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他ジャンルに学ぶエッセイのコツ #01 エッセイ×スポーツ〈前編〉

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撮影:古本麻由未

他ジャンルの思考、方法を通じてエッセイの書き方を学ぶ特集の第1弾は、スポーツ。今回はスポーツライターとして多くの有名アスリートに接し、自身もエッセイ、ノンフィクションを手掛ける小林信也さんに取材し、エッセイの書き方を探ってみた。

【特集】他ジャンルに学ぶ
エッセイのコツ
スポーツライター小林信也 Kobayashi Nobuya「思いを伝えたければ、感性で書け!」 思いを伝えたければ、感性で書け! スポーツライター小林信也 Kobayashi Nobuya

1956年、新潟県生まれ。慶應義塾大学卒。スポーツライター。「ポパイ」「Number」のライターなどを経て独立。著書は『長嶋茂雄語録』『長嶋はバカじゃない』『カツラーの秘密』など多数。新刊に『天才アスリート 覚醒の瞬間』(さくら舎刊)。

01
人の心を動かす
文章の鉄則

打席に立ったら頭では考えないこと

プロ野球の球速は最速166km。打者までの到達時間は約0.4秒だ。そうした剛速球でも、ソフトバンクホークスの柳田悠岐選手はフルスウィングをする。

小林柳田がなぜフルスウィングができるかというと、ボールがここ(ミートポイント)に来るとわかっているからです。来たボールに合わせるのではなく、投手が投げた瞬間、もうここに来るとわかっている。タイミングを合わせようとしたら絶対に打てません。

頭で考えれば、「ここに来るなんてわかるわけない」と思ってしまうところだが、トップアスリートの体は瞬間的に球道を的確に見抜くのだ。

小林長嶋茂雄さんに『Number』の表紙になってもらったとき、打つ格好をしてもらい、ボールを吊るして撮影しようとしたら、「ボールの位置はここではありません」と言うんです。それでカメラマンが「ボールはどこに来るかわかりませんよね」と聞くと、「いいえ、ボールは必ずここに来ます」と言う。「ボールはここに来る」という前提でスウィングしているんです。

長嶋茂雄さんはまさに野性の勘で打っているわけだが、勘が働かない人はどうするかというと、理論やデータに頼る。ところが、これは逆で、頭を使えば使うほど勘は働かなくなり、体も動かなくなる。

小林最近のプロ野球はデータ分析をします。観る側には面白いですが、プレーする側には役に立ちません。カウント3ボール、2ストライクから来る球種が「ストレート60%、変化球が40%」と頭に入れても、どうやって待つんですかって話です。100%ならまだわかりますが、60・40で考えるなら考えないほうがいいじゃないですか。

書くという行為も同じで、来たボールに瞬間的に反応するように書かないと、相手に伝わる文章にはならない。

即興で書ける状態にして原稿を書く

“来たボールに瞬間的に反応するように書く”と言ったが、エッセイを書くときは、語順、文法、展開、構成など、同時に考えなければならないことがたくさんある。小林さんの場合はどう書いているのだろう。

小林ぼくはものを書くときに、一切考えないです。考えた文章では人を説得できないです。好きな女の子に愛を告白するとき、あらかじめ用意してきたシナリオを読んでも心は絶対に動かないじゃないですか。でも、心の底からでてくる言葉なら、もしかしたら通じるかもしれない。人の心を動かしたいと思ったら、考えたらだめです。考えた割合が0に近いほど人に伝わる可能性があります。これは鉄則ですね。

政治家の答弁ではないが、あらかじめ用意した原稿を読んでも何も伝わらない。多少たどたどしくても、思いのままを言葉にしたほうが気持ちが伝わるのは誰でも経験があることだろう。しかし、構成となると、何も考えないでうまくいくものだろうか。

