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ニーダーエステライヒ州 ハプスブルク家の帝室コレクションを公開

ニーダーエステライヒ州
【東京・2025年5月17日】 オーストリア共和国ニーダーエステライヒ州は5月17日に、オーストリア大使館主催のプレスイベントを東京で開催し、ニーダーエステライヒ州が所蔵するハプスブルク家の帝室コレクションをメディアに公開いたしました。イベントでは、ニーダーエステライヒ州首相のヨハンナ・ミクル=ライトナー氏とニーダーエステライヒ州政府庁 文化・学術・教育局 兼 ニーダーエステライヒ州コレクション主任アーミン・ラウセガー氏が登壇し、帝室コレクションについて詳細なアップデートを報道関係者に紹介しました。また、2027年秋から日本国内5カ所(未定)で開催される巡回展で一般公開される予定であることも発表いたしました。

本イベントでは、ハプスブルク家の帝室コレクションの一部が実際に公開されました。
- 皇妃エリザベートの乗馬用帽子:

皇妃エリザベートはたいへんな乗馬好きとして知られています。エリザベートの父バイエルン公爵マックスが、彼女がまだ幼い頃から、動物と馬術への愛情を教え込んだのです。その情熱はシシィの生涯を通じて続き、厳しい規制の多いウィーンの宮廷生活では、ささやかな自由をもたらしてくれるものでした。
1860年代から70年代にかけて、エリザベートはヨーロッパで最も優れた騎手のひとりとされていました。定期的にスペイン乗馬学校の教師やサーカスの騎手のもとで訓練を受け、ハンガリーのゲデレー宮殿には練習用に鏡張りの競技場を作らせました。危険を伴う狐狩りにも参加しました。シシィは馬上では忍耐強く器用で、そして恐れを知らず優雅にふるまい、英国の貴族や民衆に強い印象を与えたのです。
19 世紀に導入された婦人用の乗馬ファッションでは、たっぷりしたドレスが鞍にに引っかかりやすく、転倒の原因となるため、女性の乗馬は男性に比べてより危険でした。皇妃エリザベートはとびぬけて優雅な乗馬服を身にまとい、称賛の的でした。時代が進むとドレスは少しスマートになり、生地の襞が引っかかる危険は減りました。ヘルメットは当時まだ使われず、乗馬用の帽子が、スポーティかつエレガントな乗馬ファッションを完璧なものにしました。
- 皇帝フランツ・ヨーゼフ1世のモーニングガウン:

皇帝フランツ・ヨーゼフは、制服を着用することで自らが軍人であるということを示し、軍隊との密接な関係を強調しました。公式の肖像画では、軍服姿が描かれることがほとんどでしたが、それには訳がありました。彼は子どものころから軍隊が好きで、彼の教育において軍事訓練は重要な部分を占めていました。皇帝フランツ・ヨーゼフは、厳格な教育を受け、膨大な仕事量をこなしたため、最高官僚としての理想的な労働倫理を体現していました。きっちりと時間通りに早朝から仕事に取り掛かり、従者オイゲン・ケッテルからあらゆるニュースの報告を受けていました。その際に来ていたのが、この淡い灰青色のコートです。オーストリア=ハンガリー帝国の将軍の制服に倣って作られたもので、深紅の飾りつきのベルベットの襟、二列のボタン、そしてやはり深紅のパイピングが特徴的で、「ボンジュール」と呼ばれました。フランス語の「おはよう」や「こんにちは」を意味する言葉にちなんで名づけられたのです。この制服は、皇室御用達の仕立て屋アントン・ウーゼル・ウント・ゾーンが手がけたもので、手書きで「1912年7月」と書かれています。皇帝フランツ・ヨーゼフの最後の従者だったオイゲン・ケッテルの遺品から見つかりました。
- 皇位継承者フランツ・フェルディナント大公の葉巻入れ:

