文学賞別傾向と対策5:公募文学賞の歴史 ~明治・大正・昭和・平成~


本邦初の受賞者は「高山樗牛」
明治26年、読売新聞社は「歴史小説歴史脚本」を募集。これは最古の懸賞小説と言われています。同賞は翌27年、2席入選に「瀧口入道」を選びます。受賞者は「無名氏」なる東京帝国大学哲学科の学生、高山林次郎(のちの高山樗牛)で、2等の賞品は金時計でした。
明治30年には、「『万朝報』懸賞小説」が公募されています。こちらは文学賞というより紙上投稿と言ったほうがよい規模。賞金は10円(のちに20円)で、週1回募集、大正13年まで実施されています。
受賞者を見ると、永井荷風、国木田独歩、菊池寛、浜田広介、横光利一、宇野千代らの名前があります。
大倉桃郎と田村俊子
明治37年、大倉桃郎は「大阪朝日創刊25周年記念懸賞長編小説」(1等300円)に家族小説を書くと、作品を友人に託して日露戦争のため出征します。
その小説「琵琶歌」は1等に入選しますが、本名が書かれておらず、大阪朝日新聞は匿名のまま掲載するとともに紙上で呼びかけました。しかし、桃郎は旅順を攻める包囲軍にあり、また原稿を託した友人は他紙の購読者で、桃郎が受賞を知ったのは数カ月もあとでした。大阪朝日新聞は明治43年にも「大朝1万号記念文芸」(1等1000円)を公募し、受賞作として田村俊子「あきらめ」を選出します。
俊子は、生活苦から夫の松魚と喧嘩の絶えない毎日を過ごしており、受賞作は夫に尻をたたかれ、締切間際にやっと応募したものでしたが、当選の知らせが来たのは、皮肉にも別れ話がまとまって家を出ようとしたところだったそうです。
戦前の文学賞の状況
大正14年、文藝春秋は「『文藝春秋』懸賞小説」を募集し、山本周五郎「須磨寺附近」を選んでいます。
昭和3年、改造社は「改造」創刊10周年を記念して「『改造』懸賞創作」を募集(第3回受賞者に芹沢光治良)。中央公論社(現中央公論新社)は「中央公論原稿募集」を実施しています(昭和8年~10年/歴代の受賞者に島木健作、丹羽文雄がいます)。
毎日新聞と朝日新聞
「サンデー毎日」(大阪毎日新聞社)は創刊10周年などの節目に何度か懸賞募集をしており、最初は昭和7年、「創刊10年記念長編大衆文芸」( 受賞者に海音寺潮五郎)を、昭和12年には「創刊15年記念長編」を募集。
続いて昭和26年、当時としては破格の賞金を掲げ、「創刊30年記念100万円懸賞小説」を公募。現代小説1席で新田次郎、同2席で南条範夫、歴史小説2席で永井路子を発掘します。
大阪朝日新聞は、明治期には前出の2賞を、大正期には大正5年「大朝懸賞文芸」、大正8年「大朝創刊40周年記念文芸(受賞者は吉屋信子)、大正15年には「大朝短編小説」を創設。石川達三と平林たい子を発掘します。昭和になってからは、昭和8年の「大阪朝日長編現代小説」(受賞作は横山美智子「緑の地平線」)、昭和13年には「東京朝日創刊50周年記念懸賞小説」(受賞作は大田洋子「桜の国」)を実施しています。
昭和38年には、「朝日新聞1000万円懸賞小説」を募集。三浦綾子の出世作「氷点」を世に送り出します。同作はタイトルをもじった番組(「笑点」)が生まれるほどの話題作でした。
純文学系文学賞創設ラッシュ
戦後は新人文学賞の創設が続きます。
昭和29年に創設、翌年受賞作が発表された「文學界新人賞」は石原慎太郎を発掘し、「太陽族」という流行語まで生みました。昭和31年には「中央公論新人賞」がスタート。第1回受賞作に深沢七郎の「楢山節考」を見出します。
ほか、純文学系の新人賞を見てみると、昭和33年「群像新人文学賞」、昭和36年「文藝賞」、昭和40年「太宰治賞」、昭和43年「新潮新人賞」(昭和29年創設の「同人雑誌賞」の後継公募)とおおむね昭和30年代に生まれています。
これに比べると、昭和52年創設の「すばる文学賞」(第1回受賞者は森瑶子)は後発。また、今はなき「野性時代新人文学賞」(昭和49~59年)と「海燕新人文学賞」(昭和57年~平成8年)はさらに後発組でした。
一方、純文学の衰退を受け、昭和38年「小説現代新人賞」、昭和47年「小説新潮新人賞」、昭和62年「小説すばる新人賞」など、中間小説誌系エンターテインメント文学賞が創設されます。
賞金1000万円時代
昭和後期に活況となった公募といえば、その筆頭は推理小説。推理小説公募は戦前からあり、古くは江戸川乱歩をデビューさせた探偵雑誌『新青年』の「懸賞探偵小説」( 大正9年/博文館)や、探偵雑誌「『宝石』懸賞小説」(昭和21年/岩谷書店=のちの宝石社)があります。
