他ジャンルに学ぶエッセイのコツ #04 エッセイ×お笑い〈後編〉
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取材:相川藍/撮影:古本麻由未
(プロフィール写真を除く)
吉住さんは「言葉の違和感からコントの着想を得ている」というのが前編。これに続く後編では、吉住さんの抜群の演技力が生まれた学生時代や、コントにおける構成法について語ってもらい、ここからエッセイの書き方を探ってみた。
エッセイのコツ
1989年生まれ。福岡県北九州市出身。プロダクション人力舎所属。2020年『女芸人No.1決定戦 THE W2020』で4代目チャンピオンに。「吉住第4回単独公演『生意気なトルコ土産』」DVD好評発売中。吉住 official channelはこちら。
03
忠実に模倣するところに描写力が生まれる
人物のプライベートを考えることから発想する
吉住さんが「THE W」で優勝したときのネタが「女審判」。このコントは、着替える時間がなく、審判服のまま女性が待ち合わせ場所に現れるという場面から始まる。そこで恋人は野球選手や監督に嫉妬し、口論が始まる。
「またその話? 『ほかの男と話してた』って、だからそれはさ、監督が選手交代したいって言うから、中継ぎのピッチャー出したいって言うから……。無理だよ、無視なんてできないよ。私、今日、主審だよ」
恋愛ドラマの設定をなぞらえたものだが、女審判が困れば困るほど笑ってしまう。
吉住私は小学校のときにホークスのファンクラブに入るぐらい野球が好きで、選手も見てましたが、審判の方も気になって。すっごい大きな声でアウトとかセーフとか言ってるけど、家に反抗期の息子とかいないのかなあ(笑)とか、授業参観とかに親が審判の格好で来たらちょっと嫌だろうなあ(笑)とか、その人のプライベートを考えることから発想することが多いですね。
コントでは一瞬を切り取るように場面を描くが、その背景がうっすら見えてくることがある。それは人物のプライベートから発想しているせいかもしれない。
吉住バックボーンが気になるような女性を演じたいです。今、この場面を切り取っているけど、家に帰ったら家族がいるし、大切な人がいるし、晩ご飯は何食べたのかなあとか、この人はどういう部活に入っていたのかなあとか考えさせられるようなネタが好きです。
これは人物描写のヒントになるかもしれない。何もかも事細かに書くのではなく、何か象徴的なことだけ書く。たとえば、見すぼらしい身なりの女性が大量のパンの耳を買っているが、眼鏡だけは超高級品、となると、いろいろ想像してしまわないだろうか。
ドラマのいいシーンを再現していた中学時代
演技がうまいといわれる吉住さん。あの絶妙な演技や、「こんな人、いる!」と思える表情はどこで覚えたのだろうか。
吉住中学校のときに『冬のソナタ』や上戸彩さん主演の『アタックNo.1』が流行っていました。ドラマの好きなシーンを友達に見せるという癖があったのですが、演技力がついたのはそのせいかもと今思いました。雪が降った日に友達をベランダに連れていって、「ちょっとやってみるから見といて」と言ってドラマを再現していました。ビデオに「10秒戻し」みたいなボタンがあるじゃないですか、あれで「いい表情するなあ」とか、「こういう演技楽しそう」というシーンを何回も観ちゃったりしていました。
吉住さんのコントには、「女子高生が恥じらいながら初めて先輩に告白するシーン」といったよくあるシーンがでてきて、そのときのセリフや表情が完璧にコピーされているのだが、その原点は中学生時代にやっていたドラマの再現にあったのだ。
吉住人を笑わせるのは昔から好きだったので、すごいいいシーンを再現しながら、これをどう笑いに落とし込めるかみたいな考え方はしていたかもしれません。泣きながら笑わせるのが好きというか、「こいつ、泣きながらなんでこんなことをやっているんだ」と思わせて笑わせるんです。
