第12回「小説でもどうぞ」佳作 リフレッシュ休暇/秋あきら
第12回結果発表
課 題
休暇
※応募数242編
「リフレッシュ休暇」秋あきら
明日からリフレッシュ休暇のため、会社を二週間休むことになっていた。勤続二十年の節目に会社が設けている特別休暇だ。サーフィンを趣味とする私は、波を求めて全国を回る予定になっている。というのは建前で、本当は無趣味な独身男だ。部下に見栄をはったせいで、似非サーファーである。おかげでこの休暇は、日サロ通いだ。しかしその前に、やらなければならないことが一つだけあった。
その日の終業後、私は慌てて帰る風を装って、隙をみてトイレ横の書庫に入った。段ボール箱が積み上がったスチール棚が、四列置かれているだけの狭い部屋だ。奥の壁には、高い位置に、片方が五十センチ四方の引き違い窓がついている。最近、課内のみんながやたらこの書庫に出入りしている。戻ってくる部下の晴れやかな顔を見て、私はピンときた。私の悪口を言っているに違いないのだと。
私は、ボイスレコーダーをしかける決心をした。本当はこんなことはしたくなかったが、聞いたって正直に言わないだろうし、更に嫌われるのがオチだ。私がいない時の方が、本音が引き出せるだろう。悪用はしない、何が原因で部下の不興をかっているのかを確かめ、改めるために使うのだ。そう自分に言い聞かせて、私はシャツの胸ポケットからライター大のレコーダーを取り出した。どこに置こうかと辺りを探った時、それが目に入った。
「サーフボード?」
棚と棚の間に、隠すようにしてサーフボードが置いてあった。めくれたカバーの隙間から、カラフルな文字が見えた。
「寄せ書きだ…… もしかして私に?」
その時、扉の向こうで声がした。
「課長が書庫に入って行ったって? まさか」
「だって見たんですよ、さっき……」
部下たちの声に、考えるより先に体が動いていた。私は一番奥のスチール棚に足をかけて窓枠に飛びつくと、窓から身を乗り出した。隣接するビルの壁が目の前にあった。下を覗くと、ビルとビルの細い隙間が、奈落のように続いている。ここはビルの七階だ。しかし、階と階の継ぎ目の位置に、窓枠に沿うように幅三十センチ程の足場があった。私は窓枠の上で向きを変え、後ろ向きに窓から出た。最後に窓枠を掴んでいた手を放して足場に着地した時、部下の声が聞こえた。
「ほら、いないじゃないか」
「あれ、おっかしいなあ」
「電車の時間がどうとかって、鞄抱えて慌てて出て行ったんだ。今頃は駅じゃないか」
部下の言葉に、私は凍りついた。鞄だ。鞄が、窓近くのスチール棚の傍に置きっ放しだ。私の心配をよそに、二人は話続けている。
「それより、これ。何とか課長にバレずに済みましたね。野田さんに渡すサーフボード」
「ああ。何でも野田さんが、恋人にするなら同じ趣味の人がいいって言った途端、急にサーファーになったらしいぜ、課長」
「マジっすか、こわ。じゃあ、もしかして休暇中は日サロで焼いてるんすかね?」
「ははは、かもな。何にしても、明日の送別会で野田さんにこれを渡すのが楽しみだよ」
やがて声は遠ざかっていった。私は部下たちの言葉を反芻した。野田美咲は、家業を継ぐため来月で退職することになっている。送別会を固辞していたはずなのに。
まあ、いいさ。私は窓を見上げた。よく考えたら、隠れる必要などなかったのだ。用があって書庫に入ったと言えば済む話だった。今となっては、むしろ言い訳が立たない。とにかく戻らねば。足場が狭くて心もとないが、ジャンプすれば何とか窓枠に届くだろう。後はよじ登るしかない。そう思った時、また誰かが書庫に入ってきた気配がした。
「誰だよ、開けっぱなしで帰った奴」
別の部下だった。声が近づいてきたと思ったら、モップの柄が姿を現した。
「よいしょ」
部下は掛け声とともに、モップの柄を使ってぴしゃりと窓を閉めてしまった。そればかりか、一気にクレセント錠まで押し上げたのだ。私は息をのんだ。何が起こったのか理解するのに、しばらく時間がかかった。恐怖がじわじわ襲ってきた。
やばいぞ、やばい。やばすぎる。助けを呼ぶか? いや、あり得ない。この状況を、どう説明する? そもそもスマホは鞄の中だ。大声を出すか? 無理だ、そんなことできない。考えがまとまらないまま、時間だけが過ぎていく。あと半時間もすれば、暗くなるだろう。焦りの中で、不意に気がついた。
「そうだ、隣の窓だ」
