第30回「小説でもどうぞ」佳作 よき妻 渡鳥うき
第30回結果発表
課 題
トリック
※応募数237編
よき妻
渡鳥うき
渡鳥うき
窓辺のシクラメンがよく育っている。十二月になっても暖かい日が続いているせいか、日中充分に陽射しを当てさせてやると、ハート形の葉はつややかに伸び、ピンク色の花びらも天に向けて可愛らしく開いた。
植物とは相性が悪いと思っていた。これまでもリビングに飾った花がたった数日で枯れてしまったり、頂きもののハーブも、きちんと世話をしたのに、気付けばしぼんでいたからだ。自分には緑を育てる才能がないのだと落ち込んだりもしたが、このシクラメンは一向に枯れる気配はなく、水を上げ、日光を吸収した分、すくすくと素直に成長した。
名海子はその理由が分かる。自身でも感じているからだ。指先の軽さが物語っている。
ストレスがないせいね。心で
名海子は現在五十二歳。今年の三月に二十三年間連れ添った夫を亡くし、それまで住んでいた自宅を引き払って、小さな海辺の町に越してきた。娘も息子も就職し、それぞれ独立している。なので名海子も一人暮らしだ。
結婚以来専業主婦だったので、大抵のことなら自分でできる。人と話すことが得意でないので、知人がいない町でも不便はなく、かえって自分の身の内を誰も知らない場所が心地よかった。そこそこ蓄えもあるので仕事はしていない。なんとか年金がもらえるまで節約し、できれば死ぬまで働かなくていい暮らしを続けたかった。
やっと手に入れた自由。シクラメンが枯れない生活は名海子にとって長年の夢だった。
専業主婦にとって家庭は鍵の掛かっていない牢獄だ。夫婦仲がうまくいってない場合は地獄に等しい。出て行ってもいいはずだが、行く場所がない。いつかいつか……、と思っているうちに時が流れ、今週中にと決意した矢先に、飼い猫が重い病気に掛かって通院が必要になったり、家のトイレや家電が壊れて修理を余儀なくされるのだ。
夫は日中仕事をしているから、猫を病院に連れて行くのも、業者に電話して修理の日程を決めたりするのも妻である名海子の役目になる。そうしたアクシデントに夫は大抵積極的に関わってこない。「報告」だけを欲しがる。その割に「こんなに高いの?」と領収書には文句を垂らす。君はちゃんとした業者を選んだのか?と遠回しな嫌味でこちらをダメな奴にするのだ。
四つ下の夫は田舎の裕福な家庭に育ち、二十五歳で同じ職場だった名海子と結婚したため、恐ろしく世間知らずで、心は十歳で止まっていた。いつでも自分の欲望が最優先で、過去には浮気もしたし、競馬したさに親から借金もしていた。甘やかされた環境にいた彼は自分の子を叱ることも極力避けたがり、その分名海子が娘と息子の反抗のエネルギーをまともに食らうことになった。
わがままが許されてきた子供たちは、ある時突然モンスターになった。品の悪い遊びを覚え、学校や社会のルールを無視した身勝手な行動を取り、親に悪態をつく。それを成長過程と分かっていても、親ならば見過ごせない状況もある。それを注意すると、彼等はいっぱしの口を利いて反論し、完膚なきまでに攻撃してくる。いつからこんな子になったの?と悲しくなる言葉を吐いてくる。
夫に訴えても「しょうがないよ」しか返ってこない。
「どうせ聞かないんだから」と。
だとしても私の味方をしてくれないのか。夫が一度たりとも子供達の前で名海子を敬ってこなかったせいで、彼等は父親は自分の味方だと自信を付けて母親の名海子をバカにしてきた。常に三対一の構図で敵対される。特に娘は成人になっても名海子を完全に見下していた。
「お前の言ってることも分かる。けどお母さんにその口の利き方はなんだ」
一度でもそう言ってくれればあんなことをしないで済んだ。母親の名誉を守ってくれたなら。
名海子は自らの手で夫を殺した。酔いつぶれると朝まで目を覚まさない夫の首にタオルを巻き、顔に厚手のビニール袋を被せて縛った。手首と足首にも跡が付かぬようハンカチを巻いてから、すずらんテープで
翌朝、夫は紫色の顔で絶命していた。喘息の持病があったので、痰を詰まらせたせいだろうと検死した医師は診断した。誰も名海子を疑わなかった。彼女は半年後に自宅を売り、ずっと憧れていた海辺の町に移り住んだ。もう娘にも息子にも会うつもりはなかった。母親の尊厳を踏みにじってきた子供など愛していない。携帯の番号も変え、知らせずに引っ越しを済ませ、快適な暮らしを満喫している。
名海子は思う。完全犯罪するなら「よき妻」でいることだ。どんなに悔しくても悲しくても我慢してきた。誰にも愚痴を
「しょうがないわよね」
名海子は微笑みながら夫の口癖を
(了)