9.6更新 VOL.8 大朝創刊40周年記念文芸 文芸公募百年史
今回は、大正年間に実施された大阪朝日新聞の4つの懸賞小説を紹介する。ここからは吉屋信子、石川達三、平林たい子らがデビューしている。
大正5年、大朝懸賞文芸
この連載では過去2回、大阪朝日新聞(大朝)の懸賞小説を紹介したが、同社ではその後も折に触れ、大規模懸賞小説を実施している。
その一つが、大正5年の「大朝懸賞文芸」だ。何を記念して公募したのかと思ったら、大阪朝日新聞本社落成記念だそうだ。まあ、何を記念するにせよ、公募があるのは応募者にはうれしい。
1等は野村愛正「明ゆく路」、2等は沖野岩三郎「宿命」。野村愛正は有島武郎に師事し、戦前には「三国志」ブームのさきがけとなった作家、脚本家だそうだ。沖野岩三郎は大逆事件を扱った「宿命」で作家デビューし、宗教文学、児童文学を書いたという。本業が牧師だったため、牧師作家とも呼ばれたそうだ。
大正8年、大朝創刊40周年記念文芸
大正8年には、創刊40周年を記念して、「大朝創刊40周年記念文芸」を実施している。このときは幸田露伴、徳田秋声、内田魯庵の3氏を選考委員とし、吉屋信子「地の果てまで」を発掘している。吉屋信子はおばあちゃんと言っていい年代の女性に「若い頃、読んでいたました」と言われることがよくあり、名前は知っていたが、よくよく調べてみたら、この人は戦前の少女小説の巨人とも言うべき流行作家だった。
吉屋信子は10代の始め頃に少女雑誌や「文章世界」などへの投稿を始め、明治43年に「少女界」の懸賞小説で『鳴らずの太鼓』が受賞し、賞金を得ている。その後、大正5年には「少女画報」に断続的に連載した『花物語』が女学生の間で絶大な人気となるが、このとき、弱冠二十歳。前出「大朝創刊40周年記念文芸」を受賞して本格的に作家デビューする3年前の話だ。
少女小説から人気となるなんて、唯川恵とか山本文緒とかのコバルト作家を彷彿とさせると思って調べてみたら、吉屋信子を読んでいた作家は山ほどおり、田辺聖子、壷井栄にも影響を及ぼしている。氷室冴子も同様で、『クララ白書』の中では主人公が吉屋信子を愛読しているのだそうだ。ほかにも無数にいるに違いない。まさに少女小説の元祖と言うにふさわしい。
ただ、戦前の戦争協力がいけなかった。軍部も当時のインフルエンサーを放っておかない。本人もこれにこたえ、昭和12年に始まった日中戦争では皇軍慰問特派員として中国へ。その後も満州、インドネシア、ベトナムなどに行き、従軍ルポルタージュを書いている。これが銃後の女性の戦争協力に影響を与えたと戦後になって猛烈に批判され、以降はジャーナリズムから抹殺された状態に近い。戦意高揚の国策文学を書いた作家はほかにもたくさんいただろうに。影響力が大きいとその反動も大きい。
大正15年、大朝三大懸賞文芸 短編小説部門
大正12年には、「大朝1万5000号記念」を実施している。募集したのは当然、小説だろうと思ったが、受賞作、番匠谷英一「黎明」は戯曲だった。小説と戯曲を募集したのか、それとももともと懸賞戯曲だったのか。
大正15年には、「大朝短編小説」を募集している。この賞は「大朝三大懸賞文芸 」の短編小説部門を指すようだが、三大が何を意味するのかわからなかった。おそらく長編部門、脚本部門があったのではないかと推測するが、そちらの記録は残っていない。
一方、短編部門には男子部と女子部があり、各5編、計10編が選ばれ、昭和2年に『群青―朝日新聞社懸賞当選短篇小説集』として出版されている。
この受賞作の中に、石川達三「幸不幸」、平林たい子「残品」が収録されている。石川達三はご存じ、のちの第1回芥川賞受賞者。平林たい子はプロレタリア文学の作家で、転向作家としても知られる女流作家だ。
以下余談。平林たい子の処女作「残品」は「嘲る」と同じ作品。改題の経緯はこうだ。応募時は「喪章を売る」または「喪章を売る生活」だったが、朝日新聞社の意向で「残品」となり、単行本『施療室にて』に収録された際、「嘲る」と再改題された。平林たい子は女学生の頃から社会主義に関心を寄せ、受賞する3年前、関東大震災のときに検挙されていたから、朝日新聞社は穏当なタイトルにしたかったようだ。ちなみに、このときは共産党員だから捕まったのではなく、震災の火を見物に行こうとし、それが不敵と見なされての検挙だった。
大正年間、大阪朝日新聞は懸賞小説を4回実施し、吉屋信子、石川達三、平林たい子を発掘したわけだが、三者三様で面白い。大正期は日本近代文学が発展し、花開いた時期。今につながる小説のほとんどが大正期にはあり、純文学は自然主義、耽美派、白樺派、新思潮派があり、大正後期には新感覚派、プロレタリア文学、推理小説、教養小説も書かれる。少女小説の吉屋信子、純文学の石川達三、プロレタリア文学の平林たい子が受賞したことは、百花繚乱の大正文学をよく象徴している。
文芸公募百年史バックナンバー
VOL.8 大朝創刊40周年記念文芸(大正年間の朝日新聞の懸賞小説)
VOL.7 「帝国文学」「太陽」「文章世界」の懸賞小説
VOL.6 「萬朝報」懸賞小説
VOL.5 「文章倶楽部」懸賞小説
VOL.4 「新小説」懸賞小説
VOL.3 大朝1万号記念文芸
VOL.2 大阪朝日創刊25周年記念懸賞長編小説
VOL.1 歴史小説歴史脚本