学園小説「絶対に書いてはいけない」4箇条
「平凡」「普通」はNG
新人賞応募落選作の中には、そこそこ文章力があるのに、おそろしくつまらない作品に出会うことが、往々にして、ある。
読んでいて、眠気を抑えるのに苦労する。「睡眠導入剤がわりに、この作品を書いたのではないか」と思うことさえある。
それらに共通しているのは、学園小説だ、ということである。
たいていは高校が舞台で、稀に中学校が舞台のこともある。以降「こういう場面を描いたら駄目ですよ」というものを列挙していく。
新人賞は「他の人には思いつかないようなユニークな物語を書ける新人を発掘する」ことに主眼を置いて選考が行われる。
したがって、似たような設定の物語は、束にして落とされる。
その「落とし穴」に、物の見事に嵌まっているもの。
①まず、最も多いのが、高校に入学した初日。校門を入ると、上級生がクラブ活動に参加するように勧誘ビラを配っている。
ここで上級生との間に会話があったり、なかったりするのだが(会話がある場合は、後々のクラブ活動の伏線になっている)ある場合でも、ほぼ決まり切った定型の台詞交換にしかならない。
②次が、初めて入る教室の場面。ここで、前の席や隣の席に、別の中学から入学してきた初対面の同級生がいる状況になる。
で、お互いに自己紹介し合うわけだが、とにかく初対面同士だから会話が弾まないし、訥々とした会話の内容も決まりきったもので、少しも面白くない。
「はい」「うん」などという、YES、NOに類する応答だけが頻発する。ページ数稼ぎの水増しではないか、とすら思える。
くれぐれも注意しておくが、選考委員は「応募規定枚数の上限に近づけるための水増し」と見なして(応募規定枚数の上限に近いほど有利という根拠ゼロの都市伝説が流布しているせいで)選考時の減点対象。落選に直結する。
いや、高校に入学した初日という舞台状況設定の時点で、ほぼ99%一次選考落ちは確定しているのだが。
アマチュアは、「登場人物同士が初対面で、知り合う」場面は絶対に書いてはいけない。親しくなるまでに、膨大な枚数を食う。
親しくなる前の時点で、一次選考落ちが決定的となる。
③クラブ活動に入る場面。ここでも、初対面の同級生および先輩や顧問と、自己紹介の場面が展開される。自己紹介の場面を二度も読まされる側としては堪ったものではない。
④そのクラブ活動だが、部員数が足りなくて廃部の危機に瀕している。何人か入ってくれればクラブを維持する最低条件の人数をクリアーできる。
そのクラブの活動内容は違っていても、流れは、ほぼ一緒で、目新しいエピソードは何一つない。
以上の四項目が、学園小説を書くに際してアマチュアが絶対に書いてはいけない必須禁忌条件である。
オリジナリティを出すには
私なら、どう書くか。
①では私の実体験がある。高校ではなく大学だが、いきなり顔見知りの先輩に捕まって「俺のところに来い。俺と一緒にオリンピックに行こう」と誘われて「冗談は止めてください」と必死になって断った(その先輩は、全日本チームのエースでオリンピック代表だった)。
私の運動能力は、4000人近い同級生の中でベスト4に入っていたので、声が掛かるのも当然だったが、私は既に、入る部を卓球部と決めていた(私の卓球歴は私の『ウィキペディア』に詳述されているので、そちらを見てほしい)。
次に②の場面。別の中学から入学してきた初対面の同級生でも、既にお互いの存在は知っていることにする。
中学時代の部活で何度も対戦してライバル同士であるとかに設定すれば、最初から会話は弾む。当然、入る部も一緒である。
③では、クラブの顧問・監督も、すでに顔見知り。そもそも中学時代に、「この高校に来てくれ。インターハイで優勝するには君が必要だ」とスカウトされていたことにすれば、会話は一気に核心に入る。
④は、廃部寸前ではなく、全国優勝が目標のクラブに設定する。当然、クラブの練習内容も生温い要素など皆無で、熾烈を極める。
こういう物語にすれば、仮に私のアドバイスどおりに書いたとしても、間違いなく書き手の独自性(オリジナリティ)は確保される。書き手の個性が出るからだ。
正反対の「平凡」「どこにでもある学校」を舞台にすれば、どういう人が書き手だろうと、似たり寄ったりの物語にしかならない。
「平凡」「普通」は、新人賞を狙うアマチュアにとっては禁忌の二語である。
プロフィール
若桜木虔(わかさき・けん) 昭和22年静岡県生まれ。NHK文化センターで小説講座の講師を務める。若桜木虔名義で約300冊、霧島那智名義で約200冊の著書がある。『修善寺・紅葉の誘拐ライン』が文藝春秋2004年傑作ミステリー第9位にランクイン。