W選考委員版「小説でもどうぞ」第2回 最優秀賞 秘密基地に潜む/ササキカズト
「秘密基地に潜む」ササキカズト
子供のころ、よく秘密基地を作って遊んだものだ。秘密基地といっても、崖にあいた穴に蓋をしただけのものとか、林の中の地面の上に、そこいらに捨ててある戸板を並べて、ボロ布を屋根にしただけのものとか、幼い想像力が成立させるところの、ごっこ遊びのそれだ。
だが実際に、味方が全滅し、戦場でたった一人になってしまった俺が、長い時間身を隠そうと思うと、もしもそれを基地と呼ぶならばだが、ごっこ遊びのあの秘密基地に近いものが必要だった。空き家やほら穴など、いかにも潜伏出来そうな場所は、敵に見つかりやすいので絶対にだめだ。
まず見つけたのは、大きな木の根元の穴だ。奥行きはほとんどなく、ひざを抱えて座るとぎりぎり入れる感じの穴。運のいいことに、この穴をふさぐのにちょうどいい蓋を見つけた。倒れて朽ちた大木の上に雑草が生い茂っており、木の皮が雑草と一緒にうまくはがせたのだ。この雑草付き木の皮を蓋にすると、周りの草と馴染んで、ここに穴があるとはまったくわからなくなった。
俺がこの穴に潜んでから五日目になる。近くの畑から野菜や果物を盗んだり、民家に忍び込んで食料をくすねたりして、飢えをしのいでいる。敵兵なのか地元民なのかわからないが、何度かこの穴の近くを通る者がいたが、俺が潜んでいることに誰も気づかなかった。
今日もまた、遠くから声が聞こえてきた。
「クサカベさーん、日下部竜次郎さーん。いたら出てきてくださーい」
なぜかあいつらは俺の名を知っている。どうもそこが引っかかる。敵の罠に思えて仕方ない。
「日下部さーん。もう戦争は終わったんですよー。出てきてくださーい」
せ……戦争が終わった?
戦争が終わったとはどういうことだ。日本は負けたのか? 降伏したとでもいうのか。そんなまさか。最後の一人まで戦うのが大和魂ではないのか。
これはきっと敵の罠に違いない。安易に姿を見せたりしたら、たちまち敵兵に囲まれ、殺されてしまうだろう。そういう卑怯な手口を使うやつらだ。
でも万が一、本当に戦争が終わっていたら……。日本が負けたなどとは信じたくないが、たしかに戦況は悪化していた。物資も不足しているし、わが隊だって俺を残して全滅させられた。
まさか……まさか本当に、日本は負けたのか?
俺を呼ぶ声がどんどん近づいてきて、俺が潜む穴のすぐ横までやってきた。
「日下部さーん、いたら出てきてくださーい。戦争はもう終わっていますよー」
そして、次に聞こえたもう一人の声に、俺はビクリとなった。
「叔父さーん。出てきてくださーい。戦争は終わってるんだよ、叔父さーん」
俺を叔父と呼ぶこの声。どこか聞き覚えのある声だ。しかし大人の声、しかも中年のような落ち着いた声だ。
「日下部さん、ちょっと休みましょう」
二人の男が、俺の潜む木の下の、太い根っこに腰を下ろしたようだ。すぐ真横で会話する声がよく聞こえる。俺はじっと身を潜めて聞き耳をたてた。
「しかし、戦争が終わったと大声で言うのは、やはりちょっとナニですな、恥ずかしいというか何というか」
「申し訳ありません。そう言ったほうが出てきてくれる可能性があるかと思って」
「元はと言えばこちらの施設の落ち度で、外に出られてしまったわけですから、申し訳ないのはこちらのほうです」
「いえ、叔父のようなやっかいな妄想の患者を引き受けて下さって感謝しています」
「それにしても、たいしたサバイバル能力ですな。畑の野菜や、近隣住宅の食料がなくなっているから、絶対に近くに隠れていらっしゃるんですよ」
「これはもう犯罪ですから、早いとこ見つけないと。これ以上近隣住民の方々にご迷惑をかけられません」
「終戦から七十年以上経つこの現代で、戦後生まれの日下部竜次郎さんの、自分が残留日本兵であるというこの妄想。大変珍しい症例でして、ここだけの話、私は大変興味深く感じているんですよ」
「実は私もそうなんです。私は小さいころ、叔父と同居していたので、よく一緒に裏山で秘密基地を作って遊んでもらいました。ちょうどこんな大木の根元に大きな穴があって……」
