他ジャンルに学ぶエッセイのコツ #05 エッセイ×アート
- タグ
他ジャンルの思考、方法を通じてエッセイの書き方を学ぶ特集の第3弾は、アート。今回はセンセーショナルな美術作品で知られる天才美術家、会田誠さんへの取材と2冊の著書を通じて、エッセイを書く考え方、心構えについて探ってみた。
エッセイのコツ
1965年、新潟県生まれ。1991年、東京藝術大学大学院美術研究科修了。美術家。絵画、写真や立体、パフォーマンスのみならず、小説やエッセイ、マンガの執筆など幅広いメディアを用いて作品を制作している。
『カリコリせんとや生まれけむ』(会田誠著・幻冬舎文庫・600円+税)
物議ばかりを醸してきた天才美術家、会田誠が幻冬舎のPR誌『星星峡』に掲載したものをまとめたエッセイ集。制作の現場、子育て、料理などを通じて、天才の頭の中が見えてくる。
『美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか』(会田誠著・幻冬舎・1600円+税)
『カリコリせんとや生まれけむ』に続くエッセイ集。北京での公開制作、美に関する考察、リトアニアでの個展など、アーティストの日常を通してアートの最前線がわかる。
01
型にとらわれず、自由であること
「原稿が書けない!」と妻に代筆を頼む自由さ!
会田誠さんのエッセイ集『カリコリせんとや生まれけむ』の中に、「子育て失敗中!(featuring岡田裕子)」というエッセイがある。
岡田裕子(ひろこ)さんは会田さんの妻。会田さんは個展まであと1カ月ちょっとという時期で、出展する作品ができてなくて「気が狂いそう」という状況。そこに幻冬舎のPR誌「星星峡」に掲載するエッセイの締め切りが重なってしまい、会田さんは窮地に立たされる。
このとき、会田さんは子育てに関するエッセイを書いていたのだが、そこで画期的なアイデアを思いつく。
あ……そうか。「星星峡」はこのネタ自体を妻に書かせればいいんだ。(中略)
というわけで妻よ、あとは内助の功をよろしく、俺はアトリエに籠る!
えっと……妻の岡田裕子でございます(わたくし自身も美術家である関係で、旧姓を名乗っております)。
(『カリコリせんとや生まれけむ』)
まじか! エッセイ集を読んだ誰もがここでそう思ったのではないか。
この代筆について、会田さんはこう語っている。
会田美術の世界でも、デビュー以来、かなりわがままさせてもらうタイプだったので、美術でやっていたわがままをエッセイでもやらせてもらった感じです。
自由すぎる、型破りすぎる! 適任者がいるからといって、代筆を頼むとは!
とはいえ、この自由さはすべての創作に不可欠だ。
何かを作るには発想の飛躍と自由が必要
エッセイ公募で代筆は頼めないし、規定は守らないといけないが、柔軟な思考、自在なテーマの解釈ということでは、会田さんの自由さは大いに手本になる。
たとえば、『巨大フジ隊員VSキングギドラ』が制作されたきっかけ。
巨大フジ隊員VS.キングギドラ
1993
アセテート・フィルム、アクリル絵具
310×410cm
高橋龍太郎コレクション
撮影:長塚秀人
©AIDA Makoto
Courtesy of Mizuma Art Gallery
僕が持っている有効な武器は何か? 日本古来の精神? まさかまさか。戦後民主主義への批判? うーん、どうだか、オマエにそれが本当にできるのか? 云々かんぬん……。
消去法で最後に残ったのが、僕が80年代を通して密かに培った、あのエロ絵のイメージ群だった。
(『カリコリせんとや生まれけむ』)
『巨大フジ隊員VSキングギドラ』に対しては絶賛する人もいれば、眉をひそめる人もいたかもしれない。しかし、後者を恐れれば前者もいなくなってしまう。
エッセイを書くときも同じで、誰の目にも通りのいい水のような文章では、相手の心の中で何も起きない。だから、無難なことを書こうとするのではなく、むしろ心をざわつかせてやろうぐらいの気持ちが欲しい。
それを妨げるのは、「こんなことは書いてはいけない」という心のブレーキと批判を恐れる気持ちだ。
誰の愛も憎悪も喚起させないような無難なものにしたら、それはそもそも「表現」になっていないので、最悪の失敗ということになっちゃいます。
(『美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか』)
