第20回「小説でもどうぞ」佳作 人殺し 家田満理
第20回結果発表
課 題
お仕事
※応募数276編
人殺し
家田満理
家田満理
「人殺し」
突然目の前に、見覚えのない女が飛び出してきた。
目が血走っている。何を言っているのか、真意は測りかねた。
「人違いでは」
僕が言うと、女の目が吊り上がる。
「あんた以外に誰がいるのさ。彼を殺しておいて、白々しい」
この女はなんだ。彼って誰。
とりあえず僕は足を速め、彼女を振り切った。
角を曲がると、縁台で将棋を指していた爺さんたちが、立ち上がった。
「おい、あんた、俺たちのあの子を殺したろう」
なんだ、この人たちは。あの子って誰だ。
もしかして僕は、異世界に迷い込んだのだろうか。
呆然としていると、彼らはてんでに僕の肩や背中に手を掛けてきた。
目が死んでいる。こいつらゾンビなのか。
いや、その死んだ魚のような瞳の中に、まぎれもない悲しみがあった。
やめてくれ、僕は思った。そんな目で、僕を見るな。
「わあああ」
甲高い声が聞こえた。
制服姿の女子高生たちが、拳を突き上げて僕の方へ走ってくる。
短いスカートの下から、太い足や細い足が覗いている。その足は近づいてきながら、地団太を踏んでいるのだ。
「こいつ、こいつ」
「殺した、殺した」
僕は逃げた。とりあえず、逃げるしかなかった。
車が急停車する音がして、白いセダンが僕の横に停まった。
顔見知りの横井君が、運転席から僕を手招きしている。
とにかく、ありがたく乗せてもらう。
「大変ですね。ひとまずお宅にお送りしますよ」
家に着くと、当然のように、彼は入ってきた。同時に、態度が一変した。
「どういうことです。私が休暇を取っている間に、無断で彼を殺すなんて」
いつもの愛想の良さは、跡形もなかった。
やくざがウサギの着ぐるみを脱いだとしても、こんなに変貌するものではない。
「どうしたんだ」
聞いてみた。純粋に不思議だった。
それがまた、彼を怒らせた。さっきまでは怒気を含んでいても、丁寧語だった。
それも、剥がれ落ちた。
「盗人猛々しいとは、あんたのことだな。狙ってたんだろう、俺がいない隙を」
突然僕は、皆が言う「彼」が誰なのか理解し、言い訳した。
「仕方なかった。もう、我慢の限界だったんだ」
横井君は、鼻で笑った。
「彼は人気者で、俺も好きだった。彼のような人物は百年に一度しか現れない。それをあんたは殺してしまった。くそっ」
僕は言い返した。
「みんな勝手な思い込みで、彼を偶像視しているだけだ。僕はもううんざりしていた」
横井君が、僕を睨む。
「あんたをどれだけ優遇してきたか」
「もう十分恩返ししただろう」
僕の推理小説に登場する私立探偵、真行寺幹彦は、独特の風貌と推理力で、十年前颯爽と登場した。横井君は、それ以前からずっと僕の担当編集者だった。
真行寺幹彦の変人ぶりを書くのは楽しかった。最初のうちは。
幹彦は瞬く間に人気者になり、掲載誌も単行本も売れに売れた。勝手なもので、次第に僕は飽きた。変わり者の私立探偵に、うんざりしていた。
「真行寺幹彦シリーズは、もう終わりにしたい」何度言っただろう。だが、横井君は首を縦に振らなかった。今や幹彦は出版社の稼ぎ頭で、何より横井君は熱烈なファンだ。
だから彼の留守を狙って、連載の中で幹彦を死なせた。
「先生、こうしましょう。真行寺幹彦は、生きていた。幸い死体は見つかっていません。先日の号では、最終回とも書いてませんから、続きがあっても大丈夫です」
急に丁寧語に戻った横井君の声を聞きながら、僕にはこみあげてくるものがあった。
幹彦を復活させなければ、人殺し呼ばわりされて道も歩けない。と言って、幹彦シリーズは、もううんざり。そうだ、作家を廃業しよう。しかし僕に、退屈な仕事はできそうもない。だったら、いっそ……。
僕はなろう、本物の殺し屋に。
(了)