俺はいつの間にか、蓋をめくって顔を出していた。たしかに見覚えのある甥っ子が座っていた。中年となった甥っ子の目には、あのころの可愛らしさがまだ残っていた。
(了)
だが実際に、味方が全滅し、戦場でたった一人になってしまった俺が、長い時間身を隠そうと思うと、もしもそれを基地と呼ぶならばだが、ごっこ遊びのあの秘密基地に近いものが必要だった。空き家やほら穴など、いかにも潜伏出来そうな場所は、敵に見つかりやすいので絶対にだめだ。
まず見つけたのは、大きな木の根元の穴だ。奥行きはほとんどなく、ひざを抱えて座るとぎりぎり入れる感じの穴。運のいいことに、この穴をふさぐのにちょうどいい蓋を見つけた。倒れて朽ちた大木の上に雑草が生い茂っており、木の皮が雑草と一緒にうまくはがせたのだ。この雑草付き木の皮を蓋にすると、周りの草と馴染んで、ここに穴があるとはまったくわからなくなった。
俺がこの穴に潜んでから五日目になる。近くの畑から野菜や果物を盗んだり、民家に忍び込んで食料をくすねたりして、飢えをしのいでいる。敵兵なのか地元民なのかわからないが、何度かこの穴の近くを通る者がいたが、俺が潜んでいることに誰も気づかなかった。
今日もまた、遠くから声が聞こえてきた。
「クサカベさーん、日下部竜次郎さーん。いたら出てきてくださーい」
なぜかあいつらは俺の名を知っている。どうもそこが引っかかる。敵の罠に思えて仕方ない。
「日下部さーん。もう戦争は終わったんですよー。出てきてくださーい」
せ……戦争が終わった?
戦争が終わったとはどういうことだ。日本は負けたのか? 降伏したとでもいうのか。そんなまさか。最後の一人まで戦うのが大和魂ではないのか。
これはきっと敵の罠に違いない。安易に姿を見せたりしたら、たちまち敵兵に囲まれ、殺されてしまうだろう。そういう卑怯な手口を使うやつらだ。
でも万が一、本当に戦争が終わっていたら……。日本が負けたなどとは信じたくないが、たしかに戦況は悪化していた。物資も不足しているし、わが隊だって俺を残して全滅させられた。
まさか……まさか本当に、日本は負けたのか?
俺を呼ぶ声がどんどん近づいてきて、俺が潜む穴のすぐ横までやってきた。
「日下部さーん、いたら出てきてくださーい。戦争はもう終わっていますよー」
そして、次に聞こえたもう一人の声に、俺はビクリとなった。
「叔父さーん。出てきてくださーい。戦争は終わってるんだよ、叔父さーん」
俺を叔父と呼ぶこの声。どこか聞き覚えのある声だ。しかし大人の声、しかも中年のような落ち着いた声だ。
「日下部さん、ちょっと休みましょう」
二人の男が、俺の潜む木の下の、太い根っこに腰を下ろしたようだ。すぐ真横で会話する声がよく聞こえる。俺はじっと身を潜めて聞き耳をたてた。
「しかし、戦争が終わったと大声で言うのは、やはりちょっとナニですな、恥ずかしいというか何というか」
「申し訳ありません。そう言ったほうが出てきてくれる可能性があるかと思って」
「元はと言えばこちらの施設の落ち度で、外に出られてしまったわけですから、申し訳ないのはこちらのほうです」
「いえ、叔父のようなやっかいな妄想の患者を引き受けて下さって感謝しています」
「それにしても、たいしたサバイバル能力ですな。畑の野菜や、近隣住宅の食料がなくなっているから、絶対に近くに隠れていらっしゃるんですよ」
「これはもう犯罪ですから、早いとこ見つけないと。これ以上近隣住民の方々にご迷惑をかけられません」
「終戦から七十年以上経つこの現代で、戦後生まれの日下部竜次郎さんの、自分が残留日本兵であるというこの妄想。大変珍しい症例でして、ここだけの話、私は大変興味深く感じているんですよ」
「実は私もそうなんです。私は小さいころ、叔父と同居していたので、よく一緒に裏山で秘密基地を作って遊んでもらいました。ちょうどこんな大木の根元に大きな穴があって……」
俺はいつの間にか、蓋をめくって顔を出していた。たしかに見覚えのある甥っ子が座っていた。中年となった甥っ子の目には、あのころの可愛らしさがまだ残っていた。
(了)