誰の愛も憎悪も喚起しない無難なものは表現ではない。
02
エッセイの極意は、絵画で言えば南画
素晴らしいものを書こうと思わない
会田さんは、「美術作品は人工的な嘘を織り交ぜたアイロニカルなもの、エッセイはナチュラルな自分を見せるもの」と言う。
会田「みんなといっしょ」というシリーズをやってみたことがあります。安っぽい紙にマジックペンで下書きなしでちゃちゃっと描いて、安い水彩絵の具でちゃちゃっと色をつける。制作時間も10分ぐらいで描く。落書きに近いようなシリーズです。美術はわざわざ作るひねくれた人工的なものですが、「みんなといっしょ」はエッセイ的な美術作品も作りたいなと思ってやってみたシリーズです。
ためいきつくのがしごと(「みんなといっしょ」シリーズより)
2002
模造紙、油性マーカー、水彩絵具
150×110cm
撮影:二塚一徹
©AIDA Makoto
Courtesy of Mizuma Art Gallery
新潟 ⊃ 世界(「みんなといっしょ」シリーズより)
2002
模造紙、油性マーカー、水彩絵具
160×120cm
撮影:二塚一徹
©AIDA Makoto
Courtesy of Mizuma Art Gallery
ここで言うエッセイは、絵で言えば南画だと言う。
会田狩野永徳が描くような絵は、マジな、失敗の許されない絵です。美術はこっちがメインです。それに対して南画は、そんなに頑張って描かない絵です。下絵や下書きはなし、手すさびというか、ラフな気持ちでさらりと描く絵です。
手すさびは漢字で書くと、手遊び。
会田エッセイは、素晴らしいものを書こうと思わないようにして書きます。どうせ素人なんだし、読者に感心してもらおうとか、そういう野心はなく書いていました。
遊びとは、文字どおり「あそぶ」という意味だが、「ハンドルのあそび」のような使い方もし、これは「余裕」という意味。そこに面白さの源泉がある。名作を書こう、感動させてやろうなどと肩肘を張れば、文章に鎧を着せてしまうことになる。
半可通のほうが面白くなることがある
会田さんは料理のこともエッセイに書いているが、そのやり方もいかにも会田流だ。
とにかくボクの料理はいい加減です。とりあえず火が通ってて食えりゃーいい。デンプン質がα化してサルモネラ菌が死んで、吐かずに、栄養が摂れりゃーいいと思ってます。《何が描いてあるか分かりゃーいい。志の高い絵描きじゃございません。イラストレーターの出来損ないと呼ばれても大いに結構。》
(『カリコリせんとや生まれけむ』)
事前にやる味見も煮え具合の確認もなるべくしないと言う。それでうまくいってしまうのは天性のヤマ勘だろうか。
外食で覚えた新しい味も、とりあえずヤマ勘で再現しようとします。香辛料や隠し味の的中率は、まあまあってところですが、別に目標から曲がったところで、どうってことありません。《アプロプリエーション・アートとやらいうのですが、過去の美術作品を参照して自分の作品を作ることを、ボクはけっこうやります。その際、あんまりガリ勉しません。室町障壁画であれゴシック彫刻であれ、なんとなくの知識とイメージだけでやってます。半可通の方が結果として面白くなることが間々ある――これが学問とは違う水ものたる創作の、微妙な匙加減ってもんだと思います。》
(『カリコリせんとや生まれけむ』)
エッセイを書くことも、ある意味、これまで読んできた文章をヤマ勘で再現することに近い。その際に必要となるものは、素材とレシピ。文章で言えば、素材は説明文と描写文と会話文、レシピは構成法にあたる。
それらを「こんな感じだろう」と真似をする。その際、半可通なままのほうが面白くなることは確かにある。たとえば、「起承転結」の転を“転がす”だと思い、話題を転がした(派生させた)ところ、奇跡的に面白くまとまってしまったとか。
マニュアルどおりにやれば想定内の結果しかでないが、もともとやり方が違うから、思わぬ結果が得られるのだ。
ラフな気持ちでさらりと書く。半可通のほうが面白くなることがある。
03
エッセイはため込んだ思いの出口
書きたい思いが出口を探して噴出する
会田さんが2007年~2010年にかけて制作した『滝の絵』を描きたいという初期衝動を感じたのは、ロンドンでやった個展の初日のこと。滞在して1週間ほどが経ったとき、鈍いストレスを感じたと言う。
滝の絵
