第12回「小説でもどうぞ」佳作 本日はU休なり/オオツキマリコ
第12回結果発表
課 題
休暇
※応募数242編
「本日はU休なり」オオツキマリコ
関本は憂鬱だった。同期で最速に支店長昇進という喜びはあったが、よりによって、
「なんでまた、香川の高松支店長なんだ」
生まれも育ちも東京である関本は、根っからの蕎麦好きである。二日に一度は蕎麦を食べないと気が済まない性分だ。単身赴任は苦にならないが、赴任先がうどん県だとは。
「郷に入っては郷に従え、でしょ?」
妻の励ましを背に渋々新幹線に乗り、岡山で乗り換えたマリンライナーを高松駅で降りたとたん、更に気持ちはげんなりした。
うどん、うどん、うどんの看板、のぼり旗。日本一面積の小さい香川県内に実に七百近くのうどん屋がひしめいているらしい。毎夏水不足に悩まされているくせに、おかしな土地だ。
案の定、歓迎会でもうどんの話題だらけ。
「関本支店長、どこのうどん、お好きですか」
「いや、どこというか……」
言葉を濁すと、左右から一斉に声が挙がる。○屋の釜揚げは最高とか、△店のいりこ出汁がたまらんとか。適当に相槌を打っていたら、このままうどん屋へお連れしようという流れになった。「セルフ」という形式の小さな店だ。
「支店長、一玉でよろしいですか?」
手慣れた地元の社員が、ちゃっちゃとうどんを温め、タンクの蛇口をひねってかけ汁を注ぐ。葱と生姜を添えて、できあがりだ。
(なんと安直な料理だ)
内心舌打ちしながら、それでも笑顔で関本は丼を受け取った。おや、なんとも上手そうな出汁の香り。ちょっと飲んでみるか。
「う、うまっっっ!」
驚愕した。なんと豊かな出汁、そしてこの白い麺は、きゅっとした噛み応えが心地よい。小麦の香り、出汁と薬味、喉越しの快感、なるほど、これが本場の讃岐うどんか!
この日から、関本は讃岐うどんの虜になった。ややもするとうどんのことが気になる。だが、歓迎会のうどん屋で、つい格好つけて、
「うん、まあまあ悪くないですね」
などと言ったものだから、関本支店長は江戸っ子だからうどんは余り好きじゃないらしいという噂になり、誘われなくなってしまった。ランチタイムにうどん屋へ行く社員を横目に、一人、社食へ行く。そこでもうどんの話題が聞こえると、つい聞きいって、鰺フライ定食が進まない。
関本は、土日にうどん巡りを始めた。帽子を目深にかぶり、ラフな服装でまずは市内を巡る。釜揚げ、湯だめ、汁うどん。天ぷらもおにぎりもうまい。しかし、休日は県外の観光客も多く、予定した店は行列になり、いくらも食べられない。どうしたものか。
関本は、月曜の朝、副支店長に電話した。
「片原さん、関本だけど、昨夜ぎっくり腰になってね。今日は休ませてもらいます」
「え、大丈夫ですか?近くの整形外科にお連れしましょうか?」
「ああ、ありがとう。家で寝ていたら治ると思うので、すまないが今日一日、頼む」
これで良い。仮病は心苦しいが有給消化だ。少々後ろめたい気持ちで、関本はレンタカーに乗り、高松を出て坂出や善通寺の名店へ向かった。平日だけあって、どこもすいすい入れる。
十一時前に、セルフの有名店に入った時、着信。片原副支店長だ。
「支店長、その後いかがですか?午後から、私お迎えに上がりますんで、整形外科に」
「いや、いやいや、大分良いんだよ、うん」
単身赴任先のコーポに来られてはまずい。
「ありがとう、明日は行けそうだから……」
今日はこのまま寝ているよ、そう言おうとした時、関本の後ろでおばちゃんの声が響いた。
「はい、そちらさん、何玉?丼出して」
何とも言えない沈黙が続いた後、
「あ~お大事にしてください、失礼します」
片原がそう言って、電話は静かに切れた。
まずい。仮病がバレてしまった。赴任早々なんてこった。明日、どの面下げて行こう。せっかくのうまいうどんが喉を通らなかった。
翌朝、恐る恐る出社する関本を見つけた片原が走り寄って来て、頭を下げた。
「支店長、腰はいかがですか?」
「あ、ああ、はい。なんとか」
「支店長、実は私、説明不足の点がありました。申し訳ありませんでした」
「はい、なんのことかな」
「この高松支店には独自の福利厚生制度がございまして、U休と申します。U休、つまりうどん休暇でして、本県の地場産業のうどん活性化のため、食べ歩く休暇が年に五日ございます」
「ゆ、U休!」
「はい、そしてこれがU休グッズです」
片原が手渡した紙袋には、小ぶりな、丁度うどん一玉が入る大きさの丼と箸箱が入っていた。いわゆる製麺所巡りには必須アイテムだ。
「あ、ああ、そうなの」
