若桜木虔先生による文学賞指南。「『凧揚げ』何と読む?」
江戸時代と現代で異なる形状
これは、歌川広重(寛政九年(一七九七)~安政五年(一八五八)が描いた『名所江戸百景』の内の一枚『霞が関』で、凧揚げの風景が描かれている。
ところで、「凧揚げ」は、何と読むだろうか?
「たこあげ」と読むようになったのは、実は江戸時代末期で、江戸時代中期までは「いかあげ」と読んでいたのである。
与謝蕪村の詠んだ句に「凧 きのふの空の 在りどころ」があって、「凧」には「いかのぼり」のルビが振られている。
また、宝井其角の句には「白河の 関に見返れ いかのぼり」がある。
安永四年(一七七五)に武蔵越谷出身の俳人の越谷吾山が出した『物類称呼』(諸地方の方言の解説書)に「紙鳶、畿内にて、いかと云、関東にて、たこといふ」と出てくる。
何で、こんな珍妙なことが起きたのか。
実は正月には、御目見以上の身分の侍(旗本)は江戸城に総登城して将軍に挨拶する。
しかし、御目見以下の身分の侍(御家人)は登城することができないから、正月とあって、子供にせがまれて凧揚げをする。
これを見て、旗本たちが「あれを見ろ。以下の連中が〝いか揚げ〟をやっていやがる」と冷やかす。
これを聞いて頭に来た御家人たちが「いかじゃねえ、たこだ!」と言い返したのが、「凧揚げ」を「たこあげ」と呼ぶようになった始まりで、これが現代に至っているのだ。
実際のところ、初期の凧の形状は、蛸(たこ)よりも烏賊(いか)に似ている。
時代考証に正確な時代劇を書こうと思ったら、こういうところにも、気を配らなければならない。
プロフィール
若桜木虔(わかさき・けん) 昭和22年静岡県生まれ。NHK文化センターで小説講座の講師を務める。若桜木虔名義で約300冊、霧島那智名義で約200冊の著書がある。『修善寺・紅葉の誘拐ライン』が文藝春秋2004年傑作ミステリー第9位にランクイン。