フランツ・フェルディナント大公は、皇太子ルドルフの悲劇的な自殺と父カール・ルートヴィヒの死後、1896年から、皇帝フランツ・ヨーゼフの皇位継承者となりました。それまでは、狩り、自然、芸術に情熱を傾けていたことで知られ、結核治療のため世界中を旅行していました。特に有名なのは、1892年末から1893年秋までの「皇妃エリザベート号」による船旅で、その際には日本も訪問しています。
肺疾患を患っていたにも関わらず、フランツ・フェルディナント大公には喫煙の習慣がありました。この革製の葉巻入れは、1900年ごろに作られたスライド式のケースで、ジャケットやコートのポケットに入れて持ち運ぶ際に繊細な葉巻を保護するためのものです。銀のレリーフには、皇位継承者の頭文字と大公の王冠のモノグラムが刻まれています。
ゾフィー・ホテクとの貴賤結婚、すなわち身分の釣り合いのとれない結婚のため、もともと問題のあった皇帝フランツ・ヨーゼフとの関係はさらに疎遠になっていました。にもかかわらず、フランツ・フェルディナントは皇位継承権を放棄するつもりはありませんでした。しかしながら、1914年にサラエヴォで暗殺事件の犠牲となり、皇位に就く機会は与えられませんでした。この事件は、まもなく第一次世界大戦の勃発を引き起こしました。



ニーダーエステライヒ州首相のヨハンナ・ミクル=ライトナー氏は「このたび、ニーダーエステライヒ州が所蔵するハプスブルク家の帝室コレクションを日本で初めてご紹介できることを大変光栄に思います。本展は、オーストリアと日本の文化交流における歴史的な節目となるものであり、ニーダーエステライヒ州の豊かな文化遺産を紹介するとともに、両国の友情と相互理解を深める国際的なパートナーシップの精神を称えるものです。2027年に日本国内5カ所で開催予定の巡回展では、より多くの方々にこの貴重なコレクションをご覧いただけることを心より楽しみにしております。」とコメントしました。



さらに、ニーダーエステライヒ州政府庁 文化・学術・教育局 兼 ニーダーエステライヒ州コレクション主任アーミン・ラウセガー氏は「ニーダーエステライヒ州が誇るハプスブルク家の帝室コレクションは、その幅広さと深さにおいて比類のないものです。皇族の衣装や装身具から、宮廷で使用されていた日用品に至るまで、ハプスブルク家の日常生活を垣間見ることができる貴重な品々が揃っています。私たちはこのコレクションを取得して以来、各作品を丁寧に修復・保存し、最良の状態で維持できるよう努めてまいりました。日本の皆様には、エリザベート皇后の優雅な乗馬帽や、フランツ・ヨーゼフ1世皇帝の式典用軍服など、ヨーロッパで最も影響力のあった王朝の一つであるハプスブルク家の歴史と遺産を、臨場感あふれるかたちで体験していただけることでしょう。」とコメントしました。

今回のイベントで紹介されたハプスブルク家の帝室コレクションは、2027年秋から日本国内5カ所(未定)で開催される巡回展で一般公開される予定です。

帝室コレクションについて
ニーダーエスタライヒ州所蔵コレクションのハイライトの一つは、2015年に加わった帝室コレクションで、ハプスブルク家が所有していた品々のコレクションとしては世界最大級です。私どもは、ハプスブルク家ゆかりの一連の品々を購入し、修復や保存処理を施して、良好な状態での作品保存に務めております。食器や衣類といった品々から、手稿、皇帝夫妻の子供たちへの贈り物など、宮廷における日常、家庭生活そして人間関係を生き生きと記録する作品の数々。そこからは、ハプスブルク家とニーダーエスタライヒ州との深い結びつきも浮かび上がってきます。現在、コレクションの一部はサンクト・ぺルテン市のニーダーエスタライヒ州立博物館で常設展示されております。卓越したクオリティーと多様性を誇るニーダーエスタライヒ州所蔵・帝室コレクションの巡回展を、多くのお客様にご覧いただけることを心より願っております。
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