第13回「小説でもどうぞ」佳作 運命の出会い/村木志乃介
第13回結果発表
課 題
あの日
※応募数219編
「運命の出会い」村木志乃介
壁にかけた時計が十二時を報せるとどこからかあの人はノソノソとやってきて、食卓につき、テレビをつける。
ほかにやることはないのだろうか。
夫は定年退職をして以来、ふだんは自室に籠っている。けれど朝八時、昼十二時、夜六時になるとしっかり食卓にやって来て、料理が出てくるのを黙って待っている。
わたしはなぜこの人のごはんを作っているのだろうか、と不思議に思うことがある。それは取りも直さず、なぜこの人を選んだのだろうか、に結びつく。
運命は意地悪だ。あの日、この人が母に会いさえしなければ、別の人生を歩んでいただろうに。忘れもしないあの日のあの時間。
「この地区の担当になりました守屋誠と申します。これからよろしくお願いします」後に夫になる守屋誠は玄関で最初に母に会った。
「あらあら、ご丁寧に。こちらこそよろしくお願いします。それにしても守屋さん、若いわね。もしかして新人さん?」
玄関前で母は彼にあれこれ質問し、すでにそのときには彼の情報をいろいろ聞き出していた。そこにわたしは帰ったのだ。
「おかえり、幸代。ちょうどよかった。うちの地区を担当することになった新人警察官の守屋さんが挨拶に来たとこよ。あなたと同じ年だって。早くこっち来て挨拶なさい」
制服姿の彼は背が高く、すっきりとした顔立ちをしていて、真面目そうな印象だった。
これが運命の出会いだったと思うと、いまさら悔やまれる。命運ともいうかもしれない。
「この子はうちの末の娘で、すごく奥手なの。守屋さんはおつきあいしている方はいらっしゃる? もし探しているなら、うちの幸代なんかどう? この子は家事をしっかりこなせて、気立てもやさしくて、申し分ないですよ」
すでに母は彼のことを気に入っているらしく、笑顔でわたしを押し売りした。
昭和の当時はアプリなんてない。出会いは職場か、親戚の紹介や見合いが多かった。つまり、娘を持つ母親のこうしたアタックはよくある話だった。そして、彼は素直に応えた。
「ぜひ、お願いします。仕事柄、犯人を捜すことはあっても、女性との縁を探す機会はないものでして。自分で言うのも厚かましい話ですが、僕は真面目な男です。幸代さんと結婚を前提におつきあいをさせてください」
母の申し出に深々と頭を下げた。
「幸代。どうなの? お母さんは賛成よ」
母の気持ちは決まっていた。たった一度しか会っていないというのに。
母の圧力を前に考える暇はなかった。というか、そもそもわたしは男性とつきあったことはなく、熱意ある彼の真摯な態度に心を打たれてもいた。つまり、わたしも母と同じ気持ちだったのだ。だから、「はい。喜んで」ついうっかり了承してしまった。
翌日の夕方、彼はふたたび家にやってきた。
彼はわたしの隣に座り、食卓を挟んで、「真面目だけが取り柄の男ですが、幸代さんと結婚を前提におつきあいをさせてください」父にも丁寧に挨拶をし、こうしてわたしたちは家族の承諾の元、正式につきあうことになった。
そして、その後は早かった。
一年もしないあいだに結納、結婚式と夢でも見ているかのような日々が流れた。さらに新婚生活の甘い時間も感じる間もなく息子が生まれ、娘が生まれ、育児に家事に慌ただしい日々を送った。対して、夫となった守屋誠は名前のとおり、誠実に仕事をする反面、家庭のことにはいっさい口を出さなかった。口だけではない手も出さなかった。つまり仕事をして帰ったあとは家にいるだけの男だった。だけど、彼が仕事をしているあいだはべつに気にならなかった。
そうして子どもたちが巣立ったあと、夫は定年を迎えると、ピタッと仕事をやめ、こうして家の中で一緒に過ごすようになった。さして会話もなく、決まった時間になると食卓につく夫。正直ウザい。あの日のことを思い出すたび悔やまれる。
なぜあの日、わたしは夫のことを受け入れることにしたのだろうか。きっと母が見初めた彼だから。そしてわたし自身も親孝行を兼ねて母の意向を尊重したのだ、と子を持つ親となったいまならわかる。そうして、あの日、わたしの運命は決まったのだ。
「はい、どうぞ」冷房も入れていない真夏の食卓に熱々のかけうどんを置く。夫は黙って湯気の立つ汁をすする。ずずっと麺もすすった。額に汗を浮かべ、プハっと熱そうに口を開ける。おいしいのか、熱いのか、味のことはなにも言わない。本当に静かな男なのだ。
