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W選考委員版「小説でもどうぞ」第2回 選外佳作 顔/てんのかをり

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
選外佳作
「顔」
てんのかをり
 新型疫病に罹患して回復後、わたしは誰にも言えない秘密を抱えて暮らしている。
 あれは回復して一週間ほど経った時のことだった。朝起きて何気なく鏡を見たわたしは、鏡の奥から見知らぬ女に見返されて飛び上がった。彫りが深く眉の濃い女が、不機嫌そうにこちらに視線を向けてきたのだ。
 ひとり暮らしの部屋に他に誰がいるわけもないのだが、わたしは物凄い勢いで背中側へと振り返った。幽霊でもいるのかと冷や汗をかく。が、やはり誰の姿もない。
 おそるおそる鏡を覗き込むと、濃い顔の女がこちらを見据えている。わたしが左手で頬を触ると、女も同じ格好をする。わたしは自分の顔を丹念に両手でなぞった。学生時代のあだ名がおかめ、色白ぽっちゃり輪郭に平坦な目鼻立ちが本来のわたしの顔なのだが、触れている手には深い凸凹が伝わってくる。
 顔が変わってしまったのだ。
 わたしはパニックに陥った。マスクで誤魔化せるレベルの変化ではない。このまま出社すれば職場で騒ぎが起きるのは間違いなかった。しかし顔が変わったので休みますなどと言えるわけもなく、新型疫病の後遺症で身体がだるいと伝えて何とか病気休暇が認められた。幸い、顔は二日で元に戻った。
 それから十日後、今度は下駄のような四角い顔に。下駄顔から元に戻って二週間後、今度はコンパスで描いた如き丸顔に変わってしまった。
 繰り返し病気休暇を申請したのだが、丸顔から回復して出社した際、遂に総務課の人からぴしゃりと言われてしまった。
「これ以上、新型疫病を理由に休むことは認められません。次は診断書が必要です」
 あれから十日。
 この朝もおそるおそる鏡を覗き込むと、そこには色白でしゅっと細い輪郭、目は切れ長、まるで白狐のような顔が映っていて、わたしは思わず悲鳴を上げた。
 またもや顔が変わってしまった。
 鏡の前で白狐の顔を見つめて途方に暮れる。どうすればいいのか。今日は幸い土曜で休暇申請の必要はないが、土日で顔が戻るとは限らない。顔が変わるたびに有休を取得するのはかなわないし、何より唐突に休むことで会社における自分の信頼が失墜していくことが辛い。
 泣きたくなる中、ふと思う。もしかすると自分の視覚がどうかしているだけで、顔は変わっていないのではないか。あるいは精神的な問題なのではないか。そうだとしたら医師に診断してもらうべきだろう。
 わたしは意を決して病院に行くことにした。新型疫病にかかった際にお世話になった隣町の公立病院へと向かう。疫病の診断治療と共に後遺症外来が併設されている病院だ。
 待合室には十数の人の姿があった。他の人たちはどういう症状で来院しているのだろう。名前を呼ばれ、わたしは頭のつるりとした医師の前に座った。秘密にしてきた事柄を打ち明けるにはためらいもあったが、早く吐き出して楽になりたい気持ちが大きかった。
「先生、おかしなことを言うと思われるかもしれませんが、わたし、新型疫病が治った後、何度も顔が変わって困っているんです」
 声を低くして言葉を選びながら慎重に伝えたところ、医師はあっさりと言った。
「ああ、後遺症で顔が変わる人、ここのところ増えているんですよ。今週あなたで三人目、新型疫病の変異株の影響みたいです」
「そうなんですか! 顔が変わるなんて信じてもらえないと思って誰にも言えず悩んでいたんです」
 膝から崩れ落ちそうになりながら言ったわたしに、医師はうなずいて告げた。
「信じますよ、わたしもこれで別の顔になるの三度目ですから」
 わたしは彼の顔をまじまじと見て、名札の久仁谷という文字を見てはっとした。疫病治療の際に担当してくれた久仁谷医師はもっと細面の優男だった。目の前の、ドングリ眼で強面な男性との共通点は、見事に禿げあがった頭だけだ。彼は続けた。
「顔が変わる後遺症については近々公表されますよ。仕組みがわからないので治療法が確立されるのは当分先になるでしょう――診断書、要りますか?」
 あ、はい、お願いします、とわたしは頭を下げた。不便ですがそのうち慣れますよ、と医師は淡々と述べた。

 あれから二年。
 顔が変わる現象は秘密でも何でもなくなった。カメレオン症候群と名付けられて全世界ですっかり一般的となり、混乱の世界を更なる混迷へと向かわせている。
 わたしの顔は六種類ある。
 不定期に、ランダムに顔が変わる。
 今では顔がひとつきりの人の方が珍しい。
(了)