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実は明治生まれ!句読点ルールのはじまり|句読点に歴史あり。

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、(てん)と。(まる)の新ルール

SNSやメッセージアプリの普及により、「誰もが書く」ことが日常になった。その分、人によって句読点の使い方が異なることに改めて気づかされる人も多いのではないだろうか。
文末を必ず「!」で終わらせる人。
「、」を打つ代わりに、あえてスペースを空ける人。
読点は使うものの、最後は「。」は置かずに絵文字で終わらせる人。

こうした三者三様の使い分けは、今や日常の光景になっているが、本稿では私たちが何気なく使っている句読点が、どのような変遷を経て現在の形になっていったのか、その歴史を紐解いてみたい。

以下、「句点」を「マル」、「読点」を「テン」と表記する。

参考:『てんまる』山口 謠司(PHP新書)/『句読点活用辞典』大類雅敏編著(栄光出版社)

実は明治生まれ!句読点ルールのはじまり

 「マルハラ」という言葉が生まれるほど、現代の書き言葉において句読点は強い存在感を放っている
 では、こうしたテンやマルはいつから使われ始めたのか。実は、現在のような表記基準が作られたのは、明治5年(1872)8月に「学制」が頒布以降のことだそう。それまでは公的なルールがなくても問題なく、現在の句読点法には150年ほどの歴史しかないということがわかる。
 しかし、「ここではきものをぬいでください」「ぱんつくった」など、「テン」がないと意味が変わってしまうものがあるのも事実であり、誤読を防ぎ、糸を正確に伝えるために、句読点は不可欠な存在だ。

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「学制発行ノ儀伺」(国立公文書館デジタルアーカイブ)

 ここで『句読点活用辞典』を見てみると、テンについての記述が興味深い。

読点 、
     (中略)
 【形態】 文の中途に用い、呼吸や意味のまとまりを示す、ゴマ状の符号。
     (中略)
 【用途】日本語の句読点の中でも、最も厄介で困難な符号である。
 

 昭和21年に示された句読点法でも、句点(マル)の用途が1つ、例も2つで済んでいるのに対し、読点(テン)の用途は13もの例が挙げられており、その他使いの難しさがうかがえる。

 現在の使い方が定着して150年ほど。それ以前の日本では、どのような表記の世界が広がっていたのだろうか。句読点がたどってきた意外な変遷を、次に探っていこう。

150年前どころじゃない!句読点1200年の原点史

 日本の文化を語るうえで中国の影響は多大だが、句読点についても例外ではない。句読点はもともと、漢文を訓読するための補助記号として誕生した。まずは「テン」が最も古い資料として残っている。
 現存するもっとも古い記録は、奈良時代。 天平17年(745年)以前に写された『文選李善注(もんぜんりぜんちゅう)』だといわれている。
 さらに平安時代の天長5年(828年)に写された仏教論書『成実論(じょうじつろん)』では漢文を和訳として書き写す際に「テン」が使われており、これはカタカナが使われた最古の文献としても知られている。こうして、難しい漢文を日本語として理解しようとする格闘の中で、「、」という記号は誕生した。

誠実論.png
『成実論』(国立公文書館デジタルアーカイブ)

 

時代奈良時代 
天平17年(745年)
平安時代 
天長5年(828年)
鎌倉時代南北朝時代(1326年)
書物『文選李善注』『成実論』『浄土三経往生分類(広本)』『一流相承系図』
記号テン文末は右下に「テン」
句末は左下に「テン」
「・」(朱墨) (空白)

 

 鎌倉時代になると、「念仏」を唱える仏教が庶民の間で急速広まっていく。できるだけわかりやすく、間違いのない形で広めるために、句読点はさらに進化した。親鸞が広めたとされる『浄土三経往生分類(じょうどさんきょうおうじょうぶんるい)(広本)』では、文の区切りに朱墨(しゅぼく)で「・」が打たれ、視覚的に読みやすさが追及されている。

浄土三経往生分類.png
『浄土三経往生分類』(国立公文書館デジタルアーカイブ)

  しかし、句読点の歴史は直線的な進化ではなかった。南北朝時代(1326年)『一流相承系図(いちりゅうそうじょうけいず)』では、「テン」も「・」も「マル」も使われず、空白を使うことで文を区切るようにしている。つまり、一時普及するかに思われた句読点という記号は一旦消えたといっていいだろう。