食べ終わると自室へと戻っていく。そんな夫の背中を見送りながらわたしは溜め息を吐く。ああ、できることならあの日に帰りたい。そして、あの日のわたしに教えてやりたい。男は真面目なだけじゃダメなのよと。
(了)
ほかにやることはないのだろうか。
夫は定年退職をして以来、ふだんは自室に籠っている。けれど朝八時、昼十二時、夜六時になるとしっかり食卓にやって来て、料理が出てくるのを黙って待っている。
わたしはなぜこの人のごはんを作っているのだろうか、と不思議に思うことがある。それは取りも直さず、なぜこの人を選んだのだろうか、に結びつく。
運命は意地悪だ。あの日、この人が母に会いさえしなければ、別の人生を歩んでいただろうに。忘れもしないあの日のあの時間。
「この地区の担当になりました守屋誠と申します。これからよろしくお願いします」後に夫になる守屋誠は玄関で最初に母に会った。
「あらあら、ご丁寧に。こちらこそよろしくお願いします。それにしても守屋さん、若いわね。もしかして新人さん?」
玄関前で母は彼にあれこれ質問し、すでにそのときには彼の情報をいろいろ聞き出していた。そこにわたしは帰ったのだ。
「おかえり、幸代。ちょうどよかった。うちの地区を担当することになった新人警察官の守屋さんが挨拶に来たとこよ。あなたと同じ年だって。早くこっち来て挨拶なさい」
制服姿の彼は背が高く、すっきりとした顔立ちをしていて、真面目そうな印象だった。
これが運命の出会いだったと思うと、いまさら悔やまれる。命運ともいうかもしれない。
「この子はうちの末の娘で、すごく奥手なの。守屋さんはおつきあいしている方はいらっしゃる? もし探しているなら、うちの幸代なんかどう? この子は家事をしっかりこなせて、気立てもやさしくて、申し分ないですよ」
すでに母は彼のことを気に入っているらしく、笑顔でわたしを押し売りした。
昭和の当時はアプリなんてない。出会いは職場か、親戚の紹介や見合いが多かった。つまり、娘を持つ母親のこうしたアタックはよくある話だった。そして、彼は素直に応えた。
「ぜひ、お願いします。仕事柄、犯人を捜すことはあっても、女性との縁を探す機会はないものでして。自分で言うのも厚かましい話ですが、僕は真面目な男です。幸代さんと結婚を前提におつきあいをさせてください」
母の申し出に深々と頭を下げた。
「幸代。どうなの? お母さんは賛成よ」
母の気持ちは決まっていた。たった一度しか会っていないというのに。
母の圧力を前に考える暇はなかった。というか、そもそもわたしは男性とつきあったことはなく、熱意ある彼の真摯な態度に心を打たれてもいた。つまり、わたしも母と同じ気持ちだったのだ。だから、「はい。喜んで」ついうっかり了承してしまった。
翌日の夕方、彼はふたたび家にやってきた。
彼はわたしの隣に座り、食卓を挟んで、「真面目だけが取り柄の男ですが、幸代さんと結婚を前提におつきあいをさせてください」父にも丁寧に挨拶をし、こうしてわたしたちは家族の承諾の元、正式につきあうことになった。
そして、その後は早かった。
一年もしないあいだに結納、結婚式と夢でも見ているかのような日々が流れた。さらに新婚生活の甘い時間も感じる間もなく息子が生まれ、娘が生まれ、育児に家事に慌ただしい日々を送った。対して、夫となった守屋誠は名前のとおり、誠実に仕事をする反面、家庭のことにはいっさい口を出さなかった。口だけではない手も出さなかった。つまり仕事をして帰ったあとは家にいるだけの男だった。だけど、彼が仕事をしているあいだはべつに気にならなかった。
そうして子どもたちが巣立ったあと、夫は定年を迎えると、ピタッと仕事をやめ、こうして家の中で一緒に過ごすようになった。さして会話もなく、決まった時間になると食卓につく夫。正直ウザい。あの日のことを思い出すたび悔やまれる。
なぜあの日、わたしは夫のことを受け入れることにしたのだろうか。きっと母が見初めた彼だから。そしてわたし自身も親孝行を兼ねて母の意向を尊重したのだ、と子を持つ親となったいまならわかる。そうして、あの日、わたしの運命は決まったのだ。
「はい、どうぞ」冷房も入れていない真夏の食卓に熱々のかけうどんを置く。夫は黙って湯気の立つ汁をすする。ずずっと麺もすすった。額に汗を浮かべ、プハっと熱そうに口を開ける。おいしいのか、熱いのか、味のことはなにも言わない。本当に静かな男なのだ。
食べ終わると自室へと戻っていく。そんな夫の背中を見送りながらわたしは溜め息を吐く。ああ、できることならあの日に帰りたい。そして、あの日のわたしに教えてやりたい。男は真面目なだけじゃダメなのよと。
(了)