他ジャンルに学ぶエッセイのコツ #03 エッセイ×お笑い〈前編〉
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取材:相川藍/撮影:古本麻由未
(プロフィール写真を除く)
他ジャンルの思考、方法を通じてエッセイの書き方を学ぶ特集の第2弾は、お笑い。今回は、まるで相方がいるかのような演技力で評判のピン芸人にしてTHE W 4代目チャンピオン、吉住さんに取材し、着想の方法やリアリティーをだす方法を探ってみた。
エッセイのコツ
1989年生まれ。福岡県北九州市出身。プロダクション人力舎所属。2020年『女芸人No.1決定戦 THE W2020』で4代目チャンピオンに。「吉住第4回単独公演『生意気なトルコ土産』」DVD好評発売中。吉住 official channelはこちら。
01
着想は言葉の
違和感から始まる
好きなネタのタイプは違和感のある設定
吉住さんのコント「許されざる恋」は、与党の女性議員と野党の議員の恋を描いた爆笑コント。国会閉幕直後に修羅場が始まり、「あなたは野党、私は与党、決して結ばれちゃいけなかった」でまず爆笑を誘う。
その後も、「おれと国、どっちが大事?」と聞く与党議員に、「これだから二世議員は嫌。だって、マーくんはいいよね、地盤があるもん」というセリフが続き、爆笑が止まらない。
「国」を「仕事」に変えると恋愛ドラマのパロディーだとわかるが、設定を政治家にしただけでこんなにも笑える。
この着想はどこから得たのだろうか。
吉住コント「許されざる恋」
吉住街を歩いていたときに選挙のポスターがあって、無所属の方が、すごい笑顔でガッツポーズをしていたんですね。選挙や政治とは全く関係なく、「無所属」という言葉だけ見ると、どこにも所属できない独りぼっちという言葉とガッツポーズの笑顔とのギャップで、「無所属なのになんでそんなに笑えるかな(笑)」って思ったのがきっかけです。
吉住さんのコントは、言葉尻で笑わせるのではなく、設定を聞いただけで噴き出してしまうようなものが多い。
吉住ネタは設定から考えることが多く、好きなネタのタイプは違和感のある設定です。その世界の中で生きている人はボケているつもりはなく、その人たちなりの正義があったり、その世界にまっすぐ親しんでいたりしますが、でも違和感があるから、観ている人はおかしいよねみたいなコントが好きです。
お笑いの場合は違和感からネタが生まれるが、エッセイの場合は違和感からテーマが見つけられる。「この違和感はなんだろう」と思ったということは、そこに何か引っかかるものがあるということ。
違和感を覚えたら、その原因を突き詰めてみよう。
手の届く範囲でないところから情報を仕入れる
違和感のある設定は、どのようにして見つけるのだろうか。
吉住本屋さんに行って、本のタイトルとか、とにかく単語を見ます。自分の興味のあるコーナーだけでなく、植物のコーナーに行ってみたり、参考書のコーナーに行ってみたり、自分の生活の中ではあまり入ってこない単語をできるだけ入れるようにしています。
単語に注目するというところがポイントだ。言葉は辞書的な意味のほか、さまざまなイメージをまとっているもので、単語に注目すると、それらがにじんでくる。
吉住結局、作れなかったんですが、本屋さんで「発酵」という言葉を見つけ、「何か気持ち悪いものを発酵させて作ってる女」でネタができないかなと考えたことがありました。日常の中で当たり前に出会う単語ではないものを探していたりします。
書店のコーナーもそうだが、意識しないと自分の好きなところにばかり行ってしまう。趣味や嗜好も同じで、つい好きなものに傾いてしまうもの。
吉住仲がいい人でも、そういうことに興味があるんだと意外に思うこともあります。そういうことから発見があったりするから、なるべく人と話し、「最近何に興味あるの?」と聞いて、自分の手の届く範囲でないところから情報を手に入れるようにしています。
また、自分がどう見られているかを知ることで、意外な発見をすることがある。