チャップリンの名言ではないが、ドラマの場面にも「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」というところがある。冷静に考えるとなんだか笑ってしまうのだが、その面白さは正確さに支えられている。
エッセイの面白さも正確な描写に支えられており、正確な描写の基本はありのままに写す写生文。吉住さんの演技からは、そうしたことが学びとれる。
いい表現の原点は、好きなものをくり返し見て忠実に模倣するところにある。
04
起承で設定をわからせ、転で感情が爆発する
ほかは真っ当なのに、一点だけズレているからおかしい
吉住さんの「無償の愛」というネタは、母親が当たり屋という設定。帰宅した母親は息子に言う。
「軽くサイドミラーにぶつかろうとしたら、ボンネットに乗り上げちゃって」
母親は息子に部費を渡しながら、命を懸けた仕事ぶりを明るく話す。息子は「部費なんてよかったのに」と言うが、母親はこう言い返す。
「それはだめ、部費はみんなで払うというルールなんだから」
自分は当たり屋なのに、社会のルールは順守するというところが絶妙におかしい。
吉住コント「無償の愛」
吉住どんな職業でも、お母さんは命を懸けて子どもを育てているじゃないですか。でも、本当に命を懸けている職業だったらどうだろう(笑)という発想で作りました。お母さんは部費とかを持っていくのは当たり前、ちゃんと社会のルールにのっとりなさいという正義はあり、そういう倫理観はしっかりしているくせに、職業に関しては「そこはズレているんだ」という面白みがあって、「好きだなあ、このネタ」と思って作っていました。
この母親は、職業に関してはズレているが、ほかは至極真っ当だ。そこがポイントで、ズレているところがたくさんあると笑えない。エッセイの中で笑いを書くときも、ほかはちゃんとしているのに、一点だけズレているものを探すと笑いにつながる。
転は信じていたものが崩れ、感情が爆発するところ
「許されざる恋」「たっちゃん」「無償の愛」「女審判」、いずれも人物はちょっと変わっているといえば変わっているが、どこかにいそうな人でもある。舞台設定も現実と地続きであり、全くの空想的な設定ではない。
吉住ピン芸人はツッコミとかリアクターがいないので、あまりにもあり得ない人物像を描いてしまうと、お客さんの見る気がうせるというか、入り口に立ってくれません。だから、なるべく嘘がないように、ついていけないほどの大きい嘘はつかないようにしています。嘘をついたとしても、腑に落ちるところを一つ作るように意識しています。
ピン芸人の場合、相方が説明をしてくれたり、相手とのやりとりの中で設定をわからせたりということができない。「無償の愛」も、「ただいま、(腕をさすりながら)いてててて、あ、将太、帰っとったん?」というセリフから始まっており、一瞬で「家での会話」とわかる。
吉住ピンでネタをやるとなると、なるべく説明ゼリフを減らしたいというのがあります。笑いどころを増やすためには、パッと見て、どういうシーンかわかったほうがいいんです。
冒頭はわかりやすくということだが、ところで、コントにも起承転結はあるのだろうか。
吉住起承は、最初の設定をわからせるところです。結はオチですね。で、転はというと、大事件、ハプニングが起きるというよりは、心の揺れというか、その人の信じていたものが崩れてしまって、感情が爆発するところです。
「無償の愛」でも、息子が万引きして得たゲームを発見し、「人様に迷惑だけはかけたらいかんゆうたやろ、こんなこと、人間のやることやない」(自分は当たり屋なのに)と感情を爆発させる。まさに信じていたものが崩れるターニングポイント。
エッセイでも、広い意味では書き手の感情が爆発するところが山場だ。
ところで、「無償の愛」はコントだが、当たり屋という設定を除いて鑑賞すると、息子を育てるためならなんでもする母親像が浮かび上がってくる。これはエッセイでいえば、テーマを行間に書くという技法と同じだ。
題材の説明、感情の爆発、オチという流れは、エッセイの構成にも通じる。
〈前編〉