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公募Q&A「作品制作」 あらすじは結末まで書くの?

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文学賞であらすじを添える規定になっている公募がありますが、あらすじには結末まで書くのですか。選考委員が先に結末を知ってしまったら興味が半減しませんか。

あらすじは結末まで書きましょう。選考委員は結末までの過程をどのように描いているかを見ています。

あらすじとは、大ざっぱなストーリー(筋立て)です。
いわゆる起承転結の起承の部分だけをあらすじに書いて、あとはにおわすだけというのはいけません。起承転結をバランスよく書きましょう。もちろん、結末まで書いてください。

また、ときどき、自作について「実話をベースとした感動の恋愛小説」のように書いた例も見かけますが、あらすじと文庫本の作品紹介を混同しないようにしましょう。あらすじとはあくまでも粗い筋であって、作品紹介や書評とは別ものです。

選考委員が先にあらすじを読むかですが、これは「あらすじは必要がなければ読まない人」と「あらすじを読んでから作品を読む人」に分かれます。
あらすじを読まない選考委員は、一般の読者と同じ読み方をするわけです。ただし、書き方がまずくて、どんな話だったかわけがわからなくなったときはあらすじで確認します。

事前にあらすじを読む選考委員は、そのほうがストーリーを追いやすいというのが理由です。また、結末を知ったうえで、そこに持っていくためにどう書いているかをチェックするためという理由もあります。
こうした読み方をしても、選考にはなんの影響もありません。小説の面白さは結末ではなく、その過程をどう描くかにあるからです。

ただし、あらすじには「何が、どうして、どんなクライマックスがあって、結果はどうなった」という筋が書いてあればよく、作品の肝となるトリックや仕掛けは書かなくてもかまいません。トリックや仕掛けは筋ではないからです。

例・芥川龍之介『奉教人の死』あらすじ

クリスマスの夜、長崎のキリスト教会に「ろおれんぞ」という少年がうち伏していた。教会で養われることになったが、素性は不明。しかし、長老も舌を巻くほどの信心深い信者であり、無骨者の「しめおん」は弟のようにかわいがっていた。
そんな折、傘屋の娘が「ろおれんぞ」に恋をし、やがて娘は妊娠。お腹の子の父親は「ろおれんぞ」だとの噂が立つ。「ろおれんぞ」は否定したが、疑いは晴れず、「ろおれんぞ」は破戒の罪で教会から追放されてしまう。
あるとき、長崎で大火があり、傘屋の娘の子が家の中に取り残される。そこにどこからともなく「ろおれんぞ」が現れ、赤ちゃんを救出するが、「ろおれんぞ」は瀕死の状態。
傘屋の娘は、自分を見てくれない「ろおれんぞ」に復讐するため、お腹の子の父親は「ろおれんぞ」だと嘘をついたのだと告白する。そのとき、「ろおれんぞ」の服が焼けはだけ、裸の胸が見える。それこそが「ろおれんぞ」が無実である証拠だった。

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