【エッセイにウソはNG? 他人の体験談を書いてもOK?】初心者の疑問に答えます! エッセイで避けるべきパターン6選も伝授


エッセイと日本語編
エッセイと日本語について、教科書的な回答とそのウラを解説!
エッセイにウソを書くことは禁じ手ですか。
ヒルモ:エッセイはノンフィクションに分類されます。空想ではなく、事実を書いたもの。東京に行ったことがないのに「東京に行った」と書いてはだめ。「10年前に体験した自分の出来事」なのに、「最近、知人が体験した出来事」に変えてもいけません。ウソは罪です。
ヨルモ:釈迦のウソは方便と言うけど、悪意のないウソというのもあると思うんだよね。言葉の綾というか、モノを書いている人間は無意識のうちに面白くしようと思ってしまうし、多少は盛ってしまうよね。ただ、バレていないと思っているのは本人だけなのでご注意あれ~!
つれづれなるままに書けばいいんですよね?
ヒルモ:「つれづれ」は「やることがなくて退屈」というような意味ですが、ご質問の意図は、「随筆(エッセイ)は随、つまり、勝手気ままに書いていいか」という意味ですね。はい、そのとおり。おしゃべりをするように思いついたことを書けばOKです。
ヨルモ:モンテーニュの『エセー』には「試論」という意味があるんだそうです。モンテーニュは思想家ですし、エッセイのもとは論文っぽかったんだね。題材として書くか、行間に書くかは別として、「問い」を発してそれに「答える」という結構(組み立て)は必要だよね。
他人の体験談を書いてもいいですか。
ヒルモ:なんのために人から聞いた話を書くかが問題ですね。話のつかみとして書くのならいいけど、「こんな面白い話を聞いた。これはいいネタを見つけた」と喜んでも、所詮は人の話だから思いが伝わらないのでは? エッセイには「私」を書くべきではないかと思います。
ヨルモ:いつもいつも自分の話だけでエッセイを書くのは不可能では? 実体験より聞いた話のほうがはるかに多いし。聞いた話だと前置きしたうえで、見てきたように書くのは表現上の工夫だよ。主題にはなりにくいけど、そこに独自の見方を加えれば十分題材になり得るよ。
日本語の文法は、正しく厳密に使ったほうがいいですか。
ヒルモ:ルール(文法)を守らないと意味が伝わりません。以下の文を読んでください。
❶公園にイベントがある。❷池袋に遊んだ。❸顔中が汗にべとべと。❹母の変わりようを驚いた。
❶は「公園で」が正解。〈公園にベンチがある。〉のようにモノの場合は「に」を使いますが、コトの場合は「で」を使う。❷は「池袋で」。到着は「に」を使いますが、活動する場は「で」。❸は「汗で」、❹は「変わりように」。
ヨルモ:〈千住に詩会があって〉(森鷗外『ヰタ・セクスアリス』)。コトですが、「に」を使っている。
〈北陸に遊んだ。〉(松本清張『点と線』)。詩的な印象を与えたいときは「に」が使える。
〈涙にぬれていた。〉(川端康成『古都』)。これも詩的な使い方。
〈「何を驚いているんだ」〉(野村胡堂「仏像の膝」)。「何に」は「何」に焦点があり、「何を」は驚いていること自体を疑問視している。エッセイでは規範文法に準じつつ、詩的な使い方をしてよい。
同じ作品の中では、表記は統一する?
ヒルモ:アマチュアの方は表記の統一について無頓着な方が多いですが、審査をする側はこれを誤字、推敲不足と見なします。よくあるのは、前半では「僕」と書いていたのに、途中で「ぼく」にするなど、気分で変えている例。また、「変わる」「替わる」「換わる」「代わる」などの同音異字の使い分けができていない例や、「申し込み」と書いたあとに「申込み」と送り仮名の「し」を抜いて書いてしまう例もよく見かけます。表記は統一を!
ヨルモ:用法が違えば統一しなくていいよ。「焼きそば」(普通名詞)と「日清焼そば」(固有名詞)、「お話をしたい」(名詞なので送り仮名なし)と「お話ししたい」(動詞なので送り仮名あり)。それから、意味が違うなら、あるいは強調したいときは表記を変えるのもアリ。〈私がミニカーオタクだと知っている同僚に、「お宅の地下室にあるコレクションを見せてほしい」と言われた〉。オタク=マニア、お宅=あなたという違いがあり、書き分けてもOKだ。
過去に起きたことは過去形で書く?
