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第34回「小説でもどうぞ」選外佳作 これが最後ね 柴田歩兵

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小説・シナリオ
小説でもどうぞ
第34回結果発表
課 題

最後

※応募数233編
選外佳作 

これが最後ね 
柴田歩兵

 めぐみが犬を飼いたいと強硬に主張した時、母は猛反対した。
「生き物は死ぬんだよ」
 そう諭されても、めぐみは「何を当たり前のことを」としか思わなかった。
「ザリガニだってハムスターだってヒヨコだってみんな死んじゃったじゃないの」
「そんなこと言ったらお母さんだってめぐみだって死ぬじゃん!」と吐き捨て、押し入れに籠もって泣いた。
 父親が帰ってきて押し入れの襖をノックした時、めぐみは泣き疲れて眠っていたのだが、翌朝目覚めるとベッドの上だった。そして父親の「里親センターに犬を見に行くぞ」と言う声で跳ね起きた。十年間生きて来た中で最高の目覚めだと思った。
 皆一様にフェンス越しから愛嬌を振り撒くなか、一匹だけ隅っこで俯いて震えている子犬がいた。
「この子がいい」
 めぐみは迷わずその子犬を抱き上げた。
「なんか元気なさそうな子だけど」
 母親は気が乗らぬ様子でめぐみの胸に顔を埋めている子犬をみた。柴犬がベースの雑種だった。テリアの血が入っているのか口の周りの毛が少し長い。不精髭のようなその毛が幼い顔にはアンバランスで、余計に貧相な印象を与えていた。
「めぐみがいいならいいんじゃないか」
 すぐに適当なことを言う父親を一瞥したあと、母親は「もう生き物を飼うのはこれが最後ね」とため息をついた。すると子犬はふいに顔を上げて二、三回尻尾を振った。その日めぐみは震える子犬を撫でながら、傍に布団を敷いて眠った。
 めぐみによってケビンと名付けられた子犬は、殆ど愛嬌を振り撒くことのない犬だった。無駄に尻尾を振らず、散歩と食事以外は大抵寝ている。撫でられるのは嫌いではなさそうだったが、どこか「撫でさせてやっている」という尊大な態度が透けて見えるのである。芸を覚えるのは早かったが、そのうち、「お手」と「おかわり」と「伏せ」と「死んだふり」を一度にやってさっさとおやつをもらう術を身に付けた。流れるような一連の動作で芸をこなし、おやつを食べてしまうと、不服そうな顔をして飼い主を見上げた。真っ黒な瞳でじっとめぐみを見つめる。めぐみはつい根負けしてしまい「これが最後ね」と言ってもう一つおまけした。その言葉を聞く時、ケビンは尻尾を振った。
 散歩に行っても好き勝手にめぐみを引っ張り回した。公園を一回りして帰るつもりが、川沿いを通って橋を越え、隣町まで行ってまた公園に戻ってもまだ元気に歩き回る。
「もう帰ろう」と言って家の方向に引っ張るが、足を踏ん張って頑として動かない。なおも引っ張ると食い込んだ首輪で顔が歪み、益々変な顔になった。
「あんたいまメチャクチャ不細工だよ」
 めぐみは思わず笑ってしまう。
「これが最後ね」と根負けして公園の方向へ向かうと、そんなときだけ飛びついて甘えてくるのだった。

 時が経ちめぐみは大人になった。一人暮らしを始めて二年が経過したある日、母親から連絡があった。
「ケビン、もう長くないかも」
 実家に帰る道中、母親の言葉を思い出していた。生き物は死ぬ、その意味があの頃はやっぱりわかっていなかった。そして今でも理解できていない。座席の肘置きに置いた手が少し震えていた。
 ケビンは籐の籠に入って毛布に包まれ寝ていた。浅い呼吸を繰り返しながら時折開く目は真っ白に濁っていた。
 めぐみはケビンが家にやってきた日と同じように、傍に布団を敷いて眠った。結局帰省中にケビンがめぐみの声に反応することはなかった。
「ケビンごめんね、明日は仕事にいなかきゃいけない。そしたらお正月まで帰ってこられないのだ」
 すっかり張りがなくなった不精髭をくすぐるように撫で「これが最後ね」と呟く。そのときケビンはふと顔を上げ、弱々しく尻尾を振った。
「おやつがもらえると思ったのかも」
 母親が思わず吹き出し、それから家族で泣きながら笑った。

 めぐみが帰った翌日にケビンは息を引き取った。もう生き物は飼いたくない。不細工で無愛想でわがままで、変な髭の生えた雑種犬なんて。でもめぐみは思う。いつか子供ができたとして、その子がどうしても犬を飼いたいと言ったら私はどうするだろう。やっぱり「これが最後ね」と言ってしまう気がした。
(了)