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【地図井式|特別編】文学フリマを選んだ理由 なぜ文フリで落選供養をしようと思ったのか

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コラム

なぜ文フリで落選供養をしようと思ったのか

最初は、落選供養集、というような自嘲的なモノを、何かの合間にちょろっとやろう、本にしてみて満足しようと思っていました。それこそTOLOTみたいなフォトアルバムを作る感覚でいけるだろうと高を括っていました。
個人出店ではなく、公募スクールのサークル出店を選んだのも、締め切り管理をみんなでし合えるし(他人任せ)、スクール生のクオリティにはそれなりに責任はもつだろうし(プロ任せ)、これまでの作品を商業作家に見てもらう機会としてはなんてお得なんだとお得感(コスパ)で決めました
ちなみに、作家であろうとなかろうと、無名の作家の作品を大量に読んでもらってちゃんとした感想や指導をもらうのには実はとてもお金がかかります

と、思っていたのですが期待を裏切られました
他人任せにできないことがいっぱいあり、かつ膨大なバリエーションがあるので、とにかく気軽な気持ちでは行動が続かないのです。
たくさんデータ上でPC上で、小説を書いていたつもりでしたが、小説を書くということと、本にするということはまた違う作業や向き合い方なのだなと、全くかんたん作成ではない、似ている物としては油絵とかのアートに近い作業でした。

校正や細かい修正も永遠にしなければならず、装丁や字組も全て、「自分がどんな本を、本とするのか」という別視点の向き合いかたを自分の作品に対してする必要があり、これまで書いたものに再度向き合うだけでも大変でした。供養やアルバムといった感傷的な態度では全然できず、どこを完成とするか、どれをよしとするかなどを考え続け、結局は自分ごとなので他人もプロも講師も自分のカンバスの外のことで、本当に孤独でした。