紙袋の底には、片原自作のうどんマップがしのばせてあった。それを見ていると、
「人間もうどんも、腰が大事ですからね」
片原が、にやりと笑った。
(了)
生まれも育ちも東京である関本は、根っからの蕎麦好きである。二日に一度は蕎麦を食べないと気が済まない性分だ。単身赴任は苦にならないが、赴任先がうどん県だとは。
「郷に入っては郷に従え、でしょ?」
妻の励ましを背に渋々新幹線に乗り、岡山で乗り換えたマリンライナーを高松駅で降りたとたん、更に気持ちはげんなりした。
うどん、うどん、うどんの看板、のぼり旗。日本一面積の小さい香川県内に実に七百近くのうどん屋がひしめいているらしい。毎夏水不足に悩まされているくせに、おかしな土地だ。
案の定、歓迎会でもうどんの話題だらけ。
「関本支店長、どこのうどん、お好きですか」
「いや、どこというか……」
言葉を濁すと、左右から一斉に声が挙がる。○屋の釜揚げは最高とか、△店のいりこ出汁がたまらんとか。適当に相槌を打っていたら、このままうどん屋へお連れしようという流れになった。「セルフ」という形式の小さな店だ。
「支店長、一玉でよろしいですか?」
手慣れた地元の社員が、ちゃっちゃとうどんを温め、タンクの蛇口をひねってかけ汁を注ぐ。葱と生姜を添えて、できあがりだ。
(なんと安直な料理だ)
内心舌打ちしながら、それでも笑顔で関本は丼を受け取った。おや、なんとも上手そうな出汁の香り。ちょっと飲んでみるか。
「う、うまっっっ!」
驚愕した。なんと豊かな出汁、そしてこの白い麺は、きゅっとした噛み応えが心地よい。小麦の香り、出汁と薬味、喉越しの快感、なるほど、これが本場の讃岐うどんか!
この日から、関本は讃岐うどんの虜になった。ややもするとうどんのことが気になる。だが、歓迎会のうどん屋で、つい格好つけて、
「うん、まあまあ悪くないですね」
などと言ったものだから、関本支店長は江戸っ子だからうどんは余り好きじゃないらしいという噂になり、誘われなくなってしまった。ランチタイムにうどん屋へ行く社員を横目に、一人、社食へ行く。そこでもうどんの話題が聞こえると、つい聞きいって、鰺フライ定食が進まない。
関本は、土日にうどん巡りを始めた。帽子を目深にかぶり、ラフな服装でまずは市内を巡る。釜揚げ、湯だめ、汁うどん。天ぷらもおにぎりもうまい。しかし、休日は県外の観光客も多く、予定した店は行列になり、いくらも食べられない。どうしたものか。
関本は、月曜の朝、副支店長に電話した。
「片原さん、関本だけど、昨夜ぎっくり腰になってね。今日は休ませてもらいます」
「え、大丈夫ですか?近くの整形外科にお連れしましょうか?」
「ああ、ありがとう。家で寝ていたら治ると思うので、すまないが今日一日、頼む」
これで良い。仮病は心苦しいが有給消化だ。少々後ろめたい気持ちで、関本はレンタカーに乗り、高松を出て坂出や善通寺の名店へ向かった。平日だけあって、どこもすいすい入れる。
十一時前に、セルフの有名店に入った時、着信。片原副支店長だ。
「支店長、その後いかがですか?午後から、私お迎えに上がりますんで、整形外科に」
「いや、いやいや、大分良いんだよ、うん」
単身赴任先のコーポに来られてはまずい。
「ありがとう、明日は行けそうだから……」
今日はこのまま寝ているよ、そう言おうとした時、関本の後ろでおばちゃんの声が響いた。
「はい、そちらさん、何玉?丼出して」
何とも言えない沈黙が続いた後、
「あ~お大事にしてください、失礼します」
片原がそう言って、電話は静かに切れた。
まずい。仮病がバレてしまった。赴任早々なんてこった。明日、どの面下げて行こう。せっかくのうまいうどんが喉を通らなかった。
翌朝、恐る恐る出社する関本を見つけた片原が走り寄って来て、頭を下げた。
「支店長、腰はいかがですか?」
「あ、ああ、はい。なんとか」
「支店長、実は私、説明不足の点がありました。申し訳ありませんでした」
「はい、なんのことかな」
「この高松支店には独自の福利厚生制度がございまして、U休と申します。U休、つまりうどん休暇でして、本県の地場産業のうどん活性化のため、食べ歩く休暇が年に五日ございます」
「ゆ、U休!」
「はい、そしてこれがU休グッズです」
片原が手渡した紙袋には、小ぶりな、丁度うどん一玉が入る大きさの丼と箸箱が入っていた。いわゆる製麺所巡りには必須アイテムだ。
「あ、ああ、そうなの」
紙袋の底には、片原自作のうどんマップがしのばせてあった。それを見ていると、
「人間もうどんも、腰が大事ですからね」
片原が、にやりと笑った。
(了)