【伏線・夢オチ・回想】小説の“禁じ手”は本当にNG? 読者を裏切らない小説の仕掛け術


小説の仕掛け編
小説の仕掛けについて、王道とされるオモテとそのウラを解説!
回想ばかりしているのは禁じ手ですか。
ヒルモ:どんな意図で回想させるのかにもよると思います。行動の経緯や原因を説明するために回想させるとして、何かするごとに回想を入れていたら、作中の現在の話が進みません。また、回想シーンばかりだと、どっちがメイン舞台なのかわからなくなります。
ヨルモ:藤沢周平「ど忘れ万六」では、万六が隠居に至った1年前の事故について長い回想で説明しています。1年前の事故から書き出す手もありましたが、それだと扱う時間が長くなるので、事故については回想で表現しています。こういう回想ならOKです。
謎を残して終わるのは禁じ手ですか。
ヒルモ:「人としてどう生きるか」といったテーマは解けない問題として残されることはありますが、「それでどうなった?」はすべて解決させること。させないと話は終われません。
ヨルモ:すべて書いてしまったら結論を押しつけることになるよね。結末はもう推測できるよねというところまで書こう。または結末が十分にわかるヒントがあれば、謎は残してOKだよ。
ご都合主義の展開は禁じ手ですか。
ヒルモ:ご都合主義というのは、作者の都合で不自然な展開にすること。男女がいて、すぐに濡れ場とか。そういう方向に持っていきたい作者の意図が見え見えの書き方はだめです。「そんな都合のいい展開、あり得ないよなあ」と白けます。
ヨルモ:ストーリーというのは、すべて作者の都合なんですね。だからご都合主義で全然OK。要は、ご都合主義には思えない、極めて自然だと思わせられればいい。そういうふうに書けばいいの。
夢オチで終わるのは禁じ手ですか。
ヒルモ:結末で、「この出来事は夢でした」で終わるのを夢オチと言います。これは、やってはいけない例として有名ですね。読者は主人公になりきってハラハラドキドキして読んできました。そこへ来て「はい、ウソでした」ではなんか裏切られた感じですね。絶対やってはいけません。
ヨルモ:夏目漱石の『夢十夜』の話の中身は夢ですから夢オチとも言えます。でも、「裏切られた、がっかりだ」と言う人はいないよね。要は、読者が「夢でよかった」「夢のほうが面白く読める」と思えばいいわけ。落語の「鼠穴」なんかも、最後はほんと夢でよかったとしみじみと思っちゃうもんね。
【落語「鼠穴」 あらすじ】
親の財産を使い果たした竹次郎は大店を持つ兄に借金し、地道に働き、大旦那になる。10年後、兄に借金を返しに行き、酒を酌み交わし、その夜は兄の家に泊まる。夜半に火事があり、竹次郎は全財産を失う。兄に50両借りたいと申し出るが、今のお前には2両しか貸せないと言われる。仕方なく娘を吉原に売って20両を得るが、直後にスリに遭い、気づくと20両がない! もう首をくくるしかないと死のうとすると、「起きろ」。そこは兄の家だった。
伏線を回収しないのは禁じ手ですか。
ヒルモ:〈皆が歓声を上げる中、一郎だけが浮かない顔をしていた。〉と思わせぶりなことが書かれているのに、話がエンディングを迎えてもそのことについて理由が書かれていないと、あれはなんだったんだと思ってしまいますね。
ヨルモ:伏線にも大ぶりなもの、小ぶりなもの、いろいろあると思うんだ。どんでん返しにつながるような伏線は回収しないといけないけど、回収しなくても不自然ではないちょっとした伏線の場合は、そのまま放置でもいいよね。
【伏線とは?】
伏線とは、のちの展開に備えて、関連した事柄を前のほうでほのめかしておくこと。たとえば、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で最初にバンドオーディションがあるのは、最後にギター演奏する伏線。落雷で壊れた時計台修理の寄付を呼びかけるビラは、後半で「落雷の日時を特定する」伏線。
【伏線の張り方】
伏線の張り方は2つ。1つは、「あとでこんな展開になったら唐突だ」と思い、不自然にならないよう前もって書いておく方法。たくさん張っておき、回収すべきものだけ回収してもいい。もう1つは、あとになって伏線として使えるものがないか探す方法。すでに書いたもので結末を考えるのもよくある方法。
結末はハッピーエンドのほうがいいですか。
ヒルモ:小説の9割はハッピーエンドです。物語の最初ではセントラルクエスチョンとして「主人公の目的は実現するか」が提示されます。となると、一番すっきりするのは「頑張って目的を実現しました」ではないでしょうか。
ヨルモ:主人公が悪漢であるピカレスク小説やノワールでは、バッドエンドが普通だよね。また、「頑張ったから夢が叶った」では安直というケースもあるし、どんな結末にしたらどんなテーマが浮き上がってくるかで判断したいね。
深い小説にする方法
テーマを象徴させた小道具を出す
思いや感情には形がないので、モノに象徴させると伝わりやすくなる。「成金」なら高級腕時計を持たせるとか。テーマも同じで、形あるものになぞらえると印象深くなる。たとえば、村上春樹「螢」、三浦哲郎「拳銃」、神吉拓郎「鮭」、車谷長吉『鹽壺の匙』などは作品自体の深さもあるが、タイトルを思い出すたびにテーマが象徴されてグッとくる。
物語の裏側でなんらかの問いを発す
子どもの頃に遊んだ思い出の岩で、大好きな祖母が事故で亡くなり、苦い思い出の岩になってしまうという一節のある小説がある。そのときのセリフ。
〈「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです」(平野啓一郎『マチネの終わりに』)
この一言で、単なる恋愛小説を脱している!
物語構造の基本について教えてください
物語の型は1つしかないと言われている。それは「行きて帰りし物語」。すべての物語は、「どこかに行き、何事かあって、帰ってくる」という展開。
では、なんのために行くか。それは欠如、損失を取り返すため。「未熟な私」は理想の私から見れば欠如があり、「失恋した私」は恋人を失った私。
それを回復、奪還しようというのが物語上の目的になり、読者に示されるセントラルクエスチョン(謎)となる。
「桃太郎」
桃太郎のいる村は「鬼に荒らされている」という前提がある。鬼退治に行くのは損失の原因となった鬼を退治し、奪われた金銀を奪還するため。
「シンデレラ」
シンデレラは継母にいじめられている。いじめられているということは精神状態はマイナスの状態であり、ストーリーはこの欠如を回復する方向に展開する。
「かちかち山」
婆さんは狸に殺される(損失)。それを回復(仕返し)するために狸の背の薪に火をつけ、報復に来た狸を返り討ちにして泥船に乗せて海に沈める。

※本記事は2020年3月号に掲載した記事を再掲載したものです。