吉住ゆめちゃん(人力舎の女芸人)に、「ずみちゃん(吉住さんのこと)はさ、ドンキとかにあるアイプチのビフォアとアフターの顔の、ビフォアの顔にめっちゃ似てるんだよ」と言われて、あ、そうなんだと。
アイプチは二重瞼を作るメイクアイテム。吉住さんはこのことから「自分は他人からそう見えているんだ」と客観的に見ることができ、これが新しい発見につながり、ここから「アイプチ」のネタを作ったそうだ。
ビフォアに似ていると言われたらショックかもしれないが、そうした出来事も客観的に見ると他人事になり、笑いに変えることができる。これはエッセイにも通じる。災難や失敗は嫌だが、これも第三者的には面白い題材になるのだ。
違和感のある言葉を探そう。そこから連想すればエッセイが1編書ける。
02
人物になりきれば
言葉がでてくる
コントでやる女性は、なってみたかった女性
吉住さんの代表的なネタに「たっちゃん」がある。
自転車に若い男女が二人乗りしているという設定だが、たっちゃんという男の子はダンボールでできている。そのたっちゃんに後ろの女の子が言う。
「今日、うち、親、いないんだ。よか ったら、うち、来る? ああ、やらしい顔して、もうたっちゃんのエッチ……」
という青春ドラマのような設定だが、そこで一転、女の子は横を向く。
「お父さん……勝手にドア開けないでって、いつも言ってるじゃん」
ここで「自転車の二人乗りは女の子の妄想だったんだ」とわかり、笑いが起きる。
吉住ネタにでてくる人物に共通するのは、はたからみると不幸せそうに見えても、その人自身はちゃんと幸せを感じている、その人なりの幸せを追い求めている人というイメージです。
趣味、嗜好にハマっている本人は幸せだが、周囲は戸惑うばかりというねじれの構造が面白いというタイプのコントだ。
吉住コントでやる女性は、こういう生き方をできたら楽しかっただろうなみたいな、なってみたかったという女性です。自分はそうはなれなかったけど、コントの中だけだったらやれる、別な人生に触れられるという、やっていて楽しい女性です。
生きづらそうな人を下に見ているのではなく、むしろ、そうなりたかった人として見ている。これもエッセイを書くうえでは大きなポイントになる。上からの目線で書いたエッセイは誰の心も喜ばせないからだ。
自分の中にあるものでしかネタは作れない
吉住さんのコントには、第三者が見ると、生きづらそうな女性が多く登場するが、こうしたキャラクターたちはどのようにして生まれたのだろうか。
吉住「たっちゃん」をライブでやったとき、ファンの方に「私も家でけっこうやっちゃってます」と言われたことがあります。自分では「ないない、私はそんなことしないよ、あれはコントですから」と思ってやってたつもりだったんですが、よくよく考えたら雑貨屋さんとかで食器を2枚ずつ買ったり、歯ブラシを2本ずつ買ったり。実際には使う人はいないのに、勝手にいるって思っていたらこんな楽しいんだって、そう思う時期もありました。仕事終わり、彼氏を駅に迎えに行くという服装で今日はいってみようとかやってた時期があったから、ダンボールは使っていなかったけど、やってはいたなあと。やっぱり自分の中にあるものでしかネタは作れないんだと思いました。
作品は自分の分身でもある。食べたものでしか体は作られないというが、自分とは関係ないと思っても、作品は自分の中にあったものでできているはずだ。
吉住私は台本をがちがちに作ってしまうタイプなんですけど、ライブでやったときに台本になかったセリフを言うことがあって、そういうときは同期の芸人たちに「今日、乗ってたね」と言われるんです。吉住という普通の人間ではでなかったけど、その人を演じて、気持ちがたかぶってでるみたいなときがときどきあって、その人を演じたからこそでたワードなのかなと思います。
他人を演じることで、自分にはないものが引きだされる。エッセイを書くときも、第三者の立場になって世の中を見ると、自分とは違う見方ができる。男性なら女性の立場に、大人は子どもに、買う側から売る側に、雇う側から雇われる側になど、視点を変えてみると、エッセイに書くべき題材がいろいろ見えてくるかもしれない。
自分とは違う人を、上からではない目線で見れば、書くべき題材が発見できる。
〈後編〉