第7回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 お熊さん 下郷七生実
第7回結果発表
課 題
神さま
※応募数293編
選外佳作
お熊さん 下郷七生実
お熊さん 下郷七生実
お熊さんが初めて私の前に現れたのは、小学六年の秋である。お熊さんは私の田舎にある池に祀られている神様で、戦国時代、その辺りを治めた城主の奥方らしい。
私の母校の小学校では文化祭に、毎年お熊さんの伝説を劇でやるのが目玉だ。その年は私が主役になり、お熊さんを演じた。大役を果たし終えたその夜、お熊さんが部屋に現れた。私が驚いて尻もちを着くと、お熊さんは床に指を揃えて両手を着き、頭を深く下げた。以来、彼女は私と一緒にいる。
お熊さんは十七歳だ。同い年になった頃、私は彼女と喋れるようになっていた。
「なんでずっと私のそばにいるの。池にいなくていいの」
そう訊くとお熊さんは、考え込む仕草をした。
「あなた、武家の血筋だから波長が合うのよ。それに、あんなところに独りきりは淋しいでしょ」
確かに私の高祖父は幕末の落武者である。それに、あの池は山のてっぺんにある底なし池で、みんなに恐れられている。雨乞いの時しか人は寄りつかない。雨乞いなんて今時しないけど。私は、ふうん、と言った。実はこの頃には、お熊さんが鬱陶しくなっていた。
私には友達がいなかった。それは東京の大学に入っても一緒だった。お熊さんが池に里帰りしたら、飲み会や合コンに誘われる。だけど、お熊さんが戻ってきたら見向きもされない。人が自然と離れてゆくのだ。
そんな日々が変わったのは、大きな地震が起きた年のことだった。お熊さんの池の祠が壊れたのだ。直して貰えるまで池から離れられないという話で、しばしお別れした。三年経ってもお熊さんは戻ってこなかった。私はその間に、大学を卒業して就職し、結婚して子供を産んだ。チャンスと思ったのだ。
娘が七ヶ月になる頃、お熊さんは戻ってきた。すごくやつれていた。三年もの間、祠が壊れたことに、誰も気づいてくれなかったそうだ。別に戻ってこなくてもいいのに。内心そう思ったが、娘を見て喜んでくれる彼女に、悪い気はしなかった。
だけど、私はそのあとスピード離婚した。
「お熊さんがそばにいるせいよ!」
私がそう泣き叫ぶと、お熊さんは青ざめ、打掛の袖で顔を覆った。お熊さんはそれから時々消えるようになった。消える日は必ず雨が降った。
私は家でリモートワークし、娘とお熊さんと三人で暮らした。深夜にはパソコンやスマホの電源が勝手に落ちる。そんな時は「働きすぎ」とお熊さんの声がした。
いつしか、家で金縛りに遭ったり、太鼓を乱打する音が聞こえたり、お熊さん以外の視線を感じるようになった。夜になると、お熊さんは完全な大蛇の姿になり、何かに向かってよく威嚇する。舌を突き出してグワアッと言い、尻尾を振り回すのだ。だけど、私は体調が悪くなる一方で、寝たきりになった。お熊さんが助けを呼んでくれて、娘は一時的に施設に預かって貰えることになった。
ある日、蒲団にくるまっていたら、お熊さんが「立って」と言った。ベッドを降りると、頭上から微かにシャラシャラと鈴の音がした。音は近づいてくる。耳を澄ませていると、頭のてっぺんにこつんと小石か何かが当たり、そこから電流が一気に足の先まで駆け下りた。私はびっくりしてその場に倒れた。
背中を強く叩かれ、そこからにゅるにゅると長いものが体に入ってくる。お熊さんだと思った。体の中を撫でられる感触がした。そのあと、私は透明な球体になって抱えられ、すごい速さで上へ上へと滑空し、星灯りもない寒く暗い場所に安置された。その映像は数分で消えた。体調はすっかり良くなった。
娘が施設から帰ってくると、お熊さんは両手をしっかり床に着き、「お暇をいただきます」と言った。位が上がり、池からやっと自由になったそうだ。息子に逢いにゆくと言った。私は昇天しながら蛇の尾が消えてゆく彼女に、「またね」と手を振った。
お熊さんが池にいたのはあそこに身を投げたからだ。戦で殿様が死に、追手から赤子を逃すために心中したと見せかけたのだった。
数年後、娘と船でホエールウォッチングにゆき、帰りに大きな滝に寄った。滝の写真を後で見てみると、白と緑の大きな光の渦が滝の前に重なり、蛇のようだった。今でもたまに、どこからか鈴の音が聞こえる。そんな時、雷が落ちてこないか、私はちょっと身構える。
(了)