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第11回W選考委員版「小説でもどうぞ」佳作 制服譲ります 若林明良

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第11回結果発表
課 題

善意

※応募数253編
制服譲ります 
若林明良

 中田の奥さんからS校の制服を譲って欲しいと言われたんだけど構わない? と母が言ってきたので嫌と即答した。
「娘に訊いて明日の夜に返事すると言ったんだけど、里恵ちゃん、S高に合格したんだって。制服、確か六万はしたけど、もう要らないのにずっと持っていても仕方ないじゃない」
 今春、S高を卒業した女子大生の身である。確かにもう制服は着ないけど、六万もしたのにお母さん、なんで譲る前提で言ってるのよ。善意にもほどがあるわ。冗談じゃない。
 中田家は近所の豪邸だ。お父さんは大手の銀行員でお母さんは専業主婦。里恵には中学生の弟が二人いる。
「中田さんはうちと違ってお金持ちなんだから、制服買うお金ぐらいいくらでもあるでしょ。S校の思い出の詰まった制服なのよ、一生持っておくつもりなんだから絶対に嫌よ。断って」
「まあ、お金持ちほど節約家っていうしねえ……」
 その夜は怒りで眠れなかった。死に物狂いで勉強して受かったS校。県トップの進学校だ。あの娘はS校の賢い生徒なんだと街なかで特別なまなざしを向けられるのが、どんなに快感だったか。制服はその象徴だ。
 小学生の頃、集団登校で中田里恵の手を引いたことはある。ごくおとなしい地味な子で、ほとんど会話をしなかった印象しかない。私の制服を譲れだって? 金持ちの癖になんてケチだろう。図々しい。許せない。
 翌日の土曜日、駅前の書店に行った。美容誌を立ち読みする。と、横から声をかけられた。
「あのう、……吉井景子さん、ですよね?」
 顔を向ける。陶器のような肌、薔薇色の頬。ストレートの黒髪を肩で切り揃え、睫毛が異様に濃い。今読んでいる雑誌から抜け出たような美少女が立っていた。
「……そうですけど、えと、あの」
「私、中田里恵です。母が制服を譲ってなんて失礼なことを言って、ごめんなさい!」
 里恵が勢いよく頭を下げた。周りの人間がいったい何事かと視線を向ける。
「えと、あの、とりあえず頭上げて」
 里恵が頭を上げた。黒目がちの大きな瞳が潤んでいる。……やばい、かわいい。
「えと、失礼ってか、別に失礼じゃないし」
「いえ、制服って思い出の詰まったものだから、ずっと手元に置いておきたいですよね」
 たどたどしく、しかし一生懸命に語る様子が何ともいじらしい。しかしあの地味な子が、こんなに綺麗になったのか。久しぶりに会った姪っ子を見る伯父さんの気持ちが分かった。そうして、伯父さんだってこう言うだろう。
「えと、下の階の喫茶店、ケーキがすごく美味しいのよ。よかったら行かない?」
「ル・スクレですよね、私もあそこのケーキ大好きなんです。はい、ご一緒します!」
 里恵の泣き顔が一転、輝く笑顔になった。やばい、ますますかわいい。
「……でね、数学の望月は要注意よ。奴のテスト、赤点続出だからね。それから現国の林。奥さんは昔の教え子で、実は略奪婚なのよ」
 ル・スクレでケーキを突っつきながら、S校の先輩として偉そうにマル秘を伝授する。
「ええっ、そんなドラマみたいな話、本当にあるんですね!」
 私の話に里恵はいちいち目を丸くして相槌を打ってくれる。ああ、マジでかわいい。調子に乗ってつい、訊いてしまった。
「でも、なんで里恵ちゃんのお母さん、私のくたびれた汚い制服なんか欲しいのかな? 中田さんのおうちだったら新しい制服何着でも買えるでしょ。お金持ちなんだから」
 私の話にころころ笑っていた里恵の顔が一瞬硬くなった。流れるように言う。
「うち、お金持ちじゃないです。お父さん、会社を辞めるんです。お母さん、先月から仕事を始めました。弟二人もいますし、それで」
 つい、目が泳いでしまった。決めつけていた自分が恥ずかしくなった。
「そうだったの……あの、……制服、やっぱりもらってくれない? 必要な人が持ってる方がずっといいし」
「いいえ、手放したらいつかきっと後悔します。それに譲っていただいたら、この先ずっと事あるごとに他人に甘えてしまうと思うんです。だから制服代はお金を貯めて、両親に返すつもりです。S校って家庭の事情があればアルバイトOKと、規定で読みました」
 里恵の瞳が強い光を放っている。
「そっか、わかった。そうそう、バイトしてる人、結構いたわよ。私も一、二年の夏休みに海の家で売り子してた。内緒だけどね」
 緊張を解いたように里恵が笑う。そろそろ出ましょうと、二人して腰を浮かした。精算時、里恵が財布から千円札を抜き、レジのトレイに置こうとするのを私は制した。
「ここはお姉さんに払わせなさい」
 一瞬動きを止めた里恵が姿勢を正し、ごちそうさまですと深く頭を下げた。
(了)