W選考委員版「小説でもどうぞ」第1回 選外佳作 秋の終わりに/ササキカズト
選外佳作
「秋の終わりに」
ササキカズト
「秋の終わりに」
ササキカズト
「紅葉も、もう終わりね」
公園の木々の色付いた葉は、舗装された遊歩道を美しい絨毯の色で染め始めていた。私は、ひらひらと舞い落ちる葉を眺めながら、季節が過ぎゆく寂しさを感じていた。
「寒くない?」
私の車椅子を押す彼が言った。肩のショールをかけ直してくれた彼の手を握りながら、「大丈夫」と、私は答えた。
若々しい彼の手に触れると、嫌でも自分の老いを意識してしまう。自分だけが老いていくということを。
ほかの人から、私たち二人はどう見えているのだろう。老婆を世話する若い看護師、あるいは祖母と孫といったところだろう。それでいい。いや、そう装っているのだから。私が病気がちになって、車椅子生活になってから、むしろ人目を気にせず外に出られるようになった。
彼と出会ったのは、もう六十年以上も前のことだ。それはやはり秋のことだった。私が勤めていた製薬会社の研究開発課に、中途採用で入社してきた彼は、私の一つ歳上の二十八歳だったが、もっとずっと若く見えた。そしてその若さは、今もまったく変わらない。
彼は、孤独な暗さをまといながらも、妙な神秘性を放っていた。最低限の仕事の話しかせず、人とのコミュニケーションを遮断していて、雑談に乗ってこないばかりか、「必要なこと以外は話しかけないでもらいたい」と、周囲にはっきりと言っていた。仕事は淡々とこなしていたが、社内では孤立していった。
そんな中で私は、ただ一人、彼にしつこく話しかけ続けた。天気のこととか、好きなものは何かとか、昨日は家で何をしたのかなど。無視されても、何度「話しかけるな」と言われても、めげずに話かけ続けた。
なぜそんなことをしたのか。私は、彼が一人でいたがるのには、何か特別なわけがあるに違いないと感じていた。そのわけを知りたいという気持ちを押さえられなかったのだ。
ある日私は、彼の思いもよらぬ秘密を知ることとなった。彼はよく残業を終えたあとに、自分の研究のためと、一人社内に残っていた。その日私は、帰宅したと見せかけ、彼が何を研究しているのかを覗きに戻ったのだ。
廊下に面した研究室の窓から、彼の様子を覗き見て驚いた。彼の前には毒薬の瓶が並んでいて、自分の腕に注射していたのだ。私は「何をしているの!」と叫びながら、彼に駆け寄り、注射器を取り上げた。
私を見る彼の目は、涙で溢れていた。
「死ねないんだ……死にたいのに、死ねないんだ」彼はそう言った。
死ねないってどういうこと? 確かに彼は既に猛毒を自分に注射し終わっていた。即死するはずの量だ。だが生きている。
私が彼から聞いたのは、到底信じられないような話だった。彼は平安の昔から生き続ける、不老不死の身だというのだ。ある術師による秘薬と秘術によって不老不死となり、名を変え住み家を変え、千年以上の年月を生きてきたと。望んでそうなったわけではなく、彼は実験体であった。彼以外の成功例はなく、術師も死に、秘術も絶えた。不老不死だと人に知られると、戦いに利用されたり、人体実験の苦しみを味わったりもしてきた。だから彼は、出来るだけ秘密を知られぬよう生きてきた。しかしそれは孤独に生きることであり、彼にとって不老不死は絶望でしかなかった。
私はこの荒唐無稽ともいえる話を、理性では疑いつつも、感情では不思議とすんなり受け入れていた。彼から感じる孤独感と神秘性はこのためであったかと、妙に合点がいったのだ。私は彼に言った。
「私が生きている間は、絶対にあなたを孤独にしない。希望を持って生きていける道を、一緒に探っていきましょう」
その後私と彼は一緒に暮らし、名前や場所を変え生きてきた。彼の負担にならない程度に不老不死について研究もしたが、何もわからなかった。そもそも私は、彼を死なせてあげることが最善なことなのかわからなかった。ただ私は、彼の孤独を和らげるために、彼に寄り添って生きてきただけだ。
しかし今や、私だけが歳をとり、死期も遠くない。今後彼の孤独をどうすればいいのか。私は、三年前に出合った私の主治医がとても信頼出来る人だったので、すべてを打ち明けた。私が死んだら、彼のことを頼みますと。
公園の散歩を終え、病院に戻ると、私の主治医が彼と何か話をしているようだった。
「まだ妄想の記憶を本当だと信じているようですが、もう少し様子を見ましょう」
「先生、僕は祖母が幸せなら、妄想を否定しなくていいと思っています。祖母の前で僕は、不老不死の恋人でいてあげたいのです」