「宝石」は、昭和24年にも「中篇コンテスト」「百万円コンテスト」を実施し、昭和26年には「宝石賞」を創設(昭和38年で終了)。同社主催公募の受賞者を見ると、山田風太郎、島田一男、鮎川哲也など錚々たる面々がいます。なお、この「宝石」は現在の「宝石」(光文社)とは内容的にも全く別ものです。
これら推理小説公募の中で出色の存在と言えば、「幻影城新人賞」(昭和50~53年/幻影城)。探偵小説雑誌「幻影城」からは栗本薫、泡坂妻夫、連城三紀彦らがデビューしています。
昭和も後期になると、推理小説は高額賞金時代を迎えます。「二千万円テレビ懸賞小説」(昭和49年/NETテレビ=現テレビ朝日) や「創業50周年記念1000万円懸賞」( 昭和51年/集英社)、「総額2000万円懸賞小説募集」(昭和56年/徳間書店)などがそうです。
宮部みゆき、高村薫を生んだ、日本テレビ「日本推理サスペンス大賞」(昭和63年~平成6年)、フジテレビ「FNSミステリー大賞」( 昭和63年)、朝日放送「時代小説大賞」(平成2~11年)も賞金は1000万円。また、高額賞金ブームの影響か、「横溝正史賞」と「サントリーミステリー大賞」も途中から賞金を1000万円に増額しています。
平成の文学賞
平成の文学賞を特徴づけるのは、自治体文学とライトノベル。
まず、平成元年に市制100周年を記念して「坊っちゃん文学賞」(松山市)と「自由都市文学賞」(堺市)が始まり、これを皮切りに、わずか5~6年のうちに20件近い賞が創設されるなど自治体文学賞創設ラッシュ期を迎えました。
ライトノベルは、昭和の時代は「小説ジュニア」(のちの「コバルト」)を中心とした女子中高生の小説でしたが、その後、スニーカー文庫、富士見ファンタジア文庫が男子中高生にも人気となり、年齢層も三十代まで広がっています。
公募の世界では、昭和63年「ファンタジア長編小説大賞」、平成6年「電撃小説大賞」、平成7年には「スニーカー大賞」がスタート。現在では20以上の賞がしのぎを削っています。
公募文学賞創設年表
- 明治26年 歴史小説歴史脚本
- 明治30年 「万朝報」懸賞小説
- 明治37年 大阪朝日創刊25周年記念懸賞長編小説
- 明治43年 大朝1万号記念文芸
- 大正9年 『新青年』懸賞探偵小説
- 大正14年 「文藝春秋」懸賞小説
- 大正15年 「サンデー毎日」大衆文芸
- 昭和3年 「改造」懸賞創作
- 昭和7年 「サンデー毎日」創刊10年記念長編大衆文芸
- 昭和8年 大阪朝日長編現代小説
- 昭和12年 「サンデー毎日」創刊15年記念長編
- 昭和13年 東京朝日創刊50周年記念懸賞小説
- 昭和21年 夏目漱石賞(桜菊書院)
- 昭和24年 新潮社文学賞
- 昭和26年 「サンデー毎日」創刊30年記念100万円懸賞小説/講談倶楽部賞
- 昭和27年 オール読物新人賞
- 昭和29年 文學界新人賞(文藝春秋)/学生小説コンクール(河出書房)/同人雑誌賞(新潮社)/江戸川乱歩賞
- 昭和30年 大衆文芸30周年記100万円懸賞
- 昭和31年 中央公論新人賞
- 昭和33年 群像新人文学賞/女流新人賞
- 昭和36年 文藝賞/ハヤカワS-Fコンテスト
- 昭和37年 オール読物推理小説新人賞
- 昭和38年 小説現代新人賞/朝日新聞1000万円懸賞小説
- 昭和40年 太宰治賞/マドモアゼル女流短編新人賞(小学館)
- 昭和41年 双葉推理賞
- 昭和43年 新潮新人賞/小説ジュニア青春新人小説賞
- 昭和47年 小説新潮新人賞
- 昭和49年 野性時代新人文学賞/角川小説賞/NETテレビ二千万円テレビ懸賞小説
- 昭和50年 幻影城新人賞(幻影城)/問題小説新人賞(徳間書店)
- 昭和51年 歴史文学賞/創業50周年記念 1000万円懸賞
- 昭和52年 すばる文学賞/小説CLUB新人賞/奇想天外SF新人賞
- 昭和53年 群像新人長編小説賞/光文社エンタテイメント小説大賞/「小説推理」新人賞
- 昭和54年 星新一ショートショート・コンテスト/ニッポン放送青春文芸賞
- 昭和55年 横溝正史賞
- 昭和56年 徳間書店 総額2000万円懸賞小説募集/サントリーミステリー大賞
- 昭和57 年 海燕新人文学賞/潮賞
- 昭和58年 サンリオ・ロマンス賞
- 昭和62年 小説すばる新人賞
- 昭和63年 日本推理サスペンス大賞/FNSミステリー大賞/パレットノベル大賞/ウィングス小説大賞/フェミナ賞
- 平成元年 坊っちゃん文学賞/自由都市文学賞/日本ファンタジーノベル大賞/朝日新人文学賞
※本記事は「公募ガイド2012年5月号」の記事を再掲載したものです。