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【初心者向け小説講座】特徴を押さえて選ぼう!自由自在の全知視点/主人公の心に寄り添いやすい人物視点

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小説を書くコツ③物語の視点を定めよう

小説には作者の目で書く全知視点と、人物の目で書く人物視点がある。人物視点のほうが圧倒的に多く、効果も出やすいが、ここでは両方解説しよう。

全知視点は自由自在でも説明になりがち

全知視点とは、すべてを知っている作者自身が語っていく形式。客観三人称、神の視点とも言う。作者は物語の外にいる。だから、

〈後世で言う桜田門外の変だ。〉

と客観的に説明することもできるし、人物Aと人物B双方の立場から書くこともできる。昔の大衆小説に多い形式で、大きな世界を書くのに向く。欠点は、説明になりやすいこと。

〈三時になった。〉

全知視点ではついそう書いてしまう。しかし、誰かが「三時だ」と認識した瞬間があったはずで、であればこう書いたほうがいい。

〈時計を見ると三時だった。〉

価値もお仕着せになりやすい。

〈そこに悪党が現れた。〉

しかし、読者は思う。いったい誰が悪党と判断したのか。悪党かどうかは言動などを知って、読者が判断すべきではないかと。

全知視点で書く場合は、説明にならないことと、なったとしても話自体が面白く、かつ作者もストーリーテラーでないともたない。

人物視点は主人公の心に寄り添いやすい

全知視点は、AB双方の目を瞬時に何度も切り替えることもできるが、急に視点の切り替えをすると読者がついてこられず、「この場面は誰の目で書いているの?」となってしまう。

その点、人物視点は、特定の誰かの視点で語っていく形式なので、情景を映す起点がわかりやすい。

〈雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から彼を追っていった。〉

語り手は雨脚と彼と等距離にいて、客観的に語っている。

〈雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。〉

「私」の一視点で書いているから、雨脚が迫ってくる感じがする。

主人公は何をどう思ったのかを書くときに向き、読者も主人公の目で作品世界を見るので、主人公の気持ちに寄り添いやすい。

ただし、視点人物(情景を映すカメラ代わりになる人物で、主に主人公)に見えないもの、認識できないことは書くことができない。これが人物視点の限界。

純文学と大衆文学 基本の知識

久米正雄はトルストイもドストエフスキーも「高級だが要するに偉大な通俗小説だ」(『私小説と心境小説』)と言っている。

近代文学では私小説こそ偉く、大衆文学は下に見られていた。

芥川龍之介も「大衆文芸家ももつと大きい顔をして小説家の領分へ斬りこんで来るが好い」(「亦一説?」)と、大衆文芸家と小説家を分けている。芥川の言うこの小説はのちに大衆文学と区別して純文学と呼ばれたが、本来明確なジャンルではない。

戦後は純文学と大衆文学が融合した中間小説が生まれるなど境目がなくなった。書く分には区別する必要はないが、応募するときはどちら寄りなのかを意識しておきたい。

純文学とエンターテインメント小説

境目はボーダレスながら、応募時の目安のために!

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視点のとり方

【全知視点】客観三人称

どんな情景も、どの人物の内面も、人物の知らないことも、作者自身の弁も書くことができる。なんでもあり。しかし、効果を出すのには技術が要る。

コツ
天上から下界を覗く要領で書くが、それだけだと人物と距離があるので、適宜人物に寄ったり離れたりする。大きい世界、複雑な世界を書くのに向く。

【人物視点】一人称、三人称一視点、三人称多視点

特定の視点人物が見たもの、聞いたもの、思ったことを書いていく。小説全体が視点人物の認識したことだから、地の文に視点人物の内面を書くこともできる。視点人物が交代するものを三人称多視点と言う。

コツ
特定の人物の目を借り、その人物(視点人物)の心に写ったことを書いていくのがコツ。視界は狭いが、「その人物は何をどう思ったか」が書きやすい。

※本記事は2018年10月号に掲載した記事を再掲載したものです。