第26回「小説でもどうぞ」選外佳作 しゃにむにライフ 佐々木祥子
第26回結果発表
課 題
冗談
※応募数241編
選外佳作
しゃにむにライフ 佐々木祥子
しゃにむにライフ 佐々木祥子
仕事帰り、みや子は次の電車が来るのを待っていた。ボーッとしていたら一本乗りそびれてしまったのだ。
二十二歳、新入社員一年目。日々の生活は一変した。仕事という名の正体不明の難敵に立ちはだかれ、同期という名の謎の競争相手とよーいドン。ポーンと投げ入れられた新たな環境の中でもはや日々をただやり過ごしているだけの状態だ。楽しいなんて感覚もなく、「あれ?今日一度も笑ってないな」ということに一日の終わりにようやくに気づき、せいぜい苦笑いする程度だ。
大学四年生の時、就活するのが当たり前という中、数打ちゃ当たる精神で手あたり次第に応募し、引っ掛かったのが今の旅行会社だった。そんな感じなのでやる気もでない。大人になればなるほど本気という言葉からほど遠い生き方になっていることを実感し、やるせない気持ちでいた。子どもの頃はどうしてあんなに毎日がキラキラと輝いていたのだろう。どうでもいいようなことでも本気で楽しみ、怒り、喜び、悲しみ、怖がり、目まぐるしく心を震わせていた。
例えば、あれは小学校低学年の頃。放課後に友達と「私たちは狂暴な熊と、蜂の大群に追われ、命からがらジャングルジム山に逃げて来た」という設定を立てた。もちろん小学校の校庭に熊や大群の蜂がいるわけない。ここからはもう女優だ。安全圏のジャングルジム頂上を目指し、私たちは手を取り合い死に物狂いで逃げようとする。だが追手の勢いがすさまじく、しかも途中には滑り台という崖もあって足が滑ってそう上手くは逃げられないわけだ。そんなことをギャアギャアと本気で何時間もやっていた。冗談でやっていたはずなのに、たくましい想像力により
ほかにも、通学路の途中にある等身大ピエロ人形。目が合うと追いかけてくる、という冗談を真に受け、全速力で毎日逃げた。まだある。将来の夢だった〝宇宙飛行士〟。その夢に向けて鉄棒で〝地球回り〟という技を熱心に練習し続けた。なれるわけないとも思っていたが、自分を信じていた。常に本気だった。
最初は冗談でも、やり始めたからにはいつも本気だった。あの頃の私はどこへ行ったのか。人生経験を積んで〝挫折〟〝嘘〟〝他者との比較〟などを知り、世の中は本気になったところでままならないことを悟る。それを繰り返すうち、みや子は全てのことを何となくやり過ごすような生き方になっていた。
まるでさっき乗りそびれた電車のようだ。視界には入っているのに、本気で見ようとしていないから捉えられなくなっている。電車に乗りそびれたようにこうしてチャンスを次々逃しているのかもしれない。このままの調子で日々を送れば、さぞかし面白味のない人生になることだろう。それでいいのか?
みや子は帰り道を変えた。ちょっと寄ってみたいところができたからだ。着いた先は母校の小学校。あのジャングルジムを見てみたくなったのだ。運よく開いていた門扉を押し開けると自分が小さな小学生に戻ったような錯覚を覚えた。子どもたちが遊び回っている。その隅に変わらずジャングルジムはあった。近づくとそれは思いのほか小さかった。自分が大人になったせいだろうか? 今の私なら一、二歩登れば頂上にタッチできそうだ。
こんな小さなジャングルジムで当時は大スペクタクル映画のように熊と蜂ごっこをしていたわけか。よくそんな冗談を信じ込んで演じられたものだ。ジャングルジムを目の前にすると当時のドキドキした気持ちが蘇ってきた。そうそう、この感じだ。エネルギーを持て余して足がふわふわして走り出さざるを得ないような感覚。毎日ドキドキしていた。
あの頃の、毎日にドキドキするような感覚をまた得たい。大人になったからって枯れたわけじゃない。本気で取り組む力が弱くなっただけだ。もう少し自分で選んだ道を信じてみようか。上手くいかないなら、上手くいくと信じ込めばいい。駅へ戻りながらみや子はそんなことを思っていた。
自分は子どもの頃に思い描いていた大人になれたのか? 「将来は宇宙飛行士になりたい」と、鉄棒でせっせと宙に浮く練習をしていた。宇宙飛行士にはなれなかったけれど、運よく旅行会社には入れたじゃないか。もしかしたら近い将来、気軽に宇宙旅行に行く日が来るかもしれない。そしたら私が考えた宇宙旅行プランを自分でアテンドしてお客様が楽しむ日が来る可能性だってある。それが実現したらおもしろすぎる。
何だか今はそんなの冗談みたいだけれど、それを信じて今をしゃにむに生きてみてもいいじゃないか。きっとまたドキドキできる。子どものように馬鹿みたいに本気になるのも悪くない。
みや子は次に来た電車に、ようやく乗った。
(了)