W選考委員版「小説でもどうぞ」第1回 選外佳作 また会う日まで/志賀廣弥
選外佳作
「また会う日まで」
志賀廣弥
「また会う日まで」
志賀廣弥
五十年前の親父に会った。
駅前の酒屋で何本か酒を買い、朝まで麻雀をする。このままじゃ駄目だと思いながらもそんな夜はたくさんあり、それでもその夜が平日ならば、翌日は眠い目を擦りながらもきちんと出社する。気難しい上司と外回りに出掛け、社内ではかしましい女性社員と立つ腹を抑えながら煩雑な説明を根気強くする。そうしているうちにまた夜が来る。
忘れよう忘れようとすればするほど、その人のことは頭のなかから出ていかず、忘れられそうだと思うと、今度は友人の結婚の話を耳にしたりしてまた忘れられない想いが悶々と沸きあがり、酒を呑んではそんな夜をやり過ごす。
二十六歳の親父は、今の俺とあまり変わらないように思えた。恋破れ、仕事も思ったようには上手くいかず、酒ばかり呑んでいる。それでも自分はいつか何かもっと大きなものごとに触れられると信じていて、いつか何者かになれるような気がしている。親父よりさらに十、年を重ねている俺は焼酎のお湯割りを片手に問いかけてみる。
「結婚しようって決めたときはさ、何か諦めたような気持ちになったりした?」
自分よりも年下の親父は、馬鹿なのかこいつという顔をしてハイボールのグラスから顔を上げる。
「今の俺に結婚の話をするなんて、おまえ相当酔ってるのか」
俺は真面目な顔をして首を横に振る。親父が結婚しなければ、俺は生まれないんだ。
死んだ親父を、母と見送ったその日の気温が首筋を撫でる。雨は午前に止んでいた。春のはじまりにしては冬のような寒い日だった。
「そうだな、でも諦めるような気持ちでするもんじゃないだろ、結婚というのは」
何かを諦めきれないような苦味を残したようなさみしい笑みを浮かべながら親父は答えた。叶わなかったその恋の先の十年後に、どうやって母親と出会ったのかは知らない。それは今度、母から聞いてみようと思うが、教えてくれるかはわからないし聞くのも正直照れくさい。でも、今の親父に聞いてみてもまだわからない話だ。
早く落ち着けと難しい顔をしていた親父と、ふわふわとして先の見えない未来に怯えているようにも見える目の前の青年は違う人間のように見えるが、同じだ。ただ俺が知らないだけの時間があっただけだ。それを知ろうと思った時には大抵、もう時間は足早にすべての物事を追い越してしまっていて何も知ることが出来なくなっていることが多い。
どうしてもっと話をしなかったか、と思うがきっとまだ生きていたら話をするのは後でもいいかと思っているに違いない。そんなものだ。それを後悔とか悔しさとか、そういう言葉にするのも何か違う気がする。ただ、そうだった、というそれだけのことだ。それではあまりに淡白だろうか。ただもう少し共に時間を過ごしてもよかったのだろうと思う、それも後の祭りだ。
親父は最期のときに走馬灯というものを見たのだろうか。生まれてからの出会ったひとたちやものごとを、ゆっくりとしっかりと見る時間はあったのだろうか。死んでからでは何も聞けない。一体どうだった、と酒でも呑みながら聞きたいがそれが叶わないのが本当の別れということだ。
差し向かいで酒を呑みながら終わっていくこの夜に、本当に聞きたいことは何も聞けない。そもそも聞きたいことがあったのかどうかもわからない。もう開かない口を、酒を含ませたティッッシュで撫でる。
もし同じ時代に同じように生きていたら共に酒を呑むこともあったのだろうかと、ありえない空想で、かなしみと呼んでもいいような曖昧な気持ちを静める。何を思ったらいいのだろうかとずっと考えているが全くわからない。
生きていれば時間はあれよあれよという間に過ぎていく。
もう今や、目の前で、親父は棺のなかで、まもなく炎に包まれる。これ以上は本当に何も無くなってしまう。骨が残るといえど、体というものは目に見えるかたちでは本当になくなってしまう。共に酒を呑んでも何も言えなかった俺がここで何を言えるというのだろうか。
システマチックな都会のでかい火葬場では、すぐ隣でも最期の別れに泣いているひとたちがいる。かのひとたちは充分に今から燃やされるひとと話をしたのだろうか。ひとのことなど考える余裕はないはずなのにぼんやりとそんなことを思う。涙は驚くほど出て来ない。
それでは、と火葬場の職員が言う。
