第14回「小説でもどうぞ」佳作 推理してはいけない/秋あきら
第14回結果発表
課 題
忘却
※応募数217編
「推理してはいけない」秋あきら
「あれ、浜辺さんじゃないですか」
声をかけられて振り返ると、自分と同年代の初老の男が笑顔で立っていた。どこで会ったのだったか、確かに見覚えはある。が、名前が出てこない。浩一は曖昧に笑みを作った。
「前にあなたに勧められた推理小説ね、とても面白かったですよ。普段読まない作家なんですが、今度から贔屓にしようかな」
男は、終始笑顔で話し続けている。浩一は眉尻を下げた。
「ええっと、すいません、年のせいか、お名前を……」
「嫌だなあ、友田友夫ですよ」
「友田さん」
「そうです、友田友夫の友だちシリーズ。主人公が友だちの持ち込む事件を解決していく」
どうやら小説の話と勘違いしたようだ。
「実はね、もう二巻を借りて読んでいるんです。今日は三巻を借りて帰ろうと思いまして」
男は首をひねって、カウンターを示した。
毎朝、公園を散歩した帰りに、この図書館に立ち寄るのは、浩一の日課だった。新聞を読みながら、隣接する森林公園を眺めては、半生を振り返る。今も新聞のラックが並んでいる一角へ向かおうとしていたところだった。
「浜辺さんは、今は何をお読みで? 当然、推理小説なんでしょう?」
男はにこやかに問いかけてきた。
「ああ、それは……」
浩一は答えに困った。今読んでいるのは、推理小説に間違いはない。刑事が地道な捜査を続けているが、何度も空振りに終わるので退屈して放り出してしまった。あれは何だったか。確か、赤っぽい色の表紙だった。
「やはりいつもの鉄道ミステリーですか?」
「は、はあ、まあ、そんなところです」
「すごいなあ、浜辺さんは。ボクなんか、数字がダメなもんで、時刻表のトリックがさっぱり分からない。ああいうのを普段から読んでいると、いい脳トレになるんでしょうね」
浩一は、苦笑いを返した。
二人は、どちらからともなく傍にあったソファーに腰掛けていた。正面の壁はガラス張りなので、公園の花壇や小径がよく見える。
浩一は、ちらりと横の男を覗った。相変わらず笑顔で外の景色を眺めている。しかし、一体誰だったろう。私のよく読む本も知っているようだし、やはりここで会って喋る仲だったのだろうか。
窓の外に、小さな子どもを三人も連れた若い男が公園に向かっているのが見えた。イクメンというやつだろうか。
「しかし……一人暮らしだと時間にしばられなくていいですが、時に退屈ですな」
「まったくです」
男の言葉に答えながら浩一は、はっとした。自分が一人暮らしということを、この男は知っているのか。それとも、単に自分のことを言っただけなのか。
「それにしても、時々思い出しますな」
「えっ、ええ、まあ」
驚いた。思い出す、とは何のことだ。もしや、あのことじゃないだろうな。浩一は探りをいれてみることにした。
「あなたのところも、息子さんが?」
男の顔から笑みが消えた。が、そう思ったのもつかの間で、すぐに薄い笑みが浮かんだ。
「なるほど。そうきましたか」
そうきたとは、どういうことだ。ますますワケが分からない。一体、この男は何者なのだ。どうして私は何も覚えていないのだ。浩一の焦る胸中など知る由もなく、男は口元に笑みをのせたまま、窓の外の親子を見つめている。公園では、三人の子どもたちが、それぞれ別の要求を出しているようで、父親らしい若者は右往左往していた。
「いいですなあ。頼られているうちが華です」
「ですな」
「まあ、我々の場合も、経済的には頼られていましたけどね。あの日までは」
浩一は、今度こそ本当にぎくりとした。知っている。この男は、あのことを知っているのだ。私が、息子を殺したということを。なぜ知っているのだろう。私が喋ったのか? まさかな。そんな重要なこと、忘れるわけがない。それにしても「我々」とはどういうことだ。
息子は、もう二十年も引きこもっていた。妻はとっくに愛想をつかして出て行ったし、息子は暴力を振るうようになった。やられる前に、やらなくては。寝ている息子の首に手をかけたのは、何年前だったか。あの森林公園に埋めた。生きていればあの男くらいか。
窓の向こうのイクメンは、スマートフォンを取り出して、操作しながら画面を子どもに見せている。あんな場所にいてまでスマホかと思っていたら、隣の男が立ち上がった。
「では、ボクはそろそろ。お互い、嫌なことはさっさと忘れるに限りますな」