二人が廊下で話しをしている間、私は病室の窓から外を見ていた。散りゆく紅葉の葉が、美しく、そして寂しげに散っていた。
(了)
公園の木々の色付いた葉は、舗装された遊歩道を美しい絨毯の色で染め始めていた。私は、ひらひらと舞い落ちる葉を眺めながら、季節が過ぎゆく寂しさを感じていた。
「寒くない?」
私の車椅子を押す彼が言った。肩のショールをかけ直してくれた彼の手を握りながら、「大丈夫」と、私は答えた。
若々しい彼の手に触れると、嫌でも自分の老いを意識してしまう。自分だけが老いていくということを。
ほかの人から、私たち二人はどう見えているのだろう。老婆を世話する若い看護師、あるいは祖母と孫といったところだろう。それでいい。いや、そう装っているのだから。私が病気がちになって、車椅子生活になってから、むしろ人目を気にせず外に出られるようになった。
彼と出会ったのは、もう六十年以上も前のことだ。それはやはり秋のことだった。私が勤めていた製薬会社の研究開発課に、中途採用で入社してきた彼は、私の一つ歳上の二十八歳だったが、もっとずっと若く見えた。そしてその若さは、今もまったく変わらない。
彼は、孤独な暗さをまといながらも、妙な神秘性を放っていた。最低限の仕事の話しかせず、人とのコミュニケーションを遮断していて、雑談に乗ってこないばかりか、「必要なこと以外は話しかけないでもらいたい」と、周囲にはっきりと言っていた。仕事は淡々とこなしていたが、社内では孤立していった。
そんな中で私は、ただ一人、彼にしつこく話しかけ続けた。天気のこととか、好きなものは何かとか、昨日は家で何をしたのかなど。無視されても、何度「話しかけるな」と言われても、めげずに話かけ続けた。
なぜそんなことをしたのか。私は、彼が一人でいたがるのには、何か特別なわけがあるに違いないと感じていた。そのわけを知りたいという気持ちを押さえられなかったのだ。
ある日私は、彼の思いもよらぬ秘密を知ることとなった。彼はよく残業を終えたあとに、自分の研究のためと、一人社内に残っていた。その日私は、帰宅したと見せかけ、彼が何を研究しているのかを覗きに戻ったのだ。
廊下に面した研究室の窓から、彼の様子を覗き見て驚いた。彼の前には毒薬の瓶が並んでいて、自分の腕に注射していたのだ。私は「何をしているの!」と叫びながら、彼に駆け寄り、注射器を取り上げた。
私を見る彼の目は、涙で溢れていた。
「死ねないんだ……死にたいのに、死ねないんだ」彼はそう言った。
死ねないってどういうこと? 確かに彼は既に猛毒を自分に注射し終わっていた。即死するはずの量だ。だが生きている。
私が彼から聞いたのは、到底信じられないような話だった。彼は平安の昔から生き続ける、不老不死の身だというのだ。ある術師による秘薬と秘術によって不老不死となり、名を変え住み家を変え、千年以上の年月を生きてきたと。望んでそうなったわけではなく、彼は実験体であった。彼以外の成功例はなく、術師も死に、秘術も絶えた。不老不死だと人に知られると、戦いに利用されたり、人体実験の苦しみを味わったりもしてきた。だから彼は、出来るだけ秘密を知られぬよう生きてきた。しかしそれは孤独に生きることであり、彼にとって不老不死は絶望でしかなかった。
私はこの荒唐無稽ともいえる話を、理性では疑いつつも、感情では不思議とすんなり受け入れていた。彼から感じる孤独感と神秘性はこのためであったかと、妙に合点がいったのだ。私は彼に言った。
「私が生きている間は、絶対にあなたを孤独にしない。希望を持って生きていける道を、一緒に探っていきましょう」
その後私と彼は一緒に暮らし、名前や場所を変え生きてきた。彼の負担にならない程度に不老不死について研究もしたが、何もわからなかった。そもそも私は、彼を死なせてあげることが最善なことなのかわからなかった。ただ私は、彼の孤独を和らげるために、彼に寄り添って生きてきただけだ。
しかし今や、私だけが歳をとり、死期も遠くない。今後彼の孤独をどうすればいいのか。私は、三年前に出合った私の主治医がとても信頼出来る人だったので、すべてを打ち明けた。私が死んだら、彼のことを頼みますと。
公園の散歩を終え、病院に戻ると、私の主治医が彼と何か話をしているようだった。
「まだ妄想の記憶を本当だと信じているようですが、もう少し様子を見ましょう」
「先生、僕は祖母が幸せなら、妄想を否定しなくていいと思っています。祖母の前で僕は、不老不死の恋人でいてあげたいのです」
二人が廊下で話しをしている間、私は病室の窓から外を見ていた。散りゆく紅葉の葉が、美しく、そして寂しげに散っていた。
(了)