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第30回「小説でもどうぞ」選外佳作 ハット☆トリック 酒井聡

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
第30回結果発表
課 題

トリック

※応募数237編
選外佳作 

ハット☆トリック 
酒井聡

 先月から小五郎は舞台に立つようになった。同じタイミングで弟子入りしてちょうど一年。マジックの技術では負けていないのに、僕はいまだに裏方しかさせてもらえない。地方公演のときに一緒に温泉に入ろうと言っても断るような、付き合いの悪い小五郎を師匠がなぜ贔屓ひいき するのか僕には納得できなかった。
 だから今日は小五郎が失敗するように細工を施した。彼が失敗すれば僕にチャンスが回ってくるはずだ。
 まず公演の二時間前、白鳩にたらふくの餌と少量の下剤を与えた。鳥は二時間で消化してすぐに糞を垂れる。その鳩はいつも同じ軌道を飛ぶ。客席の手前で旋回して、師匠の頭上を経由して小五郎の元に戻る。ちょうど師匠と小五郎が糞を引っかぶるかたちになる。師匠のツルツルした頭頂に白い糞が命中する様子はさぞ笑いを誘うことだろう。
 小五郎はハットをくるりと回し、机に置いてステッキで叩いた。シーン。鳩は出てこない。ハットを覗き込んだ小五郎は目を見開き、中から両手で丁寧に鳩を取り出し、机に置いた。鳩は震えてうずくまっていた。
「みなさんすみません。私の手際が良すぎたようで、鳩はまだおトイレ中だったようです」
 小五郎は身をかがめて鳩に視線を合わせる。
「おトイレ中に失礼しました」
 滑稽な様子に笑いが起こる。くそ、下剤が裏目に出た。でもこれで終わりじゃない!
 次は紙コップの麦茶を消すマジックだ。なみなみとついであるように見えるものの、紙コップに二重底のしかけがある。そもそも少量しかない麦茶を、二重底の下に仕込んだ凝固剤で固めて、逆さにしても一滴も漏れないというトリックだ。この凝固剤を取り除いておいた。小五郎の慌てふためく顔が目に浮かぶ。
 小五郎はいつもの手順で紙コップを観客に見せ、軽く潰して二重底を取り外す。そして感触で気づく。液体のままであることに。
 さあ、どうする!
 彼は紙コップを破って上半分を取り除いてから言った。
「なみなみつがれていた麦茶のほとんどが消えてなくなりました。いつもはすべて消してしまうところですが、今日は少しだけ残しました。なぜなら」
 彼は背が低くなった紙コップを鳩の前に差し出した。
「彼が脱水気味のようだからです。さあ、お飲み」
 鳩がコップに顔をうずめてごくごくと飲み始める。観客から温かい拍手が送られる。
 こうなったら第三の矢に懸けるしかない。クライマックスの大仕掛け、人体浮遊のイリュージョンをぶち壊す!
 脚立に支えられた台の上に人を寝かせ、その脚立を取り除いても台の位置はそのまま、宙に浮くというものだ。これは脚立から斜めに伸びた鉄柱が台を支えるトリックになっている。僕がこの鉄柱を取り除いてあるので人が浮くはずがない。
 道具の不備に気づいた小五郎はしばし固まる。頭をかいたり、机の鳩の位置を調整したりと、見るからに動揺している。たまらず助けを求めて舞台袖の師匠の元に走り、言葉を交わした。戻ってきた小五郎は気を取り直して両手を広げた。
「さていよいよの人体浮遊。いつもはお客さんに浮いてもらうところですが、今日は特別な演出をお届けします」
 一体どうするつもりなのだろう。
「晋作さん、ちょっとお手伝いをお願いします」
 名前を呼ばれて背筋が凍る。僕が仕込んだものと勘づいたのだろうか。僕を台に寝せて転がり落とす魂胆だろうか。油の切れたロボットのようにぎこちなく台に歩み寄る。天罰が下ろうとしている。
 小五郎が握手の手を差し出してきた。手汗にまみれた手で握り返す。手を離したそのとき、僕は自分の手にインビジブル・スレッドが残されていることに気づいた。マジシャン御用達の、目に見えない糸だ。そして小五郎に短く耳打ちされる。糸は小五郎と鳩につながっている。
「みなさん、ご紹介します。僕の相棒、晋作です。最後の奇跡は彼が引き受けます」
 そう言うと小五郎は台に横たわった。残された僕が観客と対峙するマジシャンの立ち位置になり、拍手を浴びる。小五郎が寝たまま目配せをする。
「3、2、1……」
 僕は小五郎の指示に従ってカウントダウンしてから思いっきり腕を振り上げる。その瞬間、鳩が飛び立ち、同時に小五郎の髪の毛が勢いよく宙を舞う。頭がどうにかなってしまったのかと腰を抜かしかけたが違う。これは、カツラだ!
 僕は耳打ちされた言葉をそのまま叫ぶ。
「人じゃなくて、そっちが浮くんかい!」
 一拍置いて、会場が大爆笑に包まれる。UFOのように浮遊するカツラを全員が目で追う。
 カツラと糸で繋がれた鳩は客席の手前で旋回して、舞台袖に立つ師匠の元を経由して……。
 カツラは師匠の頭にするすると吸い寄せられてピタリと収まった。インビジブル・スレッドは師匠の手にも握られていたらしい。
「さて、ハンカチや人形が浮くのは見たことがあると思いますが、カツラはみなさん初めてだったのではないでしょうか」
 別人のような小五郎が身を起こして観客に呼びかける。
 期せずして初舞台に立って、僕は何より大事なことを学んだ。小五郎が起用されるのは、観客を盛り上げる演出が抜群にうまい上に機転が利くからだ。裏を返すと今の僕に足りないものが見えてくる。小五郎の舞台をもっと見たいと思った。その日以来、マジック界の桂小五郎が名を馳せることになった。
(了)