味ではなく“思い”を書く——宮下奈都さんの“食のエッセイ”が心に残る理由


家族を書く効用と人に読ませるエッセイ
読んでよかったと思ってもらいたい
家族に関するエッセイを多く手がけている宮下さん。家族をテーマにするメリットは?
「『ワンさぶ子の怠惰な冒険』にも『神さまたちの遊ぶ庭』にも、読み返さなかったら忘れていることがたくさんあります。このとき、息子はこんな気持ちだったんだと、書いているときにはわからなかったことに気づくこともあります」
一方で、エッセイは日記ではないから、読む人への意識はある。
「少しでも、読んでよかったと思ってもらいたいので、クスッと笑えるエピソードを加えるように意識しました」
子どものことを書くととかく自慢話になりがちだが、宮下さんのエッセイは雑誌連載当時から「フラットな書き方がいい」という感想が多く寄せられていた。
「私、親として立派なところが全くないんですね。いい親が書いた、アドバイスが入ったエッセイでなかったのが、かえってよかったのかもしれませんね」
宮下奈都流 食のエッセイはここがポイント
味そのものを伝えては食レポになってしまう
エッセイの一大ジャンルともいえる「食」。宮下さんにも『とりあえずウミガメのスープを仕込もう。』という作品があるが、味覚という伝えにくいものを伝えるためにどんな工夫をしたのだろうか。
「全く知らない味はないと思いますので、どんな料理かを書けば、どんな味かは想像がつくと思います。食レポをするわけではないので、そこにはあまり筆を割きません。コツを言えば、おいしいという言葉は使わずにおいしいとわからせることだと思いますが、それには、場の雰囲気や同席した人の表情や会話、香り、呼び覚まされた記憶などを織りまぜて書くことだと思います」
しかし、食のエッセイで伝えたいことは味ではない。
「味についてだけ書けば、食感など多少の差異はあるものの、結局はおいしいと言うわけで、似てしまうと思います。『とりあえずウミガメのスープを仕込もう。』で言えば、『塩鮭の注文』というエッセイが一番好評だったのですが、多くの人は味への思いを読みたいのだと思います」
「塩鮭の注文」には家を出た長男への思いがあふれている。次ページに全文を紹介するので、「伝えるのは味ではなく思い」ということを実感してみよう。
宮下奈都さんが「やられた!」 と思ったエッセイ
荒川洋治著『忘れられる過去』(朝日文庫)
詩人の荒川洋治さんが、生活の風景、言葉、文学などについてつづった全74編からなるエッセイ集。第20回講談社エッセイ賞受賞作。
自分もしっかり生きようと思えるものを読みたい!
「どこを読んでも心打たれるエッセイです。普通のことしか書いていないのに、よく生きようという気持ちになります。荒川さん自身がまっとうに生きているから、それが伝わってくる。しっかり生きていこうと思えるものを読みたいし、書きたいですね」
マイベストエッセイ
笑えて、泣けて、お腹がすくエッセイ『とりあえずウミガメのスープを仕込もう。』(料理レシピ本大賞特別選考委員賞受賞)の中の1編を全文紹介。
塩鮭の注文
最後のお弁当で泣けると思っていた。長男の、高校生活最後のお弁当。気合を入れてつくるべきか、普段通りにさりげなくつくるほうがいいのか、何日も前から迷った。それでも結局、普通のお弁当にしたのは、海苔弁に鮭に卵焼き、小松菜の和え物にきんぴらごぼう、そういうお弁当のときに、「おいしかった」といわれることが多かったからだ。いつもと少し違ったのは、焼き海苔を切って文字をつくり、白いごはんの上に載せて短い文を書いたこと。これまでに一度もそんなことをしたことがなかったから、幼稚園児にキャラ弁をつくるみたいにドキドキした。
でも、帰ってきた息子が笑いながらいったのは、
「なんか書いてあったね」
というひとことだけだった。まぁ、しかたがない。「これが最後のお弁当?」と海苔文字で聞くほうも聞くほうだ。ちょうど受験の直前だった。もしも不合格なら、また一年間お弁当をつくる生活が待っているのではないかと、そういう意味を込めての質問だった。もちろん、まじめに受験勉強をする子にそんなことは聞かない。息子はやりたいときにやりたいだけ勉強するタイプだった。十八歳にもなった息子の勉強方法に口を出すのは賢明ではない。だけどハラハラさせられたのも事実だった。
息子は高校を卒業し、無事に大学に合格して、家を出ていった。家を出る前の晩、最後に家族で囲む食卓も、特別なものにはせず、いつも通りの献立にした。だいたい、引っ越しの準備で慌ただしくて、あまり夕飯に手をかけてもいられなかった。
今になって冷静に考えれば、私は避けていたのだと思う。最後のお弁当といい、引っ越し前夜の食卓といい、出ていく息子を見送る感傷的なものにしたくなかった。たぶん、あれでよかったのだと思う。息子は希望に満ちて家を出ていくのだ。見送る側は、普段通りにしているほうがいい。そうでなければ、泣いてしまう。
それにしても、今年の春はいつまでも寒かった。ようやく桜が咲いて、ツバメが飛んで、長男のいない新しい生活にも慣れてきた。
ある日、生協の注文をしようと、パソコン上で注文書を眺めていたときのことだ。北海道礼文産の塩鮭の切り身が出ていた。とてもおいしいので、見つけたら必ず注文する。それをいつものように家族の人数分買おうとして、五切れのパックをひとつカートに入れた。それから、ふと、そうだ、長男はもうここにはいないのだ、と気づいた。五切れ入りのパックをカートから出して、四切れ入りのパックに替えようとした瞬間、うまく言葉にできない感情が湧き上がった。いらない。四切れのパックなんていらないわ。うちは四人家族じゃないんだもの。幼児が駄々をこねるみたいな感情だった。まるで鮭に八つ当たりしているみたいだ、と自分でも思った。抑えられない感情を持て余したまま、生協の注文書を閉じた。それからちょっと泣いた。
鮭のパックは、五切れ入りか、四切れ入りか。まさかそんなことで息子の不在を突きつけられるとは思わなかった。泣いたらすっきりして、よし、がんばろう、と思った。とりあえず、何かおいしいものをつくって、四人で笑って食べよう。
ここがポイント
前半の失敗談との対比が効いている
前半、長男のお弁当に海苔で字を書くが、「なんか書いてあったね」と言われてしまうという失敗(?)が、終盤のエピソードを引き立て際立たせている。
流されてしまいそうな感情を切り取っている
「四切れのパックなんていらないわ。うちは四人家族じゃないんだもの」。わかってはいるが、意識には上ってこない感情に気づき、それを切り取っている。
宮下奈都
1967年福井県生まれ。2004年「静かな雨」で文學界新人賞佳作。初の長編小説『スコーレ№4』が話題となり、2016年『羊と鋼の森』で直木賞候補、本屋大賞受賞。『神さまたちの遊ぶ庭』などエッセイも人気。
※本記事は2021年11月号に掲載した記事を再掲載したものです。