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W選考委員版「小説でもどうぞ」第1回 佳作 涙が出るほど、空は青/美星

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
「涙が出るほど、空は青」美星
 明日は土曜日。面会の日だ。母がホームに入所して二年余りが経つ。自分で介護しないことの罪悪感もいつしか薄れ、それどころか、最近は土曜日は気が重い。
 母はここ数か月で、私のこともわからなくなってしまった。先週は「ハルカさん」、その前は「ユタカさん」と、私のことを呼んだ。いずれも母の姉妹だったり、若い頃の友だちだったりする。母の心は、過去の世界をさまよっているのだ。もう私のことを「美和」と呼んでくれることはないのだろうか。一人娘で、母と二人、寄り添うように生きてきた。今、三十を過ぎた私は、母の中では、見知らぬどこかの女の人でしかないのかもしれない。
 ホームは、町はずれの小高い丘の上にある。最初に母を連れて来た時は「まさに姥捨て山だな」と、泣けて泣けて仕方なかった。
 新緑の若葉が眩しい。陽の光が美しい。ここはいつでも時が止まっているようだ。
 玄関で呼び鈴を鳴らすと、いつものようにスタッフの間下さんが、笑顔で迎えてくれた。「いらっしゃい、林さん。お母さまがお待ちかねですよ」
 苦笑する私の気持ちを察してか、
「林さん。お母さまね、土曜日の朝になると、化粧してくれとおっしゃるんです。きっと面会を楽しみにしていらっしゃるんですね」
 と間下さんは言った。私と同年代だろうに、まして男の方なのに、この心遣いはすごい。
 でも私は、
「今日は誰が来たと思うのでしょうね」
 と、寂しく笑うしかなかった。間下さんは、少しだけ目を見張り、言葉の代わりに優しい笑顔を返してくれた。
「あら、サオリさん、いらっしゃい」
 部屋のドアを開けた私を、母は「サオリさん」と呼んだ。確か、母の兄の奥さん、伯母さんの名前だ。私はどうやら今日は、母より五つも年上の義理の姉らしい。 「佐和さん、こんにちは。元気そうね」
 私は明るく笑って、母の手をとった。
「サオリさん、覚えてる? 兄さん抜きで、二人で新宿に行ったことがあったわよね。
 夕食まで食べて帰ったら、兄さんが、俺一人のけ者にしてって、おかんむりだったわ。
 あの時はなだめるのが大変だったわね」
 母がまだ結婚する前のことだろう。私の知らない、娘時代の母がそこにいる。
「そうね」としか私には答えられない。
「たしか、ほら。お土産のケーキで機嫌が直ったのよ。どこのケーキだったかしら」
「さあ、どこのだったかしら。でも、美味しかったわね」
「ええ、とても」
 私は伯母になりきり、しばらく他愛もないおしゃべりをして、母がお昼寝の床に就いたことを見届け、ホームを後にした。
 空が青い。ああ、涙が出るほどに。

 それから一年後、母は静かに息をひきとった。眠るように逝ったのだそうだ。朝、間下さんが起こしに行った時、ほんの少し目をあけ、微笑んでそのまま……。救急車も間に合わなかったのだという。
 私は、母の死に目に会えなかった。

 ホームの母の個室で、遺品整理をしていた時、母の日記帳を見つけた。そういえば、几帳面な母は、ずっと日記を書いていたのだ。
 認知症と診断されてからのそれには、自分が壊れていくことへの不安、娘の私の心配、迷惑をかけてしまう詫びやら辛さが書かれていて、胸が絞めつけられた 「母さん……」
 ふと手が止まった。母が私だと認識できなくなった頃からのページ。もう文章にはなっていなかったが、私をそう呼んだ人たちの名前と、面会に来た日付が書いてある。たどたどしい文字で。
 そして、亡くなる前日。私の名前が……。
「5/7 むすめ みわ
 ありがとう あろがとう あろがと」
 母は私を通して、最期に、自分の人生で出会った大切な人たち、一人一人に会っていたのだ。そして、五月七日。私を演じてくれたのは、きっと間下さんだろう。 「林さん、片付け、大丈夫ですか?」
 不意に声をかけられ振り向くと、間下さんが立っていた。私の泣き顔を見て、一瞬とまどったが、すぐにいつもの笑顔にもどって、
「お母様、最後の二、三日は、スタッフの皆に『美和』って、話しかけていました。あの朝もです。うっすら目を開けて、微笑んで、『美和、ありがとう』って」  美和さんが一番大切だったんですねと、間下さんは言った。そして、
「美和さん。お母さまがいらっしゃらなくなっても、時々僕と会ってくれませんか?」
 と。母は私に、最後に素敵な出会いを残してくれたらしい。
(了)