男が立ち去った後も、浩一は窓の外を眺め続けている。
(了)
声をかけられて振り返ると、自分と同年代の初老の男が笑顔で立っていた。どこで会ったのだったか、確かに見覚えはある。が、名前が出てこない。浩一は曖昧に笑みを作った。
「前にあなたに勧められた推理小説ね、とても面白かったですよ。普段読まない作家なんですが、今度から贔屓にしようかな」
男は、終始笑顔で話し続けている。浩一は眉尻を下げた。
「ええっと、すいません、年のせいか、お名前を……」
「嫌だなあ、友田友夫ですよ」
「友田さん」
「そうです、友田友夫の友だちシリーズ。主人公が友だちの持ち込む事件を解決していく」
どうやら小説の話と勘違いしたようだ。
「実はね、もう二巻を借りて読んでいるんです。今日は三巻を借りて帰ろうと思いまして」
男は首をひねって、カウンターを示した。
毎朝、公園を散歩した帰りに、この図書館に立ち寄るのは、浩一の日課だった。新聞を読みながら、隣接する森林公園を眺めては、半生を振り返る。今も新聞のラックが並んでいる一角へ向かおうとしていたところだった。
「浜辺さんは、今は何をお読みで? 当然、推理小説なんでしょう?」
男はにこやかに問いかけてきた。
「ああ、それは……」
浩一は答えに困った。今読んでいるのは、推理小説に間違いはない。刑事が地道な捜査を続けているが、何度も空振りに終わるので退屈して放り出してしまった。あれは何だったか。確か、赤っぽい色の表紙だった。
「やはりいつもの鉄道ミステリーですか?」
「は、はあ、まあ、そんなところです」
「すごいなあ、浜辺さんは。ボクなんか、数字がダメなもんで、時刻表のトリックがさっぱり分からない。ああいうのを普段から読んでいると、いい脳トレになるんでしょうね」
浩一は、苦笑いを返した。
二人は、どちらからともなく傍にあったソファーに腰掛けていた。正面の壁はガラス張りなので、公園の花壇や小径がよく見える。
浩一は、ちらりと横の男を覗った。相変わらず笑顔で外の景色を眺めている。しかし、一体誰だったろう。私のよく読む本も知っているようだし、やはりここで会って喋る仲だったのだろうか。
窓の外に、小さな子どもを三人も連れた若い男が公園に向かっているのが見えた。イクメンというやつだろうか。
「しかし……一人暮らしだと時間にしばられなくていいですが、時に退屈ですな」
「まったくです」
男の言葉に答えながら浩一は、はっとした。自分が一人暮らしということを、この男は知っているのか。それとも、単に自分のことを言っただけなのか。
「それにしても、時々思い出しますな」
「えっ、ええ、まあ」
驚いた。思い出す、とは何のことだ。もしや、あのことじゃないだろうな。浩一は探りをいれてみることにした。
「あなたのところも、息子さんが?」
男の顔から笑みが消えた。が、そう思ったのもつかの間で、すぐに薄い笑みが浮かんだ。
「なるほど。そうきましたか」
そうきたとは、どういうことだ。ますますワケが分からない。一体、この男は何者なのだ。どうして私は何も覚えていないのだ。浩一の焦る胸中など知る由もなく、男は口元に笑みをのせたまま、窓の外の親子を見つめている。公園では、三人の子どもたちが、それぞれ別の要求を出しているようで、父親らしい若者は右往左往していた。
「いいですなあ。頼られているうちが華です」
「ですな」
「まあ、我々の場合も、経済的には頼られていましたけどね。あの日までは」
浩一は、今度こそ本当にぎくりとした。知っている。この男は、あのことを知っているのだ。私が、息子を殺したということを。なぜ知っているのだろう。私が喋ったのか? まさかな。そんな重要なこと、忘れるわけがない。それにしても「我々」とはどういうことだ。
息子は、もう二十年も引きこもっていた。妻はとっくに愛想をつかして出て行ったし、息子は暴力を振るうようになった。やられる前に、やらなくては。寝ている息子の首に手をかけたのは、何年前だったか。あの森林公園に埋めた。生きていればあの男くらいか。
窓の向こうのイクメンは、スマートフォンを取り出して、操作しながら画面を子どもに見せている。あんな場所にいてまでスマホかと思っていたら、隣の男が立ち上がった。
「では、ボクはそろそろ。お互い、嫌なことはさっさと忘れるに限りますな」
男が立ち去った後も、浩一は窓の外を眺め続けている。
(了)