打つべきテンと打ってはいけないテン|読点の打ち方に正解はない


打つべきテンと打ってはいけないテン
『養生訓』で知られる江戸時代の学者、貝原益軒は、句読について以下のように記しています。
語勢がすでに絶えた所の、右の傍に、小圏を加えるのを句という。語勢がまだ絶えず、しばらくの間読みきって、上下を混雑させないのを読という。これは上下の間の中央に小圏を加える。
(貝原益軒『点例』「句読を切る条」)
なるほど、だから句点、読点というのかと改めて思うが、さて、テンの話。
ここには、テンを打つ理由として、
テンはなんのために打たれるかと言うと、「上下を混雑させない」とある。
これは平たく言うと、以下のようになるだろう。
1. 誤読を避けるため
2. 文の切れ目を明らかにするため
ざっくり言えば、テンを打つ理由はこの二つに集約される。
1.はテンがないと意味が通じないリスクがあり、これは打たないといけない。
2.は打ったほうがいいが、打たなければいけないとまでは言えない。
このことを「打つべきか」どうかで分けると、以下の二種類がある。
1. 打つべきテン/打ってはいけないテン(この二つは表裏一体)
2. どちらでもいいテン
「打つべきテン」と「打ってはいけないテン」は表裏をなすもので、実質、同じもの。
では、まず、このテンから例文を出して説明しよう。
打つべきテン
打たないと誤読を誘うというもの。
例文1
僕は基本原則に従うことにしているよ。
「基本(的には)原則に従う」と言いたいのか、「基本原則に従う」と言っているのか、ここだけでは判断できない。
前者であれば、
〈僕は基本、原則に従うことにしているよ。〉
後者であれば、
〈僕は、基本原則に従うことにしているよ。〉
としたほうがいいだろう。
例文2
結衣ちゃんと仕事している?
〈ちゃんと仕事している?〉と言いたいのなら、〈結衣、ちゃんと仕事している?〉としないと、〈結衣ちゃんと一緒に仕事している?〉という意味だと思われるかもしれない。
打ってはいけないテン
こちらはテンを打ってしまうと、意味が変わってしまうもの。
逆から見れば、打たないと意味が変わってしまうものでもある。
例文3
僕は血まみれになって逃げるあいつを追いかけた。
「僕」が血まみれなのであれば、
〈僕は、血まみれになって逃げるあいつを追いかけた。〉
としてはいけないし、
「あいつ」が血まみれなのであれば、
〈僕は血まみれになって、逃げるあいつを追いかけた。〉
としてはいけない。
また、両方ともテンを打ち、
〈僕は、血まみれになって、逃げるあいつを追いかけた。〉
とすると、〈血まみれになって〉が浮いてしまい、〈僕が血まみれになって〉なのか、〈血まみれになって逃げるあいつ〉なのかわからない状態に戻る。
前に文章があり、
〈僕は拳銃で撃たれ、血まみれになって、逃げるあいつを追いかけた。〉
であれば、文脈からして〈僕が血まみれ〉と推測できるが、そうでない場合もあるから、読み手に誤解を与えないようにテンを打ちたい。