【村井理子さんのエッセイはなぜ人を惹きつけるのか】他者は客観的に、自分の感情は寄って書く


マイベストエッセイ
雑誌「考える人」とWEBマガジン「考える人」に連載していたエッセイをまとめた『村井さんちの生活』の中から、当時小学生だった次男のことを書いた「いい親になりたい」を全文紹介する。
いい親になりたい
二月上旬のとある金曜日、わが家はインフルエンザA型で一家半滅状態だった。
めったに体調を崩さない夫からメールが届き、具合が悪いので会社を早退するとあった。「悪いんだけど、病院に寄ってから帰ってきてくれる?」と返事をした。全国的に、インフルエンザが猛威を振るっていたからだ。夫は近所のクリニックで診察を受けて帰ってきた。
「インフルエンザA型だって」。
そのひと言を最後に夫は寝込んだ。
次は長男だった。下校後、「なんだかオレ、だるい……」と小さな声で言う。全てを悟った私は、長男を駅前のクリニックに連れて行き、事情を話してすぐさま検査をしてもらった。結果は「インフルエンザA型」。その場で薬を飲ませてもらい、残りの薬をもらって家に戻った。
さて、次男である。体力、気力、その他ありとあらゆる、私にとっては多少の重荷となるパワーを持ち合わせている次男は、けろっとしていた。「オレはインフルエンザにやれらるようなヤワじゃねえ!」と言い、いつも通りゲーム機に向かって「オッシャー」、「ハイ、オッケーです!」などなど、本当にどうでもいいことを言い、元気いっぱいだった。
私は、すでに随分前から警戒を怠ってはいなかった。なにせ、「インフルエンザワクチンは打っておいた方がいいでしょう」と主治医から何度も言われて早い段階で接種していたし、手洗いも欠かしてはいなかった。そんなこともあって、罹ったとしても軽く済むだろうと半ば安心していた。
琵琶湖周辺は雪が続いていた。雪だけではない。年末からの冷たい長雨、鉛色の空。病気じゃなくても気が滅入るような日々だ。こんな天気だし、ちょうどいいタイミングで翌日から週末だし、療養しつつ、ゆっくり映画を観るのもいいだろうと考え、食材やその他諸々、家にこもるために必要な全てを早速買い出しに行き、揃えた。これで完璧なはずだった。しかし……。
翌日の土曜になって、元気な次男が退屈しはじめたのだ。友達と遊ぶのは(万が一の感染を防ぐため)NG、極力家にいなさいと言いつけられた次男は、反抗期も手伝って不機嫌になった。少し遠い場所にある店に行きたいから連れて行って欲しいとせがみ、ダメだと返すと、口答えをする。イライラしているのがこちらにも伝わってくるから、私もついイライラとする。ダメだと言うのに何度も頼まれたことと、あまりの寒さに外出したくないという気持ちが一緒くたになって、ついに私が爆発した。「そんなに行きたかったら、自分で勝手に行きなよ!」と怒ったのだ。
次男はショックを受けたようだった。携帯と財布が入ったバッグを摑んで外に飛び出して行った。ああ、やってしまったと思っても、時すでに遅し。窓から外を確認すると、手足をめちゃくちゃに動かして田んぼのあぜ道をダッシュする次男の後ろ姿が遠くに見えた。
しばらく待ってからメールを打ってみた。
「いまどこ? 困ったことがあったら電話して」
少し待つと次男から返信があった。
「うん。いま、電車」
なんと電車に乗っている! ひとりで目的地まで行くつもりだ。もう一通メールを打った。
「迎えに行こうか? それとも、お店の近くのスーパーで待ち合わせする?」
「なんで? スーパー、行きたいの?」
「買い物がある。終わったら来て。待ってるから」
「オッケー( ^ _ ^ )」
急いでコートを着て、車に飛び乗った。夫は「甘いねぇ」と言っていた。最初から車で送ってやればよかったと後悔ばかりだった。たったひとりで駅のホームに立ち、電車に乗ったであろう息子の姿を想像して、胸が潰れそうだった。
次男がいるはずの店を通り過ぎ、スーパーへの道をまっすぐ車を走らせていた時だ。見覚えのある後ろ姿が右手に見えてきた。スーパーに続く歩道を一生懸命走っている少年がいる。次男だ。真冬だというのにコートも着ておらず、パーカーのチャックすら閉めていない。車はあっという間に次男を追い抜いたが、パーカーの下に着ている薄手のタートルネックのシャツが、裏表で前後ろなのは、バックミラーで見てもすぐにわかった。涙が出てきた。
スーパーの駐車場に入ったあたりで次男から着信した。
「いまどこ?」
「ついたよ。今から車を降りるから」
「エレベーター? エスカレーター?」
「エスカレーターで行く」
エスカレーターで約束した階に辿りつくと、次男はすでに到着していた。目ざとく私を見つけ、駆け寄ってきた。三ヶ月前に切ったままの髪はボサボサに乱れ、パーカーは半分脱げ、ずり下がったジーンズからトランクスが見えており、靴紐は解けて長く伸びていた。次男は両頰を真っ赤にしながら、「オレ、間に合わないかと思った〜!」と言って笑った。その後、フードコートで食べたくもないラーメンを食べ、次男と一緒に買い物をしたけれど、涙が出てきて仕方がなくて、何を買ったのかよく覚えていない。
学ばない私は、すぐに感情的になり、子どもに怒りをぶつけ、そして罪悪感に苦しむ日々を繰り返している。どうすればいい親になれるのか、皆目見当がつかない。でも、私の心のなかにひとつだけ、何があろうと気持ちを立て直すための、決して消えることのない情景が生まれたような気がする。
バックミラーに映った、一心不乱に走る次男の姿だ。
ここがポイント
家族のことは、客観的に見ている
夫、長男、次男が出てくるが、家族のことは少し距離を置いて書いている。必要なことは書かれているが、プライベートがわかる情報は盛り込まれていない。
自分の感情には、ぐっと迫っている
自分の感情については、「ついに私が爆発した」のように明確に書いている。家族を書くときは引き、自分を書くときは寄る。その二つを使い分けている。
村井理子
1970年静岡県生まれ。翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』など。エッセイも手がけ、『村井さんちの生活』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『兄の終い』ほか著書多数。ぎゅうぎゅう焼きの考案者。
※本記事は2021年11月号に掲載した記事を再掲載したものです。