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12.6更新 VOL.14 「文藝」「中央公論」「文学報告会」 文芸公募百年史

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文芸公募百年史

VOL.14 「文藝」「中央公論」「文学報告会」 


今回は、時局が戦争へと突入していった昭和8年~昭和18年に創設された懸賞小説を紹介する。原稿募集どころか、雑誌の発行すら危ぶまれた時代に実施された三つの賞だ。

「文藝」懸賞創作の選外佳作に木山捷平

前回、「改造」懸賞創作(昭和3年~14年)を紹介したが、改造社は総合誌「改造」のほかにも雑誌をもっていた。それが文芸誌「文藝」だ。
「文藝」というと現在は河出書房新社発行だが、昭和19年に改造社が軍部の圧力で解散となったため、河出書房新社(当時は河出書房)が発行を引き継ぎ、現在に至っている。

河出書房新社も昭和36年に「文藝賞」を創設しているが、本家「文藝」の改造社も昭和8年、「文藝」創刊を記念して「文藝」懸賞創作を創設し、昭和10年の第3回まで実施している。
募集したのは小説と戯曲で、第1回の応募数は853編(小説718編、戯曲135編)。選考は「文藝」編集部、賞金は300円だった。「改造」懸賞創作の1等1500円と比べるとちょっと地味だ。

受賞者をざっと見たところ、著名人はいないと思ったが、選外佳作を見たら木山捷平とあった。木山捷平は太宰治と同人誌「海豹」を創刊させた作家の一人で、公募ガイドでは「木山捷平短編小説賞」でお馴染みだ。
選外佳作となった作品は「出石城崎」で、この発表は昭和8年9月。一方、「海豹」創刊号は昭和8年3月発行で、同誌に木山は「出石」を掲載している。同じ作品か、書き直した作品だったのかもしれない。ちなみに太宰治は「海豹」創刊号に「魚服記」(『晩年』所収)を執筆している。

余談だが、季刊「文藝」「文藝春秋」「日本藝術大学」は「芸」ではなく「藝」の字を使っている。「芸」は「藝」の新字で、本来の読みは「うん」。日本初の公開図書館「芸亭うんてい」は紙魚しみという害虫を防止するために香草を敷きつめていたことからこの名があり、もともとの意味は「草を刈る」。一方、「藝」は「苗を植える」の意であり、意味が真逆だ。これではいかにもまずい。
「芸」は鎌倉時代あたりから「藝」の略字として使われていたようで、これは「歳」「箇」と書くのが面倒なので「才」「ヶ」と書くようなもの。日常使いには便利だが、正式名称となると抵抗があるのもうなずける。

「中央公論」原稿募集で、のちの大御所、丹羽文雄発掘

同じく昭和8年、中央公論社(現在は中央公論新社)は、「中央公論」原稿募集を行っている。募集したのは、小説、戯曲、中間読物。中間読物とは聞きなれない言葉だが、論文と小説の中間の作品だそうで、随筆、ノンフィクションに当たるらしい。賞金は小説と戯曲は500円、中間読物は100円だった。

第1回は応募数329編。1等は該当作なしだったが、2等2席に小山いと子「深夜」が入っている。
小山いと子は昭和3年から同人誌で小説を書き始め、昭和8年には「婦人公論」懸賞小説に「海門橋」で当選し、昭和25年(1950年)には『執行猶予』で第23回直木賞を受賞している。これは女性で2番目の直木賞受賞者(女性初は堤千代)だった。今は歴史に埋もれた作家になっているが、昭和の頃、『執行猶予』は角川文庫に入っており、小山自身も新聞でも人生相談をするくらいの人気作家だった。

第2回はこれがまた当たり年で、入選4名の中に島木健作「盲目」、丹羽文雄「贅肉」が入っている。島木健作は転向文学で知られる作家で、「盲目」の前にも転向を扱った「癩」を文学評論に発表して話題となっていた。
丹羽文雄は言わずと知れた昭和の大御所。文壇には夏目漱石、佐藤春夫、長谷川伸のように弟子がわんさかいる作家がいるが、丹羽文雄もその一人。日本文藝家協会の理事長、会長を歴任するほか、同人誌『文學者』を主宰し、瀬戸内寂聴、吉村昭、津村節子、富島健夫らを育成した人としても知られる。舟橋聖一とは終生ライバル関係だった。

戦時中の新人募集で大原富枝が入選

昭和12年に日中戦争が始まると、新たに創設される懸賞小説は極端に少なくなる。「贅沢は敵だ」という標語があったくらいだから、高額賞金もうたいにくいし、暗い小説は戦意を消沈させる、恋愛ものは浮ついていると言われそうだから、公募があっても応募しにくかったかもしれない。
ちなみに「贅沢は敵だ」は精動(国民精神総動員)本部が公募した採用作らしい。だめだよね、公募を戦争の道具にしては。まあ、それも今だから言えることだが。

そもそも懸賞小説どころか、雑誌の発行すら危うい。昭和17年、「改造」に掲載された細川嘉六の論文が共産主義の宣伝と見なされ、これをきっかけに改造社、中央公論社、朝日新聞社、岩波書店ほかの編集者など60名が治安維持法違反で検挙され、竹刀で叩かれる、指の爪の間に針を刺されるなどの拷問を受け、4人が死亡した。世にいう横浜事件だ。

そんな中で、昭和18年、当の改造社の「改造」「文藝」が共同し、文学報国新人小説を公募している。「文学で国に報いる」。ずいぶん時局におもねったものだが、こういうタイトルにでもしないと大っぴらに公募できなかったのかもしれない。でも、結果、昭和19年、改造社は軍部によって強制的に自主廃業させられてしまう。抵抗も空しかったということか。

ただ、よかったこともあり、それは佳作の中に大原富恵(入選作は「若い渓間」)を見出したこと。
大原富恵は昭和7年に「令女界」に応募した「姉のプレゼント」で初入選を果たし、昭和13年には芥川賞の候補にもなっている。この頃は結核の療養中だったが、昭和16年、創作に専念するために敢えて上京し、2年後に文学報国新人小説を受賞した。

平成3年(1991年)、勲三等瑞宝章を受章したのをきっかけに、高知県本山町に大原富枝文学館が開館。翌平成4年、大原富枝賞が創設された。募集しているのは小説と随筆(小学生の部、中学生の部は作文)で、応募資格は高知県内在住、住んだことがある人、出身者。締切は例年9月末。賞金は大学・一般の部は5万円だ。該当する人はぜひ応募を!



文芸公募百年史バックナンバー
VOL.14 「文藝」「中央公論」「文学報告会」
VOL.13 「改造」懸賞創作
VOL.12 「サンデー毎日」大衆文芸
VOL.11 「文藝春秋」懸賞小説
VOL.10 「時事新報」懸賞短編小説
VOL.09 「新青年」懸賞探偵小説
VOL.08  大朝創刊40周年記念文芸(大正年間の朝日新聞の懸賞小説)
VOL.07 「帝国文学」「太陽」「文章世界」の懸賞小説
VOL.06 「萬朝報」懸賞小説
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VOL.02  大阪朝日創刊25周年記念懸賞長編小説
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