俺は手に持っていた一冊の日記を親父の胸のところに置いて、「またな」とだけ言う。
(了)
駅前の酒屋で何本か酒を買い、朝まで麻雀をする。このままじゃ駄目だと思いながらもそんな夜はたくさんあり、それでもその夜が平日ならば、翌日は眠い目を擦りながらもきちんと出社する。気難しい上司と外回りに出掛け、社内ではかしましい女性社員と立つ腹を抑えながら煩雑な説明を根気強くする。そうしているうちにまた夜が来る。
忘れよう忘れようとすればするほど、その人のことは頭のなかから出ていかず、忘れられそうだと思うと、今度は友人の結婚の話を耳にしたりしてまた忘れられない想いが悶々と沸きあがり、酒を呑んではそんな夜をやり過ごす。
二十六歳の親父は、今の俺とあまり変わらないように思えた。恋破れ、仕事も思ったようには上手くいかず、酒ばかり呑んでいる。それでも自分はいつか何かもっと大きなものごとに触れられると信じていて、いつか何者かになれるような気がしている。親父よりさらに十、年を重ねている俺は焼酎のお湯割りを片手に問いかけてみる。
「結婚しようって決めたときはさ、何か諦めたような気持ちになったりした?」
自分よりも年下の親父は、馬鹿なのかこいつという顔をしてハイボールのグラスから顔を上げる。
「今の俺に結婚の話をするなんて、おまえ相当酔ってるのか」
俺は真面目な顔をして首を横に振る。親父が結婚しなければ、俺は生まれないんだ。
死んだ親父を、母と見送ったその日の気温が首筋を撫でる。雨は午前に止んでいた。春のはじまりにしては冬のような寒い日だった。
「そうだな、でも諦めるような気持ちでするもんじゃないだろ、結婚というのは」
何かを諦めきれないような苦味を残したようなさみしい笑みを浮かべながら親父は答えた。叶わなかったその恋の先の十年後に、どうやって母親と出会ったのかは知らない。それは今度、母から聞いてみようと思うが、教えてくれるかはわからないし聞くのも正直照れくさい。でも、今の親父に聞いてみてもまだわからない話だ。
早く落ち着けと難しい顔をしていた親父と、ふわふわとして先の見えない未来に怯えているようにも見える目の前の青年は違う人間のように見えるが、同じだ。ただ俺が知らないだけの時間があっただけだ。それを知ろうと思った時には大抵、もう時間は足早にすべての物事を追い越してしまっていて何も知ることが出来なくなっていることが多い。
どうしてもっと話をしなかったか、と思うがきっとまだ生きていたら話をするのは後でもいいかと思っているに違いない。そんなものだ。それを後悔とか悔しさとか、そういう言葉にするのも何か違う気がする。ただ、そうだった、というそれだけのことだ。それではあまりに淡白だろうか。ただもう少し共に時間を過ごしてもよかったのだろうと思う、それも後の祭りだ。
親父は最期のときに走馬灯というものを見たのだろうか。生まれてからの出会ったひとたちやものごとを、ゆっくりとしっかりと見る時間はあったのだろうか。死んでからでは何も聞けない。一体どうだった、と酒でも呑みながら聞きたいがそれが叶わないのが本当の別れということだ。
差し向かいで酒を呑みながら終わっていくこの夜に、本当に聞きたいことは何も聞けない。そもそも聞きたいことがあったのかどうかもわからない。もう開かない口を、酒を含ませたティッッシュで撫でる。
もし同じ時代に同じように生きていたら共に酒を呑むこともあったのだろうかと、ありえない空想で、かなしみと呼んでもいいような曖昧な気持ちを静める。何を思ったらいいのだろうかとずっと考えているが全くわからない。
生きていれば時間はあれよあれよという間に過ぎていく。
もう今や、目の前で、親父は棺のなかで、まもなく炎に包まれる。これ以上は本当に何も無くなってしまう。骨が残るといえど、体というものは目に見えるかたちでは本当になくなってしまう。共に酒を呑んでも何も言えなかった俺がここで何を言えるというのだろうか。
システマチックな都会のでかい火葬場では、すぐ隣でも最期の別れに泣いているひとたちがいる。かのひとたちは充分に今から燃やされるひとと話をしたのだろうか。ひとのことなど考える余裕はないはずなのにぼんやりとそんなことを思う。涙は驚くほど出て来ない。
それでは、と火葬場の職員が言う。
俺は手に持っていた一冊の日記を親父の胸のところに置いて、「またな」とだけ言う。
(了)