ヒルモ:日本語の時間は文末の述語で表され、現在形は現在の習慣や未来を表します。たとえば、現在の習慣〈金魚は毎日えさを食べる〉、未来〈金魚がこれからえさを食べる〉、現在進行形〈金魚は今えさを食べている〉。一方、過去形は過去と完了を表します。たとえば、過去〈金魚が昨日えさを食べた〉、完了〈あっ、金魚が今えさを食べた〉。現在形と過去形の入れ替えはできません。〈金魚が昨日えさを食べる〉はおかしいです。
ヨルモ:過去に起きた出来事でも、現在形で書ける場合もあります。〈大人になって、近所の森にクワガタを捕りに行った。かつての昆虫少年の血が騒ぐ。早朝、森の中に入った。空気がひんやりして気持ちいい。樹液の甘いにおいのする木を見つけた。木の裏を覗くと、いるいる。そっとつまみ、かごに入れた〉出来事や行動は過去形がいいが、書き手が感じたこと、心の動き、その場の状況は現在形で書ける。そのほうがいい場合もある。
「を」より、「が」のほうが自然な言い方?
ヒルモ:以下の場合は、「が」も「を」も使えますが、「を」は変だと思う人もいるでしょう。
〈お金が欲しい/お金を欲しい〉
〈カラオケが好きだ/カラオケを好きだ〉
〈アイスが食べたい/アイスを食べたい〉
〈マンガが読める/マンガを読める〉
〈逆立ちができる/逆立ちをできる〉
〈英語がわかる/英語をわかる〉
「が」のほうが古い言い方なので、自然で、対象への気持ちが伝わりますね。
ヨルモ:そんな単純な話ではない。〈彼が好きな人がいる〉は「彼を」なら誤解がないが、「彼が」だと「彼は好き」と勘違いする。〈子どもが字が読めるようになるのは何歳からか〉は「が」が続くので「字を」がいい。〈子育てが協力してできる若い夫婦は素晴らしい〉は「協力して子育てができる」ならいいが、今の語順なら「子育てを」のほうがいい。〈息子の気持ちが一番わかっているのは私だ〉も「息子の気持ちを」のほうが読みやすい。
まずは、ここから抜け出そう! 6つの悪例
予定調和
受験用の小論文に多いタイプ。「電車内で高齢者を見つけ、恥ずかしくて何も言えず、次回は積極的になれる自分でありたい」で締める。人としては100点だけど、エッセイとしては0点。自分にしか書けないことを書いて!
全体を貫くテーマがない
課題が「老人」だとして、老人に関する体験を3つ並べたが、3つの話を統合するテーマがわからないと、「で、何が言いたいの?」となる。串のない焼き鳥状態。話を並べるだけでなく、論理的に積み重ねていく必要がある。
話題の詰め込みすぎ
1文字もむだにはしまい、より多くの情報をぎゅっと凝縮させて届けたいという気持ちが多すぎるタイプ。改行もない。小さなお弁当箱に3人前の量を詰め込み、押しつぶすように入っている状態。文章にも適度な遊びが必要だ。
テーマの押しつけ
書きたいことがあって、結論も決まっていて、最後に「そう思え」と言わんばかりにだめを押す。これだと読み手が考える余地がない。書きながら「本当にそうかな。いや違うな」と書き手自身が気づくような作品のほうが面白い。
自慢話
よくあるのは孫自慢。かわいいのはわかるが、面白くない。不幸自慢というのもある。自慢自体はあっていいし、ほとんどの文章は自慢だが、読んだ人が自慢話だと思わないようにしたい。そのためには自分を客観視するといい。
一般論で〝私〞がいない
実体験を書いて、そこから「今の政治は」とか、「世論調査ではこうだ」「こういう意見もある」と書かれているが、書き手自身の目がどこにもない作品も。事実を報道するだけの記事ならいいが、エッセイであれば「私」を主体に!
※本記事は2020年3月号に掲載した記事を再掲載したものです。