トイレの窓が、一メートル程左向こうにあった。しかも窓は半分開いている。窓までの間には小さな出っ張りがいくつもあって、足掛かりになりそうだ。私は迷わずトイレの窓を目指した。必死に壁を伝って窓枠によじ登った時、中から甲高い悲鳴が聞こえた。それは野田美咲の声だった。
(了)
その日の終業後、私は慌てて帰る風を装って、隙をみてトイレ横の書庫に入った。段ボール箱が積み上がったスチール棚が、四列置かれているだけの狭い部屋だ。奥の壁には、高い位置に、片方が五十センチ四方の引き違い窓がついている。最近、課内のみんながやたらこの書庫に出入りしている。戻ってくる部下の晴れやかな顔を見て、私はピンときた。私の悪口を言っているに違いないのだと。
私は、ボイスレコーダーをしかける決心をした。本当はこんなことはしたくなかったが、聞いたって正直に言わないだろうし、更に嫌われるのがオチだ。私がいない時の方が、本音が引き出せるだろう。悪用はしない、何が原因で部下の不興をかっているのかを確かめ、改めるために使うのだ。そう自分に言い聞かせて、私はシャツの胸ポケットからライター大のレコーダーを取り出した。どこに置こうかと辺りを探った時、それが目に入った。
「サーフボード?」
棚と棚の間に、隠すようにしてサーフボードが置いてあった。めくれたカバーの隙間から、カラフルな文字が見えた。
「寄せ書きだ…… もしかして私に?」
その時、扉の向こうで声がした。
「課長が書庫に入って行ったって? まさか」
「だって見たんですよ、さっき……」
部下たちの声に、考えるより先に体が動いていた。私は一番奥のスチール棚に足をかけて窓枠に飛びつくと、窓から身を乗り出した。隣接するビルの壁が目の前にあった。下を覗くと、ビルとビルの細い隙間が、奈落のように続いている。ここはビルの七階だ。しかし、階と階の継ぎ目の位置に、窓枠に沿うように幅三十センチ程の足場があった。私は窓枠の上で向きを変え、後ろ向きに窓から出た。最後に窓枠を掴んでいた手を放して足場に着地した時、部下の声が聞こえた。
「ほら、いないじゃないか」
「あれ、おっかしいなあ」
「電車の時間がどうとかって、鞄抱えて慌てて出て行ったんだ。今頃は駅じゃないか」
部下の言葉に、私は凍りついた。鞄だ。鞄が、窓近くのスチール棚の傍に置きっ放しだ。私の心配をよそに、二人は話続けている。
「それより、これ。何とか課長にバレずに済みましたね。野田さんに渡すサーフボード」
「ああ。何でも野田さんが、恋人にするなら同じ趣味の人がいいって言った途端、急にサーファーになったらしいぜ、課長」
「マジっすか、こわ。じゃあ、もしかして休暇中は日サロで焼いてるんすかね?」
「ははは、かもな。何にしても、明日の送別会で野田さんにこれを渡すのが楽しみだよ」
やがて声は遠ざかっていった。私は部下たちの言葉を反芻した。野田美咲は、家業を継ぐため来月で退職することになっている。送別会を固辞していたはずなのに。
まあ、いいさ。私は窓を見上げた。よく考えたら、隠れる必要などなかったのだ。用があって書庫に入ったと言えば済む話だった。今となっては、むしろ言い訳が立たない。とにかく戻らねば。足場が狭くて心もとないが、ジャンプすれば何とか窓枠に届くだろう。後はよじ登るしかない。そう思った時、また誰かが書庫に入ってきた気配がした。
「誰だよ、開けっぱなしで帰った奴」
別の部下だった。声が近づいてきたと思ったら、モップの柄が姿を現した。
「よいしょ」
部下は掛け声とともに、モップの柄を使ってぴしゃりと窓を閉めてしまった。そればかりか、一気にクレセント錠まで押し上げたのだ。私は息をのんだ。何が起こったのか理解するのに、しばらく時間がかかった。恐怖がじわじわ襲ってきた。
やばいぞ、やばい。やばすぎる。助けを呼ぶか? いや、あり得ない。この状況を、どう説明する? そもそもスマホは鞄の中だ。大声を出すか? 無理だ、そんなことできない。考えがまとまらないまま、時間だけが過ぎていく。あと半時間もすれば、暗くなるだろう。焦りの中で、不意に気がついた。
「そうだ、隣の窓だ」
トイレの窓が、一メートル程左向こうにあった。しかも窓は半分開いている。窓までの間には小さな出っ張りがいくつもあって、足掛かりになりそうだ。私は迷わずトイレの窓を目指した。必死に壁を伝って窓枠によじ登った時、中から甲高い悲鳴が聞こえた。それは野田美咲の声だった。
(了)