩みかと思いきや、珍しい悩みだ。
「どうして怖いんだね?」
「五感が衰え、体が不自由になり、持病持ちになったり、歩けなくなったり、そして、大抵苦しみながら死ぬ。人間は死ぬために生まれてきたのですか。そんな理不尽な目に遭いたくないのです。受け入れられないのです」
「君だけじゃない。誰だって、そうだよ」
「おじさんは、そんなことで悩んだことはないのですか」
「んー、ないね。そんなことを考える余裕はなかったね。一日一日を必死で生きてきたからね。ほとんどの人がそうだと思うよ。私に言わせれば、君の悩みは贅沢な悩みだね。私は、八十八年生きてきたけれど、まだまだ長生きしたいと思っているくらいだよ」
「最近、友人が自殺したのです。頭のいい友人でした。社会のことに強い関心を持っていました。新聞をよく読んでいて、博識でした。その友人が、ある日、年を取るのが怖いと言いだしたのです。思い詰めていた様子でした。そして、友人は……」
「悲しい出来事だね」
「友人を亡くして、そのことが気になってしかたがないのです。考えたくないと思えば思うほど、考えてしまうのです」
 少年はすすり泣いていた。
「影響を受けるよね。多感なときだからね」
「おじさんは、どんな仕事に就いたのですか」
「私は、哲学の道に進んだよ」
「哲学って、何ですか」
「そうだね、まさに、君がしているような、生きていることの本質的な意味や問題を探求する学問だよ」
「おもしろそうですね」
「そうかな。あれこれ考えるのは、とても骨が折れるものだよ。よほどの変人じゃないとできない学問だ。ということは私は変人だね。変人が高じて大学教授になったよ」
 私が笑うと、少年もつられてほのかに笑った。
「参考になるかどうかわからないけれど、生きていくための心づもりを教えよう」
「是非、お願いします」
「かいつまんで言うとね、人に頼って生きればいいということだ。頼るというのは、言い方は悪いけど、情けないことじゃないよ。ただし、自分も一定の努力は必要だ。頑張っていれば、誰かが助けてくれるものだ。世の中はそういうふうにできている。だけど、ほんとうに困ったときは、誰かに助けを求めたらいい。鬱という病気を知ってるかな?」
「いいえ」
「私は今まさに鬱になってね、生きる気力を失ってね、病院に頼っているという状況だ。でもね、何とかなると思っているよ。頑張っているから」
「おじさんの話を聞いて、何だか元気が出てきました」
「そう思ってもらえたら、相談に乗った甲斐があったというものだ。私のほうこそ、元気が貰えたよ。ありがとう」
「良かったです」
 最後は、二人で笑った。
 白い月の光が病室の床に差し込んでいた。私は、携帯電話の受信電話番号を確かめてみた。その履歴を見て、それは実家の電話番号であることを思い出した。実家は四十年前に廃屋になっていた。私は思わずかけ直してみた。現在は使われていません、というアナウンスが流れた。当然だった。
 電話の相手は一体誰だったのだろう。そういえば、私と同じ名前だった。私は物思いにふける子どもだったなあ。中学生の頃、友人の弟が自殺したことかあったなあ。いや、記憶違いで、友人だったのかもしれない。一時期、私は深刻に悩んでいたように思う。あの少年は、私自身だったのだろうか。誰かにすがりたいという強い思いが、時空を超えて二人を繋げたのかもしれない。
(了)