12.20更新 VOL.15 「夏目漱石賞」「人間新人小説」 文芸公募百年史
今回は、昭和20年代前半、戦後の混乱期に創設された二賞を紹介する。国民が活字に飢え、出せば雑誌が売れたような時代に生まれた二つの文学賞だ。
なんと夏目漱石賞という賞があった
以前、森村誠一さんを取材したとき、「活字なら辞書でもチラシでも貪るように読んだ」とおっしゃっていた。「暮しの手帖」を創刊した大橋鎭子さんは昭和21年にファッション雑誌「スタイルブック」を発売しているが、わずか18ページの薄い雑誌だったにも関わらず飛ぶように売れたそうだ。昭和20年代初頭はそういう時代だ。
まともな雑誌もあったが、多くは粗悪品だった。敗戦すれば男性は殺され、女性は犯されると噂されていたから、刹那的なエログロ雑誌が流行った。粕取り焼酎という粗悪な密造酒は三合飲むと酔いつぶれるが、この手の雑誌は三号も出版するとつぶれたことからカストリ雑誌と呼ばれた。そんな雑誌でも書き手が不足していたのか懸賞募集があったらしい。以前、公募ガイドに北杜夫さんに出てもらったとき、こう書かれている。
原稿用紙代がもったいないので、主に大学ノートに書いたが、投稿するには原稿用紙を用いねばならない。そこで、せめて原稿用紙代くらいは自分で稼ぎだそうと、当時多かったカストリ雑誌に、大衆小説やらコントやらをずいぶんと投稿した。
北杜夫(公募ガイド1989年7月号掲載)
ただ、文学賞となると、そうすぐには登場しない。昭和21年に桜菊書院という無名の版元が夏目漱石没後30周年を記念して「夏目漱石全集」を創刊し、その一環として夏目漱石賞を創設したが、第2回の途中で桜菊書院が倒産し、公募も中断している。
石川達三、林芙美子、横光利一(第1回で逝去)、武者小路実篤、里見弴、漱石の弟子からは内田百閒、久米正雄、松岡譲と総勢10名が選考にあたり、1等賞金1万円と頑張ったのに惜しいことをした。
国民作家の名を冠した賞だよ、継続しないと、と思ってしまうが、ほかにもそう思った人がいたようで、第1次夏目漱石賞創設から20年以上経った昭和42年頃、河出書房新社が第2次夏目漱石賞を創設しようとしたことがあるらしい。選考委員は丹羽文雄、伊藤整、江藤淳、平野謙、井上靖、小島信夫、野間宏、武田泰淳、中村光夫、山本健吉という錚々たるメンバーだったが、第2次のほうも河出書房新社2度目の倒産で賞創設の話が立ち消えている。
夏目漱石賞ってなんなん? 呪われてんの?
「人間新人小説」が駒田信二を発掘
昭和22年には鎌倉文庫が「人間新人小説」を募集している。
鎌倉文庫は戦時中、久米正雄や川端康成などの発案により、生活難に陥った鎌倉文士たちが生活を守るため、活字に飢えた子ども向けに貸本屋を始めたのをきっかけに創業され、小林秀雄、高見順、久米正雄、里見弴、中山義秀たちも協力した。
戦後は出版事業も行い、昭和20年、久米と川端は改造社時代の「文藝」の編集長だった木村徳三を編集長に据え、文芸誌「人間」を創刊。「文士の出版商法」として注目を集め、順調に売り上げを伸ばしていった。
ほかにも女性誌「婦人文庫」や社会人向け雑誌「社会」、西洋文学紹介誌「ヨーロッパ」を創刊し、茅場町に社屋を建てるなど事業は順調に拡大していく。しかし、哀しいかな、ここが頂点だった。
昭和24年、久米正雄は大衆文芸誌「文藝往来」を創刊するが、この頃には大手出版社の競合誌が攻勢に出ていて、人員整理を行った結果、ストライキが起こるなどして、昭和25年、鎌倉文庫はあっさり倒産している。
久米正雄は盟友菊池寛の文藝春秋に対抗する出版社にしようと目論んでいたようだが、事業家としての手腕は菊池の敵ではなかったようだ。
唯一売り上げが好調だった文芸誌「人間」は、昭和22年に「人間新人小説」を創設し、鎌倉文庫倒産まで年1回、計4回募集している。第1回は該当作なしだったが、第2回のときに駒田信二「脱出」を発掘している。
駒田信二は小説家としても知られているが、『水滸伝』など中国ものの訳者として記憶している人のほうが多いかもしれない。後進の指導にも熱心で、昭和の頃、朝日カルチャーセンターで小説講座を持っていた。
駒田信二以外には名のある受賞者はないが、選外佳作にのちに大成した人が二人いる。一人目は第1回選外佳作、井上靖。応募作「闘牛」はのちに文學界に掲載され、芥川賞を受賞している。
もう一人は第3回選外佳作、山本七平(応募作は「群狼」)。山本七平と言えば日本論、軍隊経験をもとにした著作で知られるが、もっとも有名なのは『日本人とユダヤ人』だろう。著者はイザヤ・ベンダサンになっているが、これは山本七平のペンネームだ。
鎌倉文庫は戦後の時流に乗ってぱっと浮上したかと思ったら、あっというまに失墜した観がある。もうちょっと粘ってよとも思うが、鎌倉文士は本業は作家だから、事業より自分で書くほうが大事だったのかもしれない。それにしても第4回で終了は短い。長くやっていればどれだけ有意な新人を発掘できたか。返す返すも惜しいと思う。
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