小林構成もあまり考えません。考えなくても体にしみついているというか、こんな感じで書くとこんな文章になるという感覚を持っています。全く具体性がない状態で書くことはできませんので、要素はいくつか必要です。要素というのは取材したことや取材相手の印象などですが、それが頭の中でかたまりとなっている。そのかたまりが一行一行になってでてくるのであって、最初から一行一行ができているわけではありません。しかし、こちらにエネルギーがあれば、パソコンに向かったとき、書くことは自然とでてきます。もっと言えば、でてくる状態にしてパソコンの前に座れるかが一番の勝負なんです。

書くことが自然にでてくるというのはどんな状態か。それは次章に譲ろう。

人の心を動かしたいと思ったら、考えてはだめ。考えた割合が0に近いほど人に伝わる。

02
頭より体のほうが、
頭がいい

考えても頭には答えはない

考えれば考えるほど体は動かなくなるのに、「よく考えてやれ」と言う人が多いのはなぜだろうか。

小林日本の社会には、ものを考えるほうが高尚だという考えがあるんです。ぼくはよく「頭より体のほうが、頭がいい」と言うんです。だって、熱いお湯に手を入れたとき、「熱いんだっけ、冷たいんだっけ」と頭で考えたらわからないですよ。体だから「熱い!」とわかる。頭は間違えるんです。

しかし、体で答えをだしても、頭がそれを否定してしまうこともある。やはり、そこには感覚より思考のほうが正しいという思い込みがある。

小林頭で考える人は、不安を作りだします。成功するか失敗するか頭で考えたら、失敗するという答えしかでてこないです。これは現代病の一つだと思いますね。スポーツというのは、体の中にある感性を研ぎ澄まして、頭よりも早く正確に行動する文化だと思っていますが、考えろ考えろと頭の文化にしようとする風潮があります。

知性や知力はある種の権威で、知的レベルが高いと思っているほうはそうでないほうを下に見る。これは大人と子どもについても言え、子どもはまだ成長せざる者と見るのだ。

小林「子どものほうがわかっている」ということを前提にしている人は少ない。子どもは感性、感覚でわかっていますが、大人は失っているんです。子どもがここにいて、後ろから腰の真ん中を押すと、最初のうちは前に出てしまいますが、「よろけたらだめだよ」と言うと、次からはピタッと立つんです。重心を落とすということを体で理解するんです。

ところが、大人は何回やっても、ぐちゃっと崩れてしまうと言う。

小林よろけたとき、大人に「だめじゃん」と言うと、「では、どうすればいい?」と頭で考えてしまいます。考えても頭には答えはないんです。でも、体には答えがあり、「なんだ、こうだ」とわかるんですよ。子どもにはこれができるんですが、中学生ぐらいになると、特に頭のいい子はできない。一瞬できるんですが、「なんでできたんだろう」と頭で思った瞬間、崩れるんです。完全に頭が邪魔しているんです。

考えるまでもなく書けるようにしておく

頭では考えず、感性、感覚でエッセイを書くには、何が必要だろうか。

小林スポーツライターの場合は、まずは取材です。

頭の中に何もなかったら何もでてこない。取材するなり、調べるなりして、書くことを頭に詰め込んでおく。これが第一の条件。その上で、それが一行一行になってでてくるように基本的な技術を身につけておく。書く段になって「比喩は?」「文法は?」と考えているようでは遅い。何も考えずに技術を使いこなせるように、もっと言えば、使っているという意識すらないくらい自分のものにしておく。これが第二の条件。

小林何も考えずにうまく書くには、考えるまでもなくできるようにしておくことです。パソコンの操作も、考えなくてもできるように習熟しておく。文章も「てにをは」を含め、書く基本を叩き込んでおかなければ心の熱は表現できません。

考えるまでもなく書けるように習熟しておく。そのためには基本を叩き込んでおくことが必要。

『天才アスリート 覚醒の瞬間』(小林信也著/さくら舎刊/1,800円+税)

戦前の日本スポーツの黎明期から現代までのアスリート54人を取り上げ、競技にのめりこんだきっかけ、一段強くなった引き金の出来事、殻を破った転機、ゾーンに入ったときなど「覚醒の瞬間」に焦点を当て、彼らの知られざる努力、苦悩、思いに迫る。

#02 エッセイ×スポーツ
〈後編〉