2007-2010
キャンバス、アクリル絵具
439×272cm
国立国際美術館蔵
撮影:福永一夫
©AIDA Makoto
Courtesy of Mizuma Art Gallery
「あーあ、早く日本に帰りてーなー」
という言葉が口をつきました。その瞬間です、『滝の絵』のイメージがぱっと浮かんだのは。(中略)ものの5秒程度の出来事だったでしょうか。
(『美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか』)
このときはロンドンのアートシーンに嫌気がさして、コンセプトもアイロニーも政治も毒もまるでない“素直”な絵を描き上げてみたいという気持ちになったそうだが、エッセイの場合も、このように過剰なストレスや締めつけを感じ、そこから逃れたいと思ったときに作品が生まれることがある。
たとえば、会田さんのエッセイに、中学生のとき、母親が産休の代用教員として数カ月間、会田さんを産んでから十数年ぶりに教壇に復帰したときのことを作文に書いた話が収録されている。
ともすると日々愚痴っぽく暗い母親が、仕事を始めていかに潑剌とした表情に変わったか。女性に生まれるということは、いかに理不尽な社会からの要求に応えなければならないものなのか。自分を犠牲にして僕を育ててくれた母親には、いかに感謝をしなければならないか――云々。書きながらだんだん「筆がノってきた」感覚は、今でもなんとなく覚えています。
(『カリコリせんとや生まれけむ』)
母親は会田さんを産んでから家庭にいて、ともすると愚痴っぽく暗い。そのことを十数年間、無意識のうちに気にしていたのではないだろうか。その思いが宿題の作文という出口を見つけたとき、噴出して止まらなくなったと思える。
エッセイを書きたいという初期衝動は、書きたい思いが出口を探してぱんぱんになっている状態ではないだろうか。
Jumble of 100 Flowers(部分)
2012~(制作中) キャンバス、アクリル絵具 200×1750cm
撮影:宮島径
©AIDA Makoto
Courtesy of Mizuma Art Gallery
美術家としての遺書として書いた『「犬」全解説』
会田さんは、電子書籍で販売されている『「色ざんげ」が書けなくて』を紙の書籍にすべく、現在準備中だ。
会田電子書籍の『「色ざんげ」が書けなくて』は自分の性について書けることは洗いざらい書こうという趣旨のエッセイです。これを紙の書籍にするにあたり、新たに『「犬」全解説』を書き下ろして足して2倍の量にしました。
「犬」シリーズは何かと話題のセンセーショナルな美術作品。描かれた少女は手首より先、膝から下がなく、包帯からは血が滲んでいる。
会田これまでネットに書かれたコメントを見ると、「犬」への抗議が圧倒的に多い。「犬」シリーズの第1作は1989年、23歳のときに描いた作品で、僕にとって分水嶺にあたる作品です。このとき、なぜ「犬」を描いたかを説明すると、その後の僕の全活動の説明になると思いました。
それにしても、自作の解説というのは異例かもしれない。
会田美術作品のいいところは、言葉がないところですよね。それこそが絵画の強みです。なぜこれを描いたかを言わない。無言というケンカ殺法、必殺技です。だから、自己解説はやらないほうがいいのですが、やるならちょっとでは済まないと思い、ロングエッセイにしました。美術家としての遺書になると思って書きました。
人の思いは、胸の中にため込んでいた時間と量が多ければ多いほど、その出口を見つけたとき、とめどなくあふれてくる。会田さんが「犬」について沈黙していた期間は30年以上。それは相当なものだろう。
遺書とは、最後に明かす胸の内ということ。遺書だから南画のようにさらりというわけにはいかず、美術評論のような硬質な文章になったと言うが、手ずさみに書いた文章とはまた違った読みごたえのあるエッセイに違いない。
人の思いは胸の中にため込んでいた時間と量が多いほどあふれてくる。
MONUMENT FOR NOTHING V ~にほんのまつり~
2019 木材、針金、凧糸、障子紙、木工用ボンド、アクリル絵具
展示風景:「Oh!マツリ☆ゴト 昭和・平成のヒーロー&ピーポー」、
兵庫県立美術館、2019
©AIDA Makoto
Courtesy